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第13章 再起のチャンス

 A Second Chance

 

 「カネ儲けにはカネがかかる」

 昔のことわざには、こんなものがある。自分には銀行にまだ結構な残高があって、これでこの言葉を実証するには、なかなかに条件が揃っていた。実際、自分の頭の中には成功した際のあれやこれやが一杯で、全くもって楽観的だったが、これは時は大戦後の好景気の真っ只中で、誰もが「手っ取り早く利益を得るべく(※fast deals )」、「先んじて出し抜け(※working the angles)」なんていう、つまりは金儲けの話をしている状況だったからだ。自分としても、この恩恵に与らないつもりはなかったし、失われた時間を取り戻す必要も感じていた。それには普通の生活なんかではなく、投機案件を見つける必要があった。父親のようにずっと普通の給料で堅実にやっていく?アホらしい。落ち着いているヒマなどないのだ。オレは大きな成功を、すぐにでも収めてやりたかった。

 これに対し戦時余剰品は最高の投機対象になった。自分はまず、クォンセット・ハットを30棟競り落とすと、すぐさま映画スタジオに売り払った。彼らは貯蔵用にこの「かまぼこ」をあるだけ欲しがっていたのだ。そしてこのタマが切れると、次に戦争中に使われて少しだけ修理が必要な冷蔵庫に切り替え、これで利益を得た。さらには友達の一人と「レディー・フォン(※Ready Phone)」と呼ばれたビジネスに参入した。クリスタル技術が導入されたこの商品は、今でいう携帯電話の元祖とも言うべきもので、ここでもオレは利益を上げた。

1946年12月12付トーランス・ヘラルド

4章に出て来た、かまぼこ型・移動プレハブ兵舎と一緒に、ジャケットに寝具、テントなどが War Surplus : 戦時余剰品として広告に出ている。イメージとしては、沖縄や福生にある軍用品の放出店だろうか?かまぼこの値段は出ていないので、要相談と思われる。東京や大阪のおウチに、1つか2つ、あったら便利!?

 「どうだよ。元手があって付き合うべき相手さえ知っていれば、チョロいもんだろ」

 オレはシンシアに自慢してやった。

 「あと少しで、オマエが育った家なんかより、デッカイ家に引っ越すぞ」

 自分はシンシアの両親に、娘が決して間違った決断なんてしていないということを証明してやりたかった。

 「私、別に大きな家なんていらないわ、ルーイー」

 彼女は言った。

 「でも、ちっちゃいのでも買って、このアパートは出ていかないとダメね」

 「いやいや、ちょっと待って欲しい。これはね、あくまで運転資金なんだ。オレ達は今に、利息だけで生活していくんだよ」

 シンシアはこちらの言うことを全て信じた訳ではなかったが、しかしビジネスに対してアレコレと言ってくるようなこともなかった。自分が起業家であるが故に許される「フレックス・タイム」が、シンシアとてまんざらではなかったのだ。「オフィス」とはつまり2人の家のことで、互いを愛する若いカップルにとって、一緒に過ごすことほど楽しいことはない。

 こうして事業収支が増えてくると、それに連れて食指も動いてくる。だからUSC時代からの仲間でビジネス専攻だった2人が、フィリピンでD8ブルドーザー何台かの買い付け優先権を得たと言ってきた時、オレは大いに乗り気になった。彼らによると、7,000ドルも(※880万円)あれば在庫を取り置いて貰え、もし自分が投資をすれば6週間で2倍にして返すとのことだった。彼らは取引が正当であることを証明するため、サインの入った宣誓書も見せてきた。この商談にはシンシアも顔を出したのだが、商談の後にこの取引は不安だと言ってきて、しかしオレはこの異論に耳は貸さなかった。

 「彼らの言うことを聞いたろ?」

 オレは言った。

 「キミもその証拠を見てる。失敗なんてする訳がないんだから、オレもこれにヒトクチ乗りたいんだ」

 我らが代理人は、ハワイから来た一人の日本人の男だった。

 「ノー・プロブレム、です」

 彼はそう言うと、オレの銀行振出小切手7,000ドルを懐に入れ、その数時間後に取引を完結するべく、現地へと発った。

 「全ては、アンダー・コントロールです」

 

 夢踊るバラ色の未来、オレはその自信から、ハリー・リードと奴が新調した帆船、フライアウェイ号でアドベンチャー・クルーズに身を投じた。このマストが二本のみならず、ディーゼル・エンジンも搭載された帆船で、メキシコのアカプルコまで向かうのだ。他の乗組員は募集で集め、オレ達はまずは肩慣らしに船を走らせてから、2月の初旬に目的地へと向け出航した。

