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参考資料一覧

 ①Devil At My Heels:悪魔に追われし男

ルイス・ザンペリーニ及び、デビット・レンシン、ヘレン・アイトリア共著

03年版は新品購入可能 56年版はeBay ・Abe books等、海外中古売買で入手可

 56年版は一度eBay でサイン本を高額で買うも、アマゾンで安価な物を発見。eBayをキャンセルしてアマゾンを受け取ると、何とこちらにも直筆サインが!しかし残念ながら、ジェームズ・ササキへの書き込みは・・・もちろんありません。

②アンブロークン:不屈の男

ローラ・ヒレンブラント著、ラッセル秀子訳

​いずれも新品入手可能

 言わずと知れたルポルタージュ版「悪魔に追われし男」で、ルーイー周辺の人物にもフォーカスを当てており、「悪魔に追われし男」の後に読むと、自伝にはないエピソードや周囲の人間の描写についても意味が分かるようになり、格段に面白くなる。アメリカでは、アンブロークンだけ読んだと言う人が結構いるが、やはり読むなら「悪魔に追われし男」の後に読むべき一冊。二次資料ながらアメリカでの追跡取材は本書にしかないものも多く、時にはルーイーのお調子者エピソードにリサーチのツッコミが入る。しかしその一方、実は関連書籍を読み込むと、著者が資料を詰め切れていない部分も浮かび上がる。

 ①バードが大森で最初に暴力性を発揮した、いわゆる「ギャング・ウェイ(道を開けろ)事件」の被害者が間違っている。当事者であるルイス・ブッシュ「おかわいそうに」で追うと、被害者は「アメリカ人海軍士官にして捕虜棟代表だったクラーク(クラーキー)」とあり、大森の捕虜リストを見るとこの人物は、カールトン・H・クラークのことだと思われるのだが、「アンブロークン」では、「デレック・クラーク」とされている。これは「No Cook's Tour : 代理店経由の旅行じゃねえぞ」の作者にして、絵が上手だったイギリス人、デレック・クラークと間違えているとしか思えない。後者は士官でも捕虜棟代表でもアメリカ人でもなく、「No Cook's Tour : 代理店経由の旅行じゃねえぞ」にも、この事件についての記載はない。

 ②バードと加納勇吉が同じ現場にいたらどうなるか?という疑問は誰もが持つ縦の矛の謎かも知れない。これに対し、「アンブロークン」では、だがバードの"お気に入り"のルイには、カノウも何もできなかった」としている。これだとまるで二人の現場の任期が被っているかのようだが、実は2人の任期は被っていない。このことは巣鴨でバードの事を聞かれ続ける加納勇吉により、「我が獄中の記」でハッキリ自らの供述書の引用として記されており、この供述は英語で書かれた「13番目のミッション」でもしっかり捕捉されている。これらのことから、ローラ・ヒレンブラントが2人の現場の任期を把握していたかは疑問で、少なくとも二次資料で現場の任期の不一致記さないことは、一次資料である上記二冊を捕捉しているとは言い難い。しかし一方では「我が獄中の記」には、加納勇吉が現場就任前にバードと大森で会話した内容も記されており、現場就任前に加納勇吉が捕虜に手を差し伸べており、それでもバード在任中は、加納勇吉の手がルーイーまで届かなかった可能性も否定はできない。

  ③実は見出しのレベルで右翼もビックリな、戦前、戦中で言えばいわゆる不〇〇にあたるチャプター・タ〇〇〇があり、日本語版ではさすがに翻訳に耐えなかったのか、翻訳者の筆が曲がっている。(パラパラするだけみつかります)訳者はここに怒っているネット右翼を見たことがないが、批判する皆さんは原文なんて読まない、なんてことありませんよね?

 ④日本語の訳の問題なのだが、実は加藤哲太郎の表記では日本語訳が間違っている。英文を読むと「13番目のミッション」の引用として、「Tetsutaro Kato, an Omori official said to have kicked a POW nearly to death」の所、日本版では、加藤哲太郎が「捕虜を蹴って死なせたといわれている」とされ、「殺しかけたと言われる」が実際に殺したことになり、英語クラスの、nearly mostly あるあるになっている。また引用元は「13番目のミッション」なので、該当部を読めば相手が J・ブライス・マーティンと分かるので、死んでいないのも分かる。

