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登場人物一覧

1、ルイス・シルビー・ザンペリーニ(ルーイー)

 本作主人公。イタリア移民の子としてアメリカに生まれるが、英語がうまく話せないので小学校でイジメられ、留年の憂き目にまで遭う。そんな過酷な環境で生きていくため、元ボクサーの父ちゃんの教育の下!?暴力沙汰も上等な「ワル」に転向すると、5才から酒やタバコを始め、14歳で乗用車を乗り回し、ガス銃で武装すると近所の家から密造酒を盗難するなど、荒れた子ども時代を送る。しかし兄や周囲の心配を受けると、自らを追いかけた警察と共に鍛えた足でもって陸上選手へと転向、これにより更生する。元々は1マイル走者だったが、試しに出てみた5,000M走で全米代表に選出されると、ベルリン・オリンピックにも出場。かわいい女の子と知り合うためなら、小学校の恋敵は乾燥させた蟻で毒殺し、大学では相手の運転する車にわざとぶつかって、デートの約束をゲット!?

2,ピート・ザンペリーニ(ピート)

 ルーイーの1歳8カ月上の兄で同じく陸上選手。しかしその中身は正反対で、学校でもハンサムで人気者、歌えば美声にして年上を敬い年下には優しく、大人でさえその意見を聞いたと言うスーパー優等生。しかも大学の奨学金オファーは、野球にバスケに陸上と全部で10校!ともはや伝説級の兄は、本作でもよい子ぶりをいかんなく発揮するが、2人の妹に言わせると、その実・・・

3、アンソニー・ザンペリーニ(父ちゃん)

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 13歳で両親を亡くすと、14歳にして自活を始め渡米を果たしたイタリア移民一世。石炭工から電気技師になり、カリフォルニアに一軒家を購入する。食うために「拳闘士」をしていた頃もあり、イジメられているルーイーには、空缶に鉛を流して作ったお手製バーベルと、どこでやらゲットしてきたサンドバッグでボクシングを伝授。だがワルを容認した訳ではなく、ルーイーが悪いことをすると、そのお尻を叩いてお仕置きも実施。ルーイーが家出の時は心配で、極貧にも関わらずお小遣いを2ドルもくれる(現在の4千円弱)

4、ルイーズ・ザンペリーニ(母ちゃん)

 16歳で結婚すると、翌年にピートを、さらに18歳でルーイーを生んだ、イタリア移民二世。他人がレシピを見ただけで、それと分かるほどの料理上手で、ルーイーが家出をする時はサンドイッチでお弁当を作ってくれる。ザンペリーニ家がニューヨークからカリフォルニアに引っ越す際、ルーイーを「ホーム・アローン」にしてしまい、慌てた母ちゃんは何と・・・

5、ジェリー・コールダー、ジョーン・ストロフィー他、トーランスのお巡りさん達

 お巡りさん達は、パトカーが街に一台しかない新興都市トーランスにおいて、悪いことしかしない!?不良少年ルーイーを全力で走って追いかけ、その基礎体力作りに大いに貢献する。さらに大人用刑務所への「社会科見学」にルーイーを連れて行ったり、陸上を勧めたりして、その更生にも大きく寄与。ルーイーがオリンピック代表に選出されると、お祝いの電報を送ったり、パトカーで送迎してくれたりするのだが、凱旋祝賀会では、禁断の元不良ネタでもって、笑うに笑えないブラック・ジョークを炸裂させる

6、ジョニー

 ルーイーと一緒に何度も家出をする悪友。2人の少年は大人のホーボーに襲われても一緒に共闘し、絶体絶命の密室でも、喧嘩はしないで助け合う!?