 アカプルコへ到着すると、その帰路バハ・カリフォルニア半島の先端のカボ・サン・ルーカスまで行き、そこから沖合の80マイル(※128キロ)のトレス・マリアス諸島へと向かったが、ここにはメキシコでも最も重い罪を犯した囚人達を集めた、巨大刑務所があった。しかしその途上、「タバスコ」と呼ばれるホワイト・スコール(※黒雲を伴わない白い暴風雨)に捕まると、これがかなりの暴風雨で、3/4インチ(※19ミリ)の舵棒をブチ折ると、船の帆をズタズタに切り裂いた。自分達は船の制御を取り戻すため、甲板の間にある貯蔵室をこじ開け、舵の本体に到達してから、輪っかのついたアイボルトを舵穴に突っ込まねばならず、しかもこの間フライアウェイ号は浸水を続けていた。クルー達はこの事態に一挙に対応できるほど熟練しておらず、自分が帆を引き下ろす役に回ると、この間にハリーは舵棒の作業に努めた。それから自分達はこの嵐を切り抜けたが、船体は床上数インチに渡って浸水すると、搭載された全ての電子機器、つまり冷蔵庫に無線、排水ポンプ、さらにはエンジンまでがショートしてしまっていた。

 しかも悪いことは重なるもので、嵐に飛ばされると船はほぼ100マイル近く(※160キロ)をコースから外れ、赤道無風帯まで来てしまっていた。だがここは自分にとっては勝手知ったる場所であって、いつぞやのような海面はまるでガラス面のように凪いでいた。風がなく、熱くて、そよりとも動きがない。運よく食料はあった。自分達はある島で、嵐の前に投錨していたのだ。この時島民が2人小舟を漕ぎだすとフライアウェイ号までやって来て、こちらがリンゴとオレンジを2人の子ども達へと渡すと、彼らはこちらが船を出す前に、バケツ何杯ものロブスターとココナッツを手に戻って来てくれたのだ。お陰で数日間に渡り、自分が帆布を縫ったり皆で今後どうすべきなのかを模索する間、自分達は鍋に何杯ものエビをたらふく食べては、ウォッカとココナッツミルクにライムを絞っては即席カクテルを楽しんだ。するとクルーの一人がこちらにこう聞いてきた。47日間もボートで漂流した後に、もう一度海で遭難するのは怖いものなのか?と。オレの答えはこうだ。

 「いや、全然。ロブスターと酒があるなら、あと47年だってこれを続けたっていいよ」

 それから1週間後、風が少し出てきて、オレ達はこれで陸へと向かった。内海に入る前から風に乗り、土と木々の匂いがやって来る。そこはプエルト・バヤルタと呼ばれる、自分は名前すら聞いたことのない(※メキシコ本土の)小さな村で、当時は空路か海路でしか行けない陸の孤島だったのだ。岸の周りには現地の人達が集まって来て、自分達に

 「アメリカからの船なんて、この12年もの間、見ちゃあいないよ」

 と言った。そしてそこの村長さんは、こちらを心から歓待してくれた。

 それから自分はシンシアへ、無事でいると連絡をとることができた。自分が消息を絶ったことはロサンゼルス・タイムズに、

 「ザンペリーニ、ロスの戦争の英雄、海上にボートで行方不明」

 と、一面の見出しになってしまったそうだった。そんなこんなで自分がようやっと帰ると、シンシアにはさらなる悪い知らせといい知らせ、その両方があった。

  左からアカザエビ画像、アカザエビ、イセエビ、ロブスター

原文でも表記が二転三転しますがエビはエビで結構適当です

 1948年1月14日付、ロサンゼルス・タイムズと、その後の無事を知らせる3月8日ワイオミング・デイリー・プレス・ジャーナル。船旅は計画するだけで通信社レベルの新聞記事になり、アイオワ州のデモイン・レジスターでは、海への尽きない願望(Unquenched : 漂流したのにそれでもまだ行きたいの?)とし、ロサンゼルス・タイムズには、一緒に行きたい人はヨットセンターに電話してね、と電話番号も書いてある。ちなみにシンシアによると、遭難後はルーイーだけが「ビジネスを見ていないといけないので」船とは別に飛行機で帰ることになっている

 悪い方はブルドーザーの取引で、こちらのハワイの代表が、資金を横領して自分と家族のために使ってしまったというものだ。これで投資した資金はビタ1セント残らず失ったことになる。オレは弁護士を雇うとこの男を告訴して、結局の所、少額ながら月々に返済をさせることになり、それはまあいいのだが、このせいで自分には他の場所で投資し直すためのまとまった資金を失ってしまった。

 いい方はそう、シンシアが妊娠したのだ。

 