 ⑤元捕虜のPTSDのくだりで、ワインスタインがに「ごみを漁る衝動があった」とされている。出典元をたぐるとこれは「Barbed-Wire Surgeon」のハッピーエンドのエピローグ部で、フィリピンで生きて再会した奥さんとアメリカでの生活に少しずつ戻っていった過程において、座るのにアグラを掻くのも止めて、奥さんにお願いされたので俵や麻袋から米を盗む竹槍ロートも捨てて、それでも映画館とかホテルの灰皿にモクが捨ててあったり、生ごみ入れに肉の骨があると見てしまう、というエピソードなのだが、ここだけを持ってPTSDの症状とするのは、まるで警察の強引な調書作成と変わらず、明らかに著者であるワインスタインの意図を汲んでいない。しかし一方で実際はどうだったかと言うと、ワインスタインにそういったPTSDがない方が不自然と言え、自書には品川病室では生ごみを埋めないと捕虜が漁ってしまったことが記されている。これはルーイーが、豆のスープ原液を飲んだのを人がやったことにしたのと同じで、自分が漁っていたのを他人のエピソードとしている可能性も否定はできない。PTSDの実例になるかは別としても、娘の証言(キンドル版あとがき)では、帰国後も家の中でしょっちゅう大きな声で人を非難していたことが記され、これを追悼文に書かれる程なのだから、引用元としてはこちらの方が妥当だったろう

③"The 13th Mission":13番目のミッション

ロバート・マーティンデール著 未邦訳

eBay・Abe books等海外中古売買サイトにて利用可能

 後に歴史家になったマーティンデールの初々しいポートレートが目を引く一冊。大森収容所に関しては検証を経ており、一次資料の決定版と言えるだけに史料的側面にばかり注目が行くが、実は体験記としてもかなり充実している。

 本人も軍にいながら女の子を口説く一方、酒に酔って女の子に無礼を働く上司に批判を述べてみたり、ブラインド・デート(友達の紹介デート)の相手が映画女優になっていたり、家族との別れでこっそり涙したり、ノルデン式照準器のケースに酒を隠しておいたのに盗まれたり、といったエピソードに続き、実はここにしか書いていない(アンブロークンにもなぜか書いていない)エピソードが存在する。

 ① 1945年3月1日、直江津に異動したはずのバードが大森に突然現われ、「知己」であるマーティンデールを訪ねると、労働隊の士官として一緒に直江津へ異動させようとする。だがこの時マーティンデールは耳の病気で苦しんでおり、バードは「極めて礼儀正しく、病気への心配を述べ」るが、これにマーティンデールは聞こえないフリをする。するとバードは自分の暴行が原因ではないかとすら言及し、「何とも申し訳なさそうな態度になって」捕虜将校の部屋を後にする。マーティンデールは自分が再びバードの精神支配下に置かれるかと思うと、一晩中これに苦しむが、しかしこれにはメーヤ中佐や小栗軍曹が介入、病気もあってトム・ウェイドが身代わりとなる。加納勇吉はマーティンデールにこのニュースをもたらすと、 「アイツのいる収容所に行ってたら、渡邊はキミのこと殺したかもしれないよ」 と言い、これがマーティンデールの「記憶に永遠に反響することとなった」とある。

​ ②バードは消火訓練での嫌がらせ、虐待を常習的に捕虜に行っていたが、ある日これを空襲の警報が鳴り、捕虜が防空壕に避難している最中に実行。司令官の根元大尉の激怒を買い、大尉はバードに何度もビンタを加えたという。

 ③その後の登場人物で触れたが、ラジオ・トウキョウにルーイーのUSC時代のルームメイトにして陸上経験者がいて、これがルーイーとバッタリ会った、と書いている。一読するとジェームズ・ササキと混同しているかのようにも思えるが、しかし一連の記述は詳細に渡り、とても簡単な勘違いとは思えないものがある。

 

 著者と心の友を公言する八藤雄一曰く、「数ある連合分捕虜の大森捕虜記録の中でも最良の著書であることは私が保証する」とあるが、訳者としても、上記の二冊の次にお勧めなのは、間違いなく「13番目のミッション」になる。

アンカー ビンタ

④"Prisoner of The Japanese" : 日本の虜囚として

トム・ウェイド著 未邦訳 海外中古売買サイト、またはキンドルで利用可能

 元上海タイムズの著者による書籍。子どもの頃から新聞を作っていたエピソードなど、ルーイーとは違った語り口で、中国戦線に志願した経緯など当時の思いが綴られる。大森からは本編をカバーする資料に溢れ、池田徳眞に尋問されたり、大森で芸者小屋を見たり、捕虜の死体を「Eta」が解体する記述はここにしかなく、なぜミサが重要になったのか(禁止されたのか)も理解できたりする。またバードが低階級にも関わらず、大森や直江津で影響力を持ったのかも、決定版とも言える考察がある。本書と「悪魔に追われし男」の事実描写の違いとしては、

 ①バードが大森から直江津に異動になるのを、捕虜達は移送前から知っており、直江津到着からすぐに、迎えに来たオーストラリア兵との間で、「アイツどうよ?」という会話がなされる

 ②バードがルーイーに材木を担がせた行為は、バードの満島転勤の置き土産とされ、この終わりにバードはルーイーを殴ってはいない。しかしだからと言って、虐待がなかった訳ではもちろんなく、材木事件の後、ルーイーは動くこともままならず指が固まってしまい、ウェイドは「それは37分もの間、続いた。37分だ。そんなに長くできる人間が、他に誰もいないことを、自分は断言できる」としている