7、パン屋の少年

マジメに仕事をしていただけなのに・・・

8、グレン・カニンガム

 ルーイー少年のヒーロー。小さな頃に学校で爆発事故に遭い、兄を失くすと大火傷を負い、一時は歩行すら危ぶまれると、高校に入学したのは18歳とも言われる陸上選手。しかし1932年にNCAA・全米大学選手権を制すると、ロサンゼルス・オリンピックでは全米代表に。1936年のベルリン大会では、ルーイーと共に代表となる

9、エリナー・ホルム・ジャレット

 1932年ロサンゼルス大会、背泳ぎ金メダリストのアイドル・アスリート。その美貌から同年に戦前アメリカのホリプロ・スカウトキャラバン!?こと、西部映画広告協会ベイビー・スターズに選出され、6年後の1938年にはターザン映画でヒロインを務める。アスリートとしても、1936年のベルリン大会の選考を通過し、ドイツに向かう豪華客船、SSマンハッタンに乗船。本大会にも当然、出場するハズだったのだが・・・

10、エイブリー・ブランテッジ

 アメリカを牛耳る企業家達への「忖度ファースト」でオリンピック委員会を取り仕切る、後の第5代委員長。厳格な「アマチュア主義」を掲げ、プロスポーツでお金を貰う選手達を選んでは、アマチュア界から追放。さらには1936年のベルリン大会に向け、アメリカから大西洋を渡るその途上では何と・・・

11、マーティー・グリックマン

 ベルリン・オリンピック、アメリカリレー代表にして、後の有名アナウンサー。CBSドキュメントでルーイーの「いたずら」を証言。ベルリンではアメリカで3番目に100Mが速い男として、リレー選手として出場予定だったが、何とその競技の直前に・・・

12、アドルフ・ヒトラー

 人類の歴史を代表する独裁者も、当時はまだおかしなピエロとしか認識されず、本作では世界が注目する華やかなベルリン・オリンピックの立役者。「優秀な人種」はスポーツにおいても優秀という、「マスターレース・セオリー」を実証するべく、イケメン突撃隊と美少女接待団を創設し、美食の山でもって他国の選手達を誘惑するのだが、この誘惑にルーイーはもちろん・・・

13、ジェシー・オーエンス

 ベルリン・オリンピックで3種目のアメリカ代表となると、複数のメダルが目された世界記録保持者。有名オリンピアン達は選手村では、サインを求める人などが大量に自分の部屋に来ないよう、「入室禁止」の札を出すのだが、オーウェンスはいたずら好きなルーイーにこれを「お土産」としてゲットされてしまい、大量の訪問者に晒されてしまう。出場種目は3つなので、メダルも最大で3つのハズだが・・・

14、ジェームズ・クンイチ・ササキ

 別名「ハンサム・ハリー」こと、USC・南カリフォルニア大学でルーイーとクラスメートだった日本人。流暢な英語を話し、アメリカの事情にも精通し、自身によると有名大学はUSCのみならず、他のアイビーリーグにも次々と進学。大の陸上ファンで、ルーイーとの陸上談議に花を咲かせると、住んでいる訳でもないのに、ルーイーの地元トーランスに通って日本人コミュニティに貢献。それなのになぜかFBI創設者、J・エドガーの要注意人物リストにその名が!?

15、ハリー・リード

 ルーイーの南カリフォルニア大学時代からのベスト・フレンドにして、フラティニティ(同友会)・ブラザー。金持ちの御曹司で、学生時代からスポーツ・カーだけでなく、「ロマンシア」という名前を付けたヨットまで持っていた。戦後もルーイーとつるんで、ルーイーの知名度と自身の財力を生かしたナンパを展開。会員制クラブのビーチに「フリー」で来ていた美女、シンシアに多少強引に?突撃したのもハリーだったが・・・