 これに自分はとても嬉しかったが、同時にうろたえてもしまった。よりによってこんな時に、どうやって我が子をこの世界へと迎えられると言うのだろう?カネは無くしてしまったし、自分達は薄汚いアパート暮らしだ。同じ階の住人達は、数日おきにデッカイ声で喧嘩をしているし、毎週日曜の夜になると、上の階ではラジオが大音量で深夜遅くにまでかかっている。部屋のブレーカーが落ちるのは日常茶飯事だし、冬ともなるとガスヒーターに加えて電気ヒーターが使われ、これがさらに酷い。

 オレは自分の不安や恐れの類をシンシアに隠そうともしなかったが、おそらくは相手のことも考えるべきだったろう。シンシアは夜な夜な寝返りを繰り返しては、自分の持つ不安に加え、オレへの心配まで抱え込んだのだ。彼女は一度は見切りをつけた、自分を愛する両親と使用人に囲まれた安穏とした人生を思い返すと、時折回想にふけるようになった。それから突如としてこの物思いと後悔を振り払うと、オレを抱きしめた。自分の体には彼女を通して不安が通じる。自分はそんな状況に罪悪感を覚えると、苦々しくも情けないことこの上なかった。自分はシンシアを安心させるため、できる限りのことをし、何度も彼女に快適な生活や、夢に見たこともないような人生を送らせたいと言ったのだが、しかし自分達は2人共、自分の言葉には行動が伴わないことも知っていた。

 追いつめられた自分は再び祈りへとすがるようになっていった。しかしこれはシンシアにはバレないようにせねばならなかった。自分はかなり前からシンシアに、手段を尽くして教会に行かないよう、他人の哲学や規則に従って生きるなと言っていたのだ。どのツラ下げて自分だけそんなことができよう?自分はこの2年もの間、シンシアを礼拝から遠ざけており、彼女がこれを面白く思っていないことも分かっていた。だが今や自分はにっちもさっちも行かなくなり、夜な夜な部屋の中をせわしなく歩き回っては、神にどうして再び自分を見捨てるのか?と問い続けた。

 「あの苦難を生き延びて、自分には報われる資格がないハズがあろうか?あなたはかつて私へ奇跡を起こし、ならば今こそ救いよあれ」

 だが一体、自分はどんな「報い」を望んだのだろう?

 「神よ、我が資金を取り戻し、それで家族にマトモな生活ができるよう、倍増させるのをお助け下さい」

 そんなこんなで朝になれば、まあだいたいは気分がよくなっていた。

 

 そして自分は自らを救済し仕事を探すより、神の御加護を待つことにした。色々あったが結局いつでも自分は「ラッキー・ルーイー」なのだ。そう思うと、今までうまくいかなかったのはすぐに神に祈らなかったからなのだと確信するようになり、その間も早急な資金回収や、短期間で金持ちになるような戦略にのめり込んでいった。だから一人の友達が自分に、エジプトで映画会社を立ち上げるのを手伝って欲しいと言ってきた時、オレは大いに期待したが、あいにく計画は頓挫した。また政情不安なカリブ海政府の野党の一員が、自分に革命に加わって欲しいと要請してきたこともある。彼は既にB-24を数機用意していて、必要なのはパイロットと航空士、さらに爆撃手だけだったのだ。これには前金で千ドル(※およそ120万円)が払われ、任務完了と共にもう千ドルが払われるとのことだった。だが自分がこの計画に乗るかどうか考えているうちに、革命自体が頓挫した。次には、史上初となるタヒチまでの旅客船サービスを就航させるという計画に加わり、これには自身が財を成すのを待っている間に、肝心のヨットが没収されてしまった。

 それから、絶対に儲かる案件がやって来た。メキシコでハンティングや釣りをするにはライセンスが必要だったのだが、これには安定した取得方法がなく、これがアメリカの愛好家達には不便極まりなかった。そこでオレは一連の紹介を通し、メキシコ・シティの財力と影響力のある実業家と会った。彼はメキシコ海軍長官、エンリコ・ロメイとも繋がりがあるとのことで、彼らは何とオレに、アメリカでのライセンス販売権を独占的に与えることで合意したのだ。これにはシンシアでさえ自分達の見通しは明るく、巨額の売り上げが得られると考えた。ところが自分のパートナーが契約締結に必要なサインを得るべく、メキシコまで車で走ると、大型トラックと正面衝突して亡くなってしまい、するとこれで一瞬にして契約は白紙撤回となってしまった。

 文無しになり、やるせない怒りに燃え、オレは数日の間、街を出た。すると自分が不在の間、キャピトルと言う小さなレコード会社で働いていた友達の一人が電話を寄越して、キャピトルの株を今すぐ買えるだけ買うように言ってきた。果たしてその翌日株価は跳ね上がり、さらにその翌日になってから自分は電話のことを知り、彼が大金を手にしたのも知った。彼は正午に買ってその数時間後に、元値の6倍の値段で売り抜けていたのだ。