 ③終戦についても、直江津では捕虜士官は玉音放送を聞いており、ここからルーイーは、15日は玉音放送が聞けない程に、さらに16日も家族からの手紙を貰っても、すぐにその喜びを表現して結果的に自書に残せない程に衰弱していたことも察せられる。「アンブロークン」によると、捕虜達が川に体を洗いに行って雷撃機のモールス信号を見たのは、8月の20日になる等がある。英語の文体は明らかに読書人のそれだそうで(小林丸)、訳者もトム・ウェイドが、貧しい日本側が爪に火を灯すような慰問品(漬物、お菓子、筆、笛、詩集)を、アメリカその他の日系収容所に送る行為に、最初はバカにして笑っても後で共感を示すエピソードに、ハッとさせられるものを感じた

⑤”Barbed-Wire Surgeon” :  鉄条網の外科医 

アルフレッド・ワインスタイン著 キンドル・海外中古サイトで利用可能

 また一部だけ翻訳が「長野県・満島収容所 : 捕虜生活と解放の記録」として

国立国会・沖縄県立・横浜市立図書館で閲覧可能(名倉有一訳・「グレービー部」含む)

 バードを薬殺しようと、満島収容所で「グレービー・ソース」こと、○○○をバードの食事に混入させたワインスタイン医師の記録。こう書くと極めて不道徳な医師に見えるが、自書を見ると、死者の頻出した収容所の医者として、殴打や罰則を承知で率先して日本側と折衝、極限の環境でも身を挺して人命を優先する態度は、多くの同僚から「多くの命を救った第二次大戦の英雄の一人」と記されている。実際、著作には品川で徳田院長に歯向かいながら、「自分が介入しなくても救えない命だ」という悪魔の囁きと戦った葛藤や、助けられなかった捕虜の命への懺悔ともとれる夢の話も描かれる。POW研究会が満島で特定した捕虜側の死者数は59名で、ここからそこが直江津と同じく、如何に劣悪な環境だったのかを知ることもでき、これを受け戦後法廷では直江津の8名に次ぐ、6名もの看守の刑死者が出ている。 また特筆すべきは8月15日の終戦日の描写で、ここにはバードとワインスタインの会話が残されている。8月15日に、ワインスタインがバードを往診すると、「彼は放心状態で、こちらを向くと突然『民主主義とは何だ?(What is democracy?)』」と聞き、これにワインスタインはリンカーンのゲティスバーグの演説を引用し、民主主義とは何かを教えたという。だが「人民の、人民による、人民のための」と言っても「分からなそうに眼をしばたたかせ」たので、 「そこでは、我々が選んだ政府が軍隊に何をすべきかを指示する」「軍は政府を支配しない。ここでは工場労働者は、家族を養うだけの給料を上司が払わなければ、苦情を申し立て、したいと思えば組合に加入し、ストライキを行うことができる。上司は彼を撃ち殺すことはできず、大企業である三井や三菱が、上司を取引から排除しようとするなら、上司は政府に苦情を申し立てられる。自分達が選挙で選んだ政治家がこういった人々の諸問題を解決しない場合、自分達は新たな政府を選挙で選ぶことができる。自分達は彼らを殺害したりしない。これが民主主義です」 と締めくくり、「するとバードも理解したようだった」とある。 この後、バードは終戦を予想するワインスタインに、それを明かすことなく逃亡を開始するのだが、戦中における大日本帝国の暴力の権化が、終戦日に敵の捕虜によって、自らが破壊してきた民主主義とは何かを教わると言うのは、21世紀の現代の日本で読むとあまりによく出来過ぎていて、映画のシナリオではないかとすら思ってしまうが、本書は帰国したワインスタインが療養中に書いたもので、初版出版年は1947年と極めて早い。キンドル版における長女のあとがきには、戦争が終わっても尚、地権を独占する大家や人種差別と闘ったことや、それでいて自他に厳しすぎるその人格についても触れられており、訳者のような日本人ですら、誰がアメリカを作ったか?について考えさせるものがある。でももし自分の親だったらと思うと、やっぱりちょっと立派過ぎかつ、本の表紙もイケメンに描かれ過ぎ!?

⑥Boa Boa Black Sheep:海兵隊撃墜王空戦記

グレゴリー・ボイントン著 申橋昭訳 日本語版は各地図書館・中古売買で利用可能

オリジナルにはキンドル版が存在。Audible で読み聞かせにも対応

 撃墜王の記録はどうしても英雄譚として見られがちだが、実はそれだけではない。「自分は日本人を憎むように期待されてると思うけど、野球のバット持った大船の看守くらい残虐な野郎なんて、アメリカのどこにだっているよ。え?野球のバットじゃない?あんなんスポルディングって書いてないだけで野球のバットと変わんねえよ」という名言や、ルーイーのレシピのエピソード、日本語版にはない通訳兵との交歓など、名言・史料的側面も随所に散りばめられる。「悪魔に追われし男」では看守のハタはもちろん、ジェームズ・ササキも(03年版では)あまりよく描かれていないが、ボイントンによると、ササキはまず最初の尋問の休憩中に2人きりになると、「一生懸命ウソついてるのは分かってるよ、ボイントン。でも筋は通ってるから、それで突き通せ。でも頼むから、自分がこんなこと言ったなんて誰にも言うなよ」と言ったとあり、ボイントンも休憩中の会話が楽しかったとある。またハタも捕虜の盗みを容認しており、時にボイントンに酒すら振舞い、つまり裏を返せばプロパガンダへの協力を念頭に、ルーイーだけが酷い扱いを受けていた可能性は高い。

 ちなみに日本語版と英語版で異なる部分もあるので、両方読むのがオススメ!?