16、B-24爆撃機、「スーパーマン」及び「グリーンホーネット」

 B-17に対し航続距離の伸びたB-24は当時最新鋭の機体で、戦闘機並みに飛べる重爆撃機だった。陸軍航空隊の隊員達は、この各担当機の機首に、漫画のキャラ等お気に入りのグラフィティ・アートを描き、それぞれの愛機とした。ルーイー達は自分達の機体にスーパーマンと名付けてノーズアートを作成。ノーズアートには他に、当時ラジオドラマとして流行した、怪盗アクション・ヒーロー「グリーンホーネット」というものもあり、これは後に、漫画やテレビ、映画と何度もリメイクされる程の人気作に。ルーイー達は愛機が被弾して使えなくなると、この「グリーンホーネット」で、捜索ミッションに出るのだが・・・

17、ラッセル・アラン・フィリップス(フィル)

 操縦するだけで「クマとレスリングする程に疲れる」クセ玉スーパーマンを乗りこなし、太平洋戦争を戦った兵士達から、その腕を絶賛された主席操縦士にして、ルーイーの爆撃隊のキャプテン。公私ともに余りに無口でクール過ぎ、プライベートではパーティーで一晩中全く話さなかったかと思えば、軍務においては被弾を免れないような先鋒中の先鋒を命じられても、冷静かつ無口だったので、「体に血ではなく氷水が流れる」と言われた。ルーイーとは戦友中の戦友で、幾多のミッションを共にこなすと、時に日本軍の対空作榴弾を何百発も被弾しながら零戦との対空戦を演じ、墜落・漂流体験のみならず、捕虜登録以前の虜囚体験をも共にした。インディアナ州の出身で、会場行きの車にこっそり侵入する程のインディ500好き。画像のように、なぜかズボンの片方だけ折ってはく変な癖がある

18、フランシス・マクナマラ(マック)

 スーパーマンが大量被弾して、使えなくなった後にチームに参加した、軍曹にして後部銃手。大の甘党で、おやつとコーヒー以外、ご飯類をあまり口にしない。射撃の腕は決して悪くなかったが・・・

19、キルロイ

 第二次大戦当時、九死に一生を得たアメリカ軍兵達は、基地に生還してから「キルロイ参上」と落書きをして、そのホッとした気分をグラフィティで表現した。日本のガード下や橋脚の下と同じセンス!?

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20、アメリア・イアハート

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​ リンドバーグに続き、女性として史上初の大西洋横断飛行をしたスター・パイロット。その後世界一周をするべくアメリカを発ち、行方不明となった。未だにどこへ行ったのか謎であることで有名。その消息は諸説あるが、ルーイーによると・・・

21、看守の川村

 クワジェリン島で、捕虜登録前のルーイーの監獄で看守を務めたクリスチャン。アメリカ人は全員クリスチャンだと思っている。英語は極めてヘタクソながらも、なんとかルーイーとコミュニケーションをとり、敵方ながらルーイーを勇気づける。ちなみに彼の指揮官は東京で百貨店を営み、この指揮官の母も同じくクリスチャンなのだが・・・

22、フランク・アルバート・ティンカー

 急降下爆撃機のパイロットにして、ジュリアード音楽院にも行っていたオペラ歌手。ルーイーの後にクワジェリンに入れられると、その後大船へと移送される。大船ではルーイーと日本の飛行機を奪って中国へ脱走する計画を共謀。その後も大森、直江津への移送、さらに61名以上の死者を出した酷寒の直江津収容所での解放の過程もルーイーと共にし、帰国の途上では従軍記者だったニューヨーク・タイムズのロバート・トランブルに、ルーイーの存在を伝える。イケメンかつ長身(182cm)、美声だったが故に、大森で行われた慰問観劇会「シンデレラ」では王子様役を熱演。戦後は1998年の長野五輪に合わせ、CBSドキュメントに出演するが、その約50年前に来日して突撃した、日本の「お宅」とは・・・