⑦"Clutch Of Circumstance":おかわいそうに​及び著者、PWIR : 戦後取調調書

ルイス・ブッシュ著 明石洋二訳 

英語版は国立国会図書館・関西館、及びネット上で閲覧可能(調書は)リンクヘ

 日本語訳は各地大学図書館・中古売買で利用可 

 邦題は当時、新聞にも掲載された「おかわいそうに事件」に由来しているが、原題は全く違って、ヴィクトリア朝時代のウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩より来ている。グーグル辞典によると、「邪悪な力の元、自身ではどうにもならない状況で」の意味で、英語版の序文に、この詩が引用されている。「冷酷な境遇に身動きすらとれない中でも、私はたじろぐことも声に出して叫ぶこともしていない。荒れ狂う運命の殴打の下に、自分の頭は血まみれであろうとも、心は屈してなどいないからだ」

 英語版の帯(もしくは表紙裏)には、「元々は英語で書かれた短編の翻訳が文芸春秋に載り、後に完全版が『おかわいそうに』として出版された」「このバージョンは日本と沖縄(当時米占領下)でのみ出版されます」とあり、繰り返しになるがこの著書にも、日本語版と英語版の間には明らかに意図的な相違が多く見受けられる。国立国会図書館所蔵版、アメリカで購入した版、及びネットにアップされている版では、「ブラウン」の苗字が伏されていているのは日英どちらも変わらないが、しかしこのブラウンが「バード」とも呼ばれていたこと、慶応大学(ママ。早稲田の間違い)卒だったことが英語版には書いてある一方、日本語版ではそれらは触れられず、またギルバート諸島やエリス諸島で指揮官だった捕虜、ジョージ・ウィリアムズがプロパガンダ放送に協力するよう、「ブンカ・キャンプ」で抜き身の刀で脅されつつも屈しなかったエピソードも省かれる。さらには日本語版のあとがきにて「バードやケダモノ(リトル・ビーストこと、おそらく栗山廸夫通訳兵のこと)を許してやらねばならない」及び最初の集合写真での「しかし、ブラウンだって後でうんと苦しんだんだ。今となっては、笑って一緒にビールでも飲めるだろう」との記述が英語版にはない。しかし、英語版の序文には「もしあの時、ジェントルマン・ジム(村岸武雄)やカーディフ・ジョー(香港から日本まで捕虜と同行した松田通訳兵)、ハイデルベルグヘンリー(林純勝)や徳川義知のような人々がいなければ、日本軍の手中にあった何千もの連合軍側の捕虜達は、生きて日の目を見ることがなかったやもしれない。このような人々は他にも多くいるにも関らず、彼らの物語は語られてこなかった。なぜなら彼らの慈しみある行為は不幸にも、憲兵達やブラウン(バードのこと)、リトル・ビーストの行いにより、光が当たらなくなってしまったからだ」との記載があり、これは日本語版のあとがきの一部とぴったり符合する。

 

 またルイス・ブッシュには、解放後に数週間でまとめたというPWIR・戦後取調調書があり、ここには戦争犯罪者と、逆に保護すべき日本人のリストがある。(「13番目のミッション」及び、日本軍政下の連合軍捕虜研究センターからも確認可)

http://www.mansell.com/pow_resources/camplists/tokyo/omori/omori.html

 -「戦争犯罪者・東京司令部鈴木・酒葉両大佐、浜田少佐、根本大尉、加藤(※哲太郎)少尉、(※中略)徳田中尉(品川病室の医師、彼の野蛮な行為の詳細は、既に品川病室で働いていたアメリカ人とイギリス人により報告されていると聞いております)渡邊マサヒラ軍曹(須磨区、神戸近郊の出身)、小林軍曹・戦争犯罪者・軍通訳栗山(※廸夫)伍長、カワムラ伍長(両名は捕虜を絶えず殴打し、捕虜への様々な凶悪な刑罰を考案しました)(※以下略)」

 「東京において保護すべき、さらには援助すべき個人徳川義知王子、村岸(※武雄:ジェントルマン・ジム)少尉、市村(※勇)中尉、加納(※勇吉)一般兵、小栗軍曹(※佐市曹長。大森でのバードの後任)、マスダ軍曹、菅原(※郁夫。大森のクリスマスに登場)伍長」-