23、ウィリアム(ビル)・フレデリック・ハリス

 アメリカ海兵隊大将、フィールド・ハリスの息子にして、こちらも29日間の海上漂流記録を持つ戦時捕虜。並外れた体力の持ち主で、遠泳や長距離歩行もお手の物、さらに記憶力抜群にして語学も堪能、日本語の新聞も一見して記憶し、ペンと紙で再現してしまう。この技術と体力を活かしてハリスは、フランク・ティンカーとルーイーと共に、窓にガラスはおろか鉄格子もないガラ空きの大船収容所からの脱走を計画する。また収容所で戦争がいつ終わるのかを予測するため、厳しい監視の元に日本の新聞の情報も解析。これは日本側に見つかれば苛烈な懲罰は逃れられず、また新聞が得られてもそこは「大本営発表」のフェイクの嵐。それでもルーイーは新聞の入手役を積極的に引き受け、これを受け取った解析役のハリスは・・・

24、撃墜王・グレゴリー(・パピー)・ボイントン

 日本軍の戦闘機撃墜記録・28機を記録した、アメリカ海兵隊のエース・パイロット。記録の樹立直後にラバウルにて逆に日本軍に撃墜され、海上での不時着後、漂流中に日本軍の潜水艦に拾われる。捕虜になった後は太平洋上の監獄を経て大船収容所へ移送、ルーイーと出会うことに。2人は「戦死」した有名人としてカウントされたが、その後に「発見」され、帰国後は戦争の英雄として扱われる。著作には「メエメエ黒羊」こと、「Baa Baa Black Sheep(海兵隊コルセア空戦記/撃墜王空戦記。旧日本軍の軍人により邦訳)」があり、ここではルーイーの母ちゃんのレシピを絶賛。2人の英雄は、自身の著書でお互いについて触れている訳だが・・・

25、フレッド・ギャレッド

 ルーイーの後にクワジェリンに入れられ、フランク・ティンカーと共に、大船に移送されてきたパイロット。太平洋戦線で日本軍に撃墜され捕虜となるが、自身のクルーや同房の人間は死んでしまい、自身も足首が化膿し、ウジ虫の湧いた足を付け根から切り落とされてしまう。大船では「ある理由」から、ルーイーのことを探し始めるが、その理由とは・・・

26、ヤブ医者の北村こと、北村末得治 (スエハル)

 大船収容所の衛生曹長ながら、最も大船で捕虜を虐待したと言われる看守。時にはその相手を生死の狭間まで激しく殴打し、その記録は今もPWIR・戦後取調報告に残る。捕虜達には悪名高いが、本書では捕虜となった撃墜王ボイントンの足に残った炸裂弾を、医療で摘出する一面も

27、アヒルのガガ

 各収容所には防火用に池があったが、大船の池にいたアヒル。収容所では毎朝、皇居に向かってお辞儀をすることが捕虜にも強要されたが、捕虜達が歩いて隊列を組むと、これにヨタヨタとついてきて、いつも最後尾に並ぶと人を真似て一緒にお辞儀をした。怪我をした足に捕虜から添え木をして貰い、捕虜達のアイドルにして心の支えとなるが・・・

28、「バード」こと渡邊睦裕

 伍長から軍曹と、士官になれない低階級ながら、その狂った暴力性と「ラグビー選手もしたことのある」体格で、実質的に大森・直江津収容所の現場を仕切った「怪物」。長野や満州に炭鉱を、東京駅の近くには高松ホテルというホテルを有するほど裕福な実家に生まれ、早稲田大学を出た後に同盟通信社に勤務。ところが親類が皆士官になる中、一人だけ士官学校に合格できず、戦争中の大森や直江津、満島収容所で規律担当に就任すると、その狂暴性をいかんなく発揮する。自分がなれなかった士官である、捕虜将校達を目のカタキにすると、中でもルーイーを始めとする目を付けた捕虜達に、事あるごとに集中的に虐待を繰り返し、「その行為は、こんにちも生きている男達(元捕虜)の体と心に拭えぬ程に刻まれた」とされ、大森収容所では捕虜にも看守にも、記録を残した人間が多いが、そのほとんどでこの異常性が記録される。戦後にはマッカーサーにより、真っ先に指名手配がかけられ、その行方は自決したとも、恨みを買った捕虜により線路に縛り付けられ、列車に轢き殺されたとも、朝鮮に渡り共産主義陣営に与すると、念願の士官様になって戦争に参加した、とも言われたが・・・

29、加藤哲太郎

 日立大雄院収容所で捕虜収容所の所長を務めた後、大森収容所に異動となり、捕虜と直に接する現場を担当した士官。「アメリカで幾らかの教育も受けており英語もなかなかに話し」、三菱の倉庫に捕虜を連れて行く、労働隊の監督に就任する。戦後は橋本忍によって書かれたテレビドラマにより、その名は日本中に知れ渡るが、実は大森ではバードとも大の仲良し!?

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30、加納勇吉

 大森で通訳を担った上等兵。戦前は日本で最もコーヒーを輸入していたという裕福な貿易商の出身かつ、英語が堪能だったが、命の危険にあった捕虜達を自らの危険をも省みずに助け、捕虜達に最も愛された。ところが名前のカノウKano とコーノKono が似ていたため、戦後に別人と間違われ、これがとんでもない事態に。その時の手記「わが獄中の記」が今も東京の各地図書館に存在する。ちなみに本書の序文で、マケイン上院議員が「稀に見る高潔さ」と評するのは・・・

31、トム・ヘンリング・ウェイド

 3代に渡るイギリス人商家に生まれ、幼少期を中国で過ごしたイギリス人捕虜。子どもの頃から新聞を作るのが好きで、イギリスで学校を終えると上海タイムズの記者となるが、日中戦争が始まるとイギリス軍としてこれに参戦。シンガポール陥落から日本軍の捕虜となると、ソウルを経由して大森収容所へと送られる。ソウルで猛勉強した日本語により、大森では第6棟の代表となり、つまり殴られ損の立場ともなるが、後に一緒になったルーイーとは友人関係に。「ベンジョ」の汲取りはもちろん、プロパガンダに協力するよう、マーキス(侯爵)・イケダこと、旧鳥取藩第17代当主、池田徳眞に尋問されたり、劣悪な衛生環境で異常繁殖したハエを、自作のハエ叩きで駆除させられながら、バードの似顔絵や第6棟のイラストを残す。3月10日の東京大空襲の直前に行われた、直江津収容所への異動もルーイー達と共にし、過酷な収容所生活を生き延びると、戦後はその体験を「Prisoner of the Japanese: From Changi to Tokyo(日本の虜囚として:チャンギより東京へ)」として書籍に残した。これによりバードによるルーイーへの「極めつけの虐待37分間」の貴重な記録役となるばかりでなく、1998年には生き証人としてCBSドキュメントにも出演。大森収容所のタイピストにカワイイ子がいたら、お花を渡して「○○してもいいですか?」なんて聞いちゃう!?

32、ロバート(ボブ)・レネ・マーティンデール

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 大森でルーイー到着時に、捕虜棟第5棟代表だったアメリカ人パイロット士官。13回目の出撃で撃墜され、洋上を救命ボートで3日間漂流し、日本軍に捕らえられた。本書では一行しか登場しないが、品川から本所機能を移管されたばかりの大森で、管理職として捕虜側総代表、アーサー・L・メーヤ司令官と同室にて過ごし、実質上の副官として働き、この経験に後日の調査を加えた書籍、「13番目のミッション:The 13th Mission: The Saga of a Pow at Camp Omori, Tokyo」を発表。自身が過ごした1944年の元旦から、終戦までの大森の記録を、PWIR・戦後取調報告や検証を交えて詳細に残しているため、書籍版「アンブロークン」への引用頻度も極めて高い。終戦直後には、病院船に乗り込む直前の土壇場になってからバード愛用の竹刀を持ち出し、アメリカのニミッツ提督博物館にこれを寄贈。その後は歴史家として大学で教鞭をとり、1992年にはフジテレビの「平和島のクリスマス」に出演、渡邊睦裕についても個人名が伏せられた状態で言及する。これに対し、3年後の1995年にイギリスの新聞上でバードが応えた内容とは・・・