 ちなみに収容所はどこでも、ご飯をどうやって公平に分けるのかが最大の問題で、カードを引いて決めても喧嘩が避けられなかったと多くの記録に残るが、本書ではカードではなく、配食係が提案する項目を選んで決めたとあり、その項目には①収容所をでて最初に〇〇〇する相手を選べるとして、「マレーネ・ディートリッヒ、ラナ・ターナー、少年院の女教務官、リトル・ビーストのオンナ(この時はまだバードが着任する前)、サーカスのデ〇」及び、②復員後の就職難に選べる仕事として、「マッカーサーお気に入りの芸者の人力車引き、チャーチルのモク拾い、使用済みコンドームのドライ・クリーニング店の店長、テキサスでのゴボウとコンニャク営業所の所長、大森便所掃除協会の監督、シドニーでの日本文化促進員、ロンドンの公衆トイレの落書き消し」があり、どれかを選ぶと、それによって配膳係が事前に決めておいた配給を割り当てるというやり方で分配し、「この分配法のお陰か、私のいる間食事の事でいさかいを起こしたためしは一回もなかった」とある。(※女性やゴボウ農家、コンニャク製造業の皆さんすみません。でも、男しかいない収容所なので・・・)

⑧我が獄中の記

加納勇吉著

都立図書館、大田区図書館等で利用可能

 56年版のルーイーの記述は、50年に日本へ戻ったルーイーの、大森収容所への再訪シーンから始まるが、ここでまず思い起こされるのは、B-29による東京爆撃やバードの顔、ビーチからの悪臭や風呂場で女性に裸を見られたエピソードに続いて、納屋で震える自分に加納勇吉が毛布を持ってきてくれた話で、それが戦争でPTSDを患った人間には、いかに大きな心の支えとなったことが分かる。しかし重ねて述べるとこの私費出版は、巣鴨での日記形式をとっており、残念ながら実際の具体例にはほぼ言及がなく、また本人によるルーイーへの言及は、

 ―栗山君から借りた「アメリカンフォースダイジェスト」に、 ザンペリーニの話の渡辺軍曹の暴虐振りが出ていた。―

 の一行だけで、自身とルーイーのコンタクトの記録は残っていない。この、加納勇吉が元捕虜達に有名人だったことによる、現場就任前を含むあらゆる事件の質問・尋問は巣鴨で極めて多かったと見られ、加藤哲太郎の暴行や、バードの赤十字慰問品横領等について尋問されたが、知らないとしか言えなかったと記される。その一方で、影響されやすい若い軍国青年が、逮捕されてから変遷する様子であったり、捕虜には評判が良かった、元僧侶にして横浜の所長だった林純勝少尉のことが、悪く書いてあったりもする。どこかでひっそり、自身捕虜を助けた記録も眠っている!?

⑨ああ大森俘虜収容所

八藤雄一著

国立国会図書館で利用可能

裏表紙には

デレック・クラークの絵が

CBSドキュメントに出て来る、「ノークエスチョン!」が印象的な八藤雄一の著書。大森の事務方視点で描かれており、貴重な日本側の証言及び、デイビッド・ジェームズや酒葉要など、収容所現役の写真はここにしかないものが多いが・・・ユキコさんの写真はここにある?

⑩No Cook’s Tour :代理店任せの旅行なんかじゃねえぞ 

デレック・クラーク著 

eBay amazon 等海外中古サイトで利用可能

クラークの描いた「トウキョウ」

ヒース・ロビンソンのイラスト

 大森にいた、絵の上手い一般兵だったデレック・クラークの記録。当時の東京のイラストは、現代から見るとSF漫画のようにも見えるが、誰よりも日本を知るデイビット・ジェームズですら自書で大森に収容される際、これから行く大森収容所の話より、「自分達の車が、プスプス音をさせながら時速16キロから24キロで走る、ヒース・ロビンソンのイラストを思わせるような珍奇な石炭車みたいなのを、抜いて行ったことの方が気になった」と書いているあたり、いかに当時の日本が捕虜達には不思議の国だったも想像されて面白い。(ウェイドもマーティンデールも紙と軽木材でできた家並みに驚いている)また特筆すべきは題名やイラストのみならず、その終わり方で、読み終わった後に思わず「え?これで終わり?」と思わず何度も見返してしまう程にカッコいい。ここにはどう考えても「捕虜が語るべきこと」へのコンセプトが強く凝縮されている一方、これは戦前戦後のプライベートについても書かざるをえなかったルーイーには許されない手法であって、それ故に「悪魔に追われし男」が、他の捕虜体験談とは趣を異にいることも分かる

⑪C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン

飛田時雄著

 在庫僅少ながら新品利用可。各地図書館・中古売買にても利用可能

 「ああ大森俘虜収容所」で、最後に八藤雄一と並んで写っているのが飛田時雄で、実は2人は大森で事務方として同僚だった。偶然見かけた捕虜棟でのバードの虐待の様子が、日本側目撃談として唯一残される。また巣鴨では収容された有名人一覧のイラストがあり、男性だけでなく東京ローズが収容されていたことも、「紅一点」で目に毒と記される。これはアイバ戸栗郁子のことだったのだろうか?