33、八藤雄一

 大森収容所の主計軍曹。英語を話し、事務方ながら陰で捕虜を助けた。本編には登場しないが、戦後も50年になってフジテレビの「平和島のクリスマス」へ出演したことが契機となり、戦時中は捕虜だったロバート・マーティンデールと旧交を温めると、文通を通して互いを心の友と呼ぶに至る。他にも多くの捕虜達と文通、訪問を繰り返し、戦後における平和と和解の活動に大きく貢献する。2004年には「あゝ、大森捕虜収容所 戦中、東京俘慮収容所の真相」を出版。1998年のCBSドキュメントでは、日本人当事者として、貴重な証言を英語で提供している。ちなみに若い時の写真は、映画でバードを演じたミヤビに似ている!?

34、ルイス・ブッシュ

​「おかわいそうに」Clutch of Circumstance 日本語版より

 戦後は日本のNHKに勤務したラジオ・アナウンサーだが、戦時中は大森収容所に収容された、元英国人捕虜。タッチの差で大森をルーイーと行き違い、その名が出てこないにも関わらず、その気骨は本編にありありと残っている。戦前から日本で教師をし、日本人を妻とし、昭和天皇の弟、秩父宮とも親交のあったセレブだが、戦争勃発と共にシンガポール戦線に参加、夫婦ともに捕虜となる。戦後はその体験を書籍とすると、「Devil at My Heels」の第一版発行と同年の1956年に、「Clutch of Circumstance:逃れられぬ状況に置かれて(邦訳・おかわいそうに)」として発表、ベストセラーになると日本では映画化も計画された。大森からラジオ・トウキョウへ向かうルーイーが、同僚から警告される、「殴打に対することは一言たりとも言うなよ。赤十字が帰っちまったら、誰も守っちゃくれないし、殴打も倍になって帰って来るぞ」と暗に引用される人物とは・・・?

35、アルフレッド・エイブラハム・ワインスタイン

 ハーバード大卒の医師にして、激戦地フィリピンで捕虜となったユダヤ系アメリカ人。戦後すぐに出した著作に「Barbed Wire Surgeon : 鉄条網の外科医」がある。日本側は頻出した捕虜の死亡を何とかするため、捕虜医師を品川をはじめ各収容所に派遣し、日本人の管轄の下、場合によっては日本人をも診させたが、ワイスタインもこの例に当たる。ところが収容所の医療環境は、本部病室である品川ですら劣悪な状況かつ、日本側と捕虜医師側の衛生・医療の意識レベルは、「乖離」と言う範囲にはとても収まらず、品川で徳田病院長は、人体実験のような手術や治療を実施。見かねたワインスタインは人命を優先すべく、他の医師と結託してこれに反抗し、日本側はこれを従順でないと問題視。ワインスタインは懲罰として大森に移送されると、バードによって「規律」を叩き込まれることになる。この後ワインスタインは死者の頻出した満島収容所に派遣されるのだが、しかしここでお別れできたと思ったバードと再会、終戦日まで「担当医」として過ごすことに。どんな状況でも人命を優先する医師と、どんな状況でも暴力での統治を優先するサディストは、遂に極限において、通称「グレービー・ソース」でもって対決することになる。本編には全然登場しないのに、本サイト人気No,1捕虜は、やっぱりこの人!?

36、徳川義知

 こちらも本編には登場しないが、尾張徳川家第20代当主にして、自身の姉の松平勢津子妃が、昭和天皇の弟である秩父宮に嫁ぐという、士族にして皇族の上流階級。イギリスに2年以上の留学経験もあり英語も話し、日本赤十字社の常任理事及び、日英協会会長を務める。捕虜への処遇を定めたジュネーブ条約に「批准はしないが順守する」とした戦中日本の赤十字代表で、軍の妨害に遭いながらも大森を視察。捕虜達には地獄に一縷の希望である赤十字の、日本側窓口となる。誰もがその効果を疑い、また報復を恐れて大森の実情を訴えない中、ここに暴力をも恐れずに抗議を行ったのは・・・!?

37、東条英機

 大日本帝国第40代首相にしてA級戦犯筆頭。国民には「生きて虜囚の辱めを受けるな」、捕虜には「一日たりとも無為徒食をさせるな」と命令。本編にはブラックユーモアのネタ以外には、ほぼ登場しないが、実はニアピンで・・・

38、ダグラス・マッカーサー

 言わずと知れたパイプで有名なGHQ最高司令官。バードを最重要指名手配犯にリストアップし、巣鴨プリーズンを最高機密扱いにすると、「老兵は死なず、ただ去り行くのみ」の名言を残す。占領統治においては日本のキリスト教化を推し進めるため、聖書を大量に配布。ところが日本人はそれを読まないどころかタバコの巻紙にしてしまう。この絶対権力は巣鴨でも名言でもアンタッチャブルで、これを前にしたルーイーは・・・

39、カリフォルニアからマイアミへのスチュワーデス

 「タガの外れた帰還兵」!?のための有給休暇でフロリダへ向かう、ハリーとルーイーで機上でナンパされた彼女は、2人にあるクラブを紹介。もちろん2人はそこに行ってみるも、しかしクラブは会員制。中に入れない男達はそこで・・・(写真は1946年のCAのもの)

40、ベルナール・マクファデン

 マスコミのカメラを見つけるとパンイチになって筋肉を見せたがった筋肉マニアにして著名人。小さい頃は虚弱体質だったが、独自のトレーニングと菜食、断食療法で画像のような美しい「バディ」を獲得。さらには後にタランティーノによって、映画のタイトルにも引用される「トゥルー・ロマンス」や「トゥルー・ストーリー」と言った雑誌を刊行。これらはパルプフィクション・ジャンルと呼ばれ、日本で言う所の「本当にあった〇〇な話」系の雑誌で、マクファデンは巨万の富を得る。マイアミにはこれを持って会員制のクラブを設立し、ここでミス・コンも開催。今の日本で言う所の、週刊漫画雑誌の表紙裏の「キミもこれで筋肉がついてモテる!」のお兄さんにして、お爺さん!?

41、シンシア・アップルホワイト(シンシア)

 ベルナール・マクファデンの会員制クラブのミス・コンに選出されると、18歳の社交界デビュー早々に、周囲の男性陣を次々にノック・アウトしてしまったフロリダの御令嬢。復員したばかりのルーイーは、ナンパ目的で侵入したプライベート・クラブで彼女に一目惚れしてしまい、これに猛アタックすると、出会って数ヶ月後に、シンシアの両親を押し切る形で結婚を強行。当時のロサンゼルス・タイムズにも「フライングしちゃう?」と書かれる。ところが芸能人カップルの宿命か、結婚、出産後に、伝えていなかったルーイーのPTSDとアルコール依存が深刻化。さらに度重なるルーイーの投資の失敗から夫婦は破産し、ロクに陽の光も入って来ない貧乏アパートでの生活に追い込まれると、もはや酒とトラウマで自制のきかないルーイーに、シンシアは三行半を突きつける。離婚届けは現代のアメリカなら不可避な!?弁護士を立てての裁判にもならず、両者合意に至るも・・・

42、ビリー・グラハム

 戦後の全米を仮設テントで周る、若き福音派伝道師。当時は31歳にして(画像左)最年少の大学学長にして、伝道団体の副会長だった。戦争で傷ついたアメリカで、キリスト教のリバイバル活動に努めるも、既成団体からは異端視され、ルーイーもこのグループは頭のイカれた宗教団体だと思っている。布教のためなら、〇クザの〇長にですら、新聞を使って相手に突撃予告!?