⑫The Rise and Fall of the Japanese Empire:大日本帝国の盛衰

デイビット・ジェームズ著

キンドル版や海外中古売買サイト、国立国会図書館関西館で利用可能

 昭和生まれの日本人に明治の日本史を教えるイギリス人、デイビッド・ジェームズによる日本史。自身の捕虜体験についても書かれており、新聞の解析についても書かれてあるが、捕虜なら誰もが触れる、自身の敬礼放置の虐待については触れていない。キンドル版では、3万円近くという訳の分からない値段が付いているが、どこかの学校で教材指定され、利権化していると思われる。ちなみに訳者が日本の古本屋で1000円で購入した所、共同通信外信部の判があった。綺麗に自炊してPDF化し、外国の学生と共有するのは著作権侵害で、単位・学歴が欲しいだけの学生にはキンドル版を3万円で売るのが正義!?

⑬私は貝になりたい」

加藤哲太郎著

各地図書館・中古売買にて利用可能

 実は「悪魔に追われし男」と密接に関係する本なのだが、これだけを読んでも意味が分からないとも言える本。そもそも加藤哲太郎の供述を生んだ状況が分からないと、供述の意図する所、つまりなぜウソをつく必要があるのかが分からないと、ウソの意図する所が分からないのであって、本書はまるで警察での供述調書のような内容になっている。結局の所、全容は起訴がされた状況を理解しないと分からないのだが、だとすれば捕虜側の供述がシャット・アウトされた状況で、ドラマ版だけを見て本書との関係を理解できた人は、ほぼいなかったとも思え、本書とドラマ版は、テレビ全盛期における対になったプロパガンダとも言える。ちなみにドイツの大学では教材化!?されているようだが、これも著作権で訴える!?

⑭空のよもやま物語

わちさんぺい著

各地図書館・中古売買にて利用可能

 おにぎり記事を始め、飛行機乗りだった著者の立場から、当時の日本側のエピソードを集めた短編集。出版社はボイントンの翻訳と同じ所から出ている。著者は漫画家で、当時のエピソードが明るいコメディータッチで描写されている

⑮文芸春秋1956年4月号 アメリカに裁かれるのは厭だ!

渡邊睦裕寄稿

 国立国会図書館にて利用可能

 発行当時において、バードこと渡邊睦裕のことを、戦犯と言う以上に知る人間は日本に多くはなかったと思われるのだが、どうしてこれが出版となったのか、その経緯は極めて興味深い。バードも加藤哲太郎から、投稿の着想を「インスパイア」された!?

⑯1995年8月20日付 Mail On Sunday

​ピーター・ハドフィールド / クレア・ヘンダーソン

国外からのデジタル入手は不可とのことだが、イギリス国内ならハード・コピーが買えるとのこ

 50回目となる終戦記念の年に、「東京の高級マンションの一室で、ワイングラス片手に行われたインタビュー」となる。メール・オン・サンデーは、人口が日本の半分であるイギリスにおいて、2011年の7月に週販で250万部、2021年7月でも81万3千部を誇る大型タブロイド紙なのだが、(週販と日販、調査年は無視して、部数に単純に2をかけると、だいたい日刊スポーツくらい?)日本人が一生懸命に翻訳をすると、このテイストが伝わらないのは力不足!?

アンカー 潜水艦

⑰1942年2月26日付朝日新聞夕刊・カリフォルニアへの潜水艦爆撃

国立国会図書館及び、各地図書館新聞データベースで利用可能

 NHK「ETV特集・戦争とラジオ」によると、この襲撃についていち早くラジオで傍受したアメリカ側監聴員、ベアテ・シロタは、報告したエディター(担当者)に「Are you sure you understood correctly? (キミ、ホントにちゃんと日本語、分かってんだよね?」と信じて貰えなかったと言う。 ちなみに油井やぐらに登って落ちた、ルーイー少年にこれを見せたら、何て言う?

アンカー 幻影爆撃

⑰1942年2月26日付ニューヨーク・タイムズ3面及び1943年1月30日付読売報知新聞

ニューヨーク・タイムズ及び、各地図書館新聞データベースで利用可能

 オレゴン州で日本軍の焼夷弾と思われる破片の発見を伝える、1942年9月15日付ニューヨーク・タイムズ。実は日本による「アメリカ本土航空機爆撃」というのも、一応は「実績」がある。日本側は潜水艦に飛行機を格納し、滑走路などないので、潜水艦につけたカタパルト(射出機)でこれを飛ばし、「本土爆撃」を実現。爆撃を実施した藤田信雄も生還を果たす。これだけでもかなり実験的かつ無謀な試みの大成功だが、戦後さらに藤田信雄はレーガン大統領から感謝状と星条旗を送られ、アメリカに招かれるとお土産に日本刀を持参(右下)。このあまりに突飛なエピソードの連続は、既に書籍やテレビにもなっている