43、ウィリアム・ランドルフ・ハースト

(新聞王ハースト)

 第二次大戦前後のアメリカを牛耳った、当時最強のメディア王。現代では映画「市民ケーン」に描かれる、強欲で寂しい主役の男として知る人ぞ知る昔の存在だが、当時その力は絶大で「市民ケーン」の監督オーソン・ウェルズを筆頭に、自分を批判する者はハリウッドより追放。政権との関係も密接で、必要とあらばフェイク・ニュースを使い、メキシコへの戦争の口実を作ったが、右の画像は「アメリカ人女性がメキシコの警察に取り調べで裸にされた」というその時のフェイク。戦後は世界で台頭した共産主義に対するべく赤狩りを展開し、この観点から当時まだ新興団体のリーダーだったビリー・グラハムを「自らの所有する紙面」で大々的に報じ、ビリーを一躍有名人にする。改宗したルーイーは自身の名声もあってこのスーパー・パワーに乗ることになり、そして最初の「ミッション」として向かった海の向こうとは・・・!?

44、ドレガン・ミハイロヴィッチ

 アメリカテレビ局CBSのスポーツ・プロデューサー。長野五輪関連の別件でルーイーのことを知り、21世紀目前にルーイーがまだ生きていたことに仰天。そこでCBSに、長野にまつわる特集コーナーを発案する。当初は過去の出来事を集めて、短い番組制作の予定だったのだが・・・

45、ローラ・ヒレンブラント

 1967年、バージニア州生まれの伝記作家。持病を抱えながらも、粘り強い取材姿勢で著作を発表。ベストセラーとなった前作、「シービスケット・あるアメリカ競走馬の伝説」の取材でルーイーに関心を持ち、ルポルタージュ「アンブロークン」を執筆。これがベストセラーになると契機となり、ルーイーの生涯は数十年の時を経て遂に、「アンブロークン」として映画化される。ルーイーからの信任も厚く、その死に際してはルーイーがずっと保管してきた、思い出の証拠と資料一式を託された

46、アンジェリーナ・ジョリー

 ハリウッドの名優、ジョン・ボイトの娘にして、女性の地位向上のため多くの映画製作も手掛ける、言わずと知れた超有名女優。実は自身の家も、ハリウッドにあるルーイーの家の隣で、映画「アンブロークン」制作を(当時の)夫のブラッド・ピットにも相談した、とのことだが・・・

47、MIYABI(ミヤビ)

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 本名、石原崇雅(たかまさ)こと、日本のロックミュージシャン。大阪出身だがそのバックグラウンドは、父が韓国より帰化、配偶者も日系アメリカ人という国際派。その演奏をYOUTUBEで見たアンジェリーナ・ジョリーが、映画の要であるバード役をオファー。その際には、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」が参照され、容姿が「美しい」ことが条件だったと言われる。ルーイーとは直接面会も、既に故人となっていた、渡邊睦裕本人とは実現せず

48、ジョン・マケイン

 2008年に共和党を代表し、アメリカ大統領選を民主党のバラク・オバマ元大統領と戦った、当時の上院議員。2000年にも共和党の大統領候補指名を息子ブッシュと争い、政治家として著名だが、ベトナム戦争時にはパイロットとして従軍し、撃墜され捕虜となっている。そこでは5年半にも及ぶ捕虜生活を送ることとなり、ルーイーと同じく敵側による自身のプロパガンダ利用を拒否し、さらには外交交渉から提案された早期釈放をも拒否、激しい拷問を受ける。それ故に腕が肩より上に上がらなくなり、選挙時にはブッシュ陣営やドナルド・トランプ本人より「拷問のせいで頭がおかしくなった」とも言われたが、(大統領指名候補争いとなると、アメリカでは相手へのネガティブ・キャンペーンから、内輪でも罵り合いになる)共和党の正統派保守として、その名を「不死鳥マケイン」としてアメリカ政界に残している。本書の序文を執筆

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