https://trafficnews.jp/post/83777

 ルーイーのメインランドでの「映画館超低空飛行」の新聞記事は見つからなかったが、実はカリフォルニアでの潜水艦爆撃には続報がある。25日の未明に同地では「1~100機の未確認の飛行機を発見した」という情報が交錯し、第四迎撃司令部により5時間に及ぶ停電が、つまり強制灯火管制が執行され、迎撃司令部はこの「飛行隊」に向け、サーチライトと対空砲、曳光弾を発動。(炸裂するのが写真で確認できるとされる)民家には炸裂弾の破片が降り注ぎ、交通事故で2名が死亡した。(一人は警察署に出向く途中に、無灯火同士の車両で衝突。もう一人も車両同士の衝突)しかも騒ぎはこれで収まらず、「家で懐中電灯などで合図を送っていた」と通報された日本人が続出、30名の逮捕者が出たが、この内の20名を日本人が占めた。しかし結局の所、いかなる敵機襲来の証拠も見つからず、潜水艦の爆撃情報と共に、アメリカでは混乱が発生していたのが分かる。日本ではこの約一年後に、読売報知新聞がライフ紙とタイム誌の要約として、上記のカリフォルニアの件を伝え、潜水艦の砲弾の写真と敵機を探すサーチライトの写真と共に、「幻影の空襲」を「椿時(珍事)」として伝えている。でも確かその頃、日本ではアメリカの雑誌は読んだら「非国民」になるハズだったような・・・

⑱連合軍捕虜の墓銘碑

笹本妙子著

各地図書館及び中古売買で利用可能

 墓地の存在から、日本で亡くなった連合軍捕虜の調査を開始し、イギリス女王から名誉大英勲章を得た笹本妙子の著作。その活動は「212枚の認識票」というテレビ番組にもなり、現在でもPOW研究会を主宰(下記リンク)、埋もれた歴史に未だに光をあて続けている。各収容所での日本側の記録はインターネット上で英語でも報告されており、死者リストにはその死因も記され、日本で家族が行方不明となってしまった連合軍側遺族には、貴重な活動になっている

http://www.powresearch.jp/jp/index.html

⑲貝になった男

上坂冬子著

各地図書館、中古売買にて閲覧可能

 ルーイーやトム・ウェイド、フランク・ティンカーの送られた直江津収容所で、絞首刑になった8名の看守と、絞首刑を免れた第2代所長を追ったルポルタージュ。題名からすると加藤哲太郎が出てきそうだが、関係は全くなく、題名の意図する人物は処刑を免れた第2代所長、大田成実中尉。直江津収容所は戦後法廷で最も多い処刑数を生み、この家族の悲劇的な様子を取材した記録がある。このことは60名ものオーストラリア兵が亡くなってしまったことに原因しているのだが、死亡事故は1943年~44年に起きており、

http://www.powresearch.jp/jp/pdf_j/powlist/tokyo/tokyo_4b_naoetsu_j.pdf

 ルーイーやバードの到着以前なので、本書には彼らは登場せず、前述したセオドア・リー中尉(オーストラリア兵)に河野広明通訳兵、軍属で調理担当の本間さんが出て来るだけになる。「悪魔に追われし男」では「本間さん」は食料の横流しをしていたとあるが、本書では必死に食料をかき集めたとして、当時の数字も掲載されており、またリー中尉の手紙として、「本間さんや加藤さんをはじめ、人道としての基本を外さなかった人もいます」という表記もある。また終戦後のアメリカ軍の援助物資の投下が当たってしまい、生涯の怪我を負ってしまったり、亡くなってしまった日本人のことが記され、これは日本側の記録として、「13番目のミッション」や本編と一致するとも言える。ちなみにセオ・リーと仲が良かったトム・ウェイドに言わせると、この酷い暴行が蔓延していた直江津にバードが着任したことは、(1945年3月1日に配属)「逆説的にも思えるが、渡邊は罰則のほとんどを自身で執行すると強く主張したことで、最近では自分でも知らぬうちに、収容所の状況を改善させていた」とも。ただし引用でも触れたが、直江津に関してはイギリスの雑誌、After the battle紙でデビット・ミッチェルヒル・グリーンにより、”Japan's Worst POW Camp”として2015年に特集されており、そこでは45年の初旬より所長が変わり、柴野忠雄准尉という暴力的な看守が(後に絞首刑)異動になったことが状況改善の原因とされ、こういった日本側の虐待の記録は「貝になった男」には全く見られず、著しく公平性に欠けるともいえる。

https://www.docdroid.net/GpJqrc6/naetosu-japon-pow-ejecucion-sgt-siffleet-after-the-battle-169-pdf

⑳絵本版・Unbroken

ネル・ヤムトブ/ ラファル・スズラパ著

アマゾン等で新品を利用可能

 アメリカでは本書が子ども用に簡略化された絵本がある。しかし簡略版と侮るなかれ、読んでみると九死に一生の連続が、改めて絵で理解され、実際にあったと思うと相当に恐ろしい。また用語辞典に「サディスティック」「プロパガンダ」という言葉が、文字通り「子どもにも分かる簡単さで」記されているのが何ともありがたい。ちなみに世界一漫画化が上手いと言われる、日本人がこれを漫画にしたら?

㉑「Summer Dreams and the Kleig Light Gas Company:夏の夢とクレイグ・ライト・ガス社

シンシア・アップルホワイト著

アマゾン他、海外中古売買で利用可能

 実はシンシアが書いた本は現在でも中古売買でしっかり残っている。書評のサイトでは気になる人もいるようで、「これはルイス・ザンペリーニの妻のシンシア・アップルのホワイトの著作ですか?」と聞いている人もいて、買ってみた所、やはりそう。内容は年頃の女の子が都会へ出る話の一方、実際のシンシアは社交界デビューと共に秒速で結婚してしまい、出産もしてダメンズの夫!?を支えているので、この私小説は作者のありえたかもしれない青春時代!?と言ったら失礼なのであろうか?アメリカ人に言わせると、シンシア・アップルホワイトという名前は、道明寺玲子、白鳥川睦美、みたいに聞こえるそうで(小林丸)、内容はアメリカの南部文学の匂いがプンプンするとのこと。やっぱりこの人は、お嬢様!?

​㉒SHARK WEEKS / Adrift : 47 days with sharks 

ディスカバリーチャンネル・サメ特集週間 / 漂流 : サメとの47日間

google play や apple tv、各配信サイトにて、海外で利用可能

 ​世界まる見えの元ネタのテレビは、ディスカバリー・チャンネルになる。企画的には実はルーイーに焦点を当てたものではなく、サメ特集週間の5日間で放映した10エピソードの一つだった。(子どもが全部見たら間違いなく親に怒られた!?)

​ TVオンエアのタイミングは2012年で、アンブロークンの書籍版が出た後になり、ルーイーはまだ存命だったが出演はしておらず、番組内で 「60 minutes」と「アンブロークン」に言及があるように、内容やナレーションもこれらに準拠している。ルーイーは自分達の過去を話すくだりで、ナチの旗を盗んだり、不良時代の思い出、想像の調理も登場し、当たり前だが日本テレビとは異なり、日本軍による機銃掃射にも言及がある。

 残念ながら現在の所、日本国内での視聴の手段がないが、アメリカ等ではグーグル・プレイやアップルTVで単品購入ができる。(一度買ってしまえば、少なくともグーグル・プレイは国内での視聴もできる模様。日本でもロシア人や中国人を見習う!?)

30、「アンブロークン・パス・トゥ・レデンプション:贖罪への道)」

(日本からでも、アマゾン等でDVD ブルーレイの字幕版を購入可能も、日本語字幕はなし)

Universal pictures より

 日本では未公開かつ、誰も言及しない映画だが、「アンブロークン」には続編があり、こちらでは一応!?改宗への過程が回収される。だがルーイー役もバード役も役者が交代しており(マイナー・チェンジと言うなかれ)、ストーリーもなぜかロバート・トランブルが巣鴨に同行したり、シンシアが昔トーランスに住んでいたり、ライスへのブチ切れ事件がフレッド・ギャレットでなくてルーイーに差し変わっていたり、2人で借りる部屋が広くてオシャレだったり、エンドロールの写真のキャプションで、セシー(妻)と並ぶフィル(夫)のことをピートとしていたりと、This is Holly Wood!と言うべきか、凝縮が優先され記録には全くもって忠実ではない。(ただし〇歴に関しては、03年版ではなく56年版とアンブロークンを採用しており、攻めている!?)つまり映画では二つ合わせて4時間以上あるにも関わらず、1でも2でもパン屋の少年事件や大船収容所のエピソード、バード発見のニュースに、2度あったルーイー訪日の詳細を、ハッキリ描いておらず、権利の問題も見え隠れし、また映画とは情報を詰め込めばいい訳ではないが、映画版は尺で言えば1/4以下のCBSドキュメント・60 minutes に比べても、明らかに重要な要素を欠いていると言わざるをえない。またボイントンやジェームズ・ササキ、北村末得治に加納勇吉の存在を知るためには映像だけでは足りず、本を読まないと届かない。 こう書くと映画には全くいい所がないようだが、しかし酒乱と悪夢の再現は、実際にあったことを知って見ると、文章だけの理屈とは違って相当に恐ろしく、また最後にホーム・ビデオならぬホーム・フィルムがあり、貴重な提供になっている。これは「This is your life」 で貰ったベルハウウェルの16 mmフィルムで撮られたものだろうか?動画にはビクトリー・ボーイズ・キャンプの開墾の様子と思われる様子や、母親のシンシアが娘のシンシアに、どうやら着物の様なものを着せているものがある。もしこれが着物なら、(1950年来日の時のお土産?)これはやはり本物の赦しの証拠とならないだろうか?

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