 事の真相など他人の目には極めて明白だったのだろうが、それがようやく自分にも明らかになってきた。どれだけ懸命に祈ろうが、もはや自分が成功などしないということだ。「ラッキー・ルーイー」はその姿を消し、神は何も聞いてはくれない。生きていくには泥水をすすってでも、自分で何とかせねばならないということだ。

 

 1949年1月7日。自分達の娘である、シンシア・バトル・ザンペリーニが生まれ、すぐにシッシーという愛称が付けられた。(※母シンシアと全くの同名Cynthia で、ミドルネームがBattle)自分達は幸せこの上なかったのだが、しかし遊びに来ていた義理の母が、この至福の瞬間に水を差した。

 「ルーイー、ここは赤ちゃんを育てる場所じゃない。庭だってないし、日差しだって窓に1日、10分しか射さないじゃない。ここからは引っ越すと、約束して」

 通りを挟んだ所の、殺風景で小さな部屋を借りていたアップルホワイト夫人は、自分たちの惨めな状況を見かねると、しょっちゅう大きな声を出した。

 彼女は善意で言ってはいたが、しかしお陰でこちらは爆発寸前となった。

 「自分は自分で、最善を尽くしてはいるんです」

 オレは冷ややかに言った。

 「今はちょっと、運気が悪いだけですから」

 自分は事態を説明しようとしたのだが、しかしこちらが説明をすればする程に彼女は取り乱して行った。そしてそれはいつなんどき、彼女が有無を言わさずにシンシアと赤ん坊を連れ、黙ってそのまま一緒にマイアミに帰るのではないかと思う程だった。最終的には帰ったのは彼女一人だけだったが、ところが今度は次にシンシアが消沈していった。これに自分はシンシアを責めることができなかった。赤ん坊と家にいることを強制され、彼女はまるで地下に住むモグラの様だと不満をこぼしていたのだ。ある日、商用から帰って部屋に入ると、香水やハンドクリーム、フェイスパウダーの瓶が割れ、床に散乱していたことがある。壁の絵の類も斜めになってぶら下がり、そのいくつかは破損していた。

 「どうしたんだ、一体?」

 そう聞かれると、シンシアはわっと泣き出した。

 「もうたくさんなだけ。それだけ、もうウンザリ!」

 再びにして、オレはそう言われても彼女を責めることはできなかった。とはいえ、自分のせいとも思わなかった。

 「オレだって努力してるんだ」

 「ルーイー、仕事探しなさいよ。こんな調子で毎回毎回、不安に怯えてなんかやっていけないわ」

 「いっこ探しに行ってるけど、石油工学の資格があるかって聞かれて、ウソつく訳にいかないだろ、ないんだから。別のとこは何か学位が必要だっていうけど、その科目はオレないし」

 シンシアはこれに、オレにほぼ唾を吐きかけるかのように言った。

 「ドカタでも何でもするなら、学位なんて要らないじゃない。あなたが人に使われるのが嫌なことくらい分かってる。でもやらなきゃいけない時だってあるの。一時的にでもいいから」

 オレはこの、当然すぎる良識とシンシアの懇願は無視すると、モゴモゴと言っては、のらりくらりと話題を変えた。だが心の内では煮えくり返っていた。オレのこの葛藤を、抱えた問題と失意の思いを、誰ひとりとして理解はしてくれないのだろうか?週給なんかでどうやって、彼女にふさわしい物、全てを用意しろというのだろうか?

 現在も文中の場所のすぐそばにある、ほぼ同名の月貸アパート。義理の母が見かねて泣き、「モグラみたい」という当時の状況は、03年版より56年版に詳しい。写真とネット内覧だと、悪くないし値段も比較的安い!?ようだけど、ネットで口コミを見てみると・・・        →詳細はコラム4へ

 当時は小さなレコード会社だった!?1956年落成、キャピトル・レコード・タワー。この老舗中の老舗は後に、ビートルズや坂本九も在籍することになるが、1955年にはイギリスのEMIが買い取り、本書の第一版の出版年である56年に13階建ての建物が完成、名所となり今ではレゴ・ブロックにもなっている。とはいえ、デモトは知りませんが、株のインサイダー取引は犯罪です

 家庭で増大するストレスでオレの見る悪夢は悪化し、酒量も増えて行った。ことある毎に感情の自制を失い、普段にも増して喧嘩の数も増える。後になって最も自分を良心の呵責で苛んだのは、シッシーが泣いていた時に感じた憤怒だ。自分とてシッシーのことを心から愛していたし、毎晩夜に起きては、ミルクやオムツ替えに奔走していた。だが神経が強く逆立っている今、泣き声の一つ一つはまるでナイフのように鋭く自分に入ってきて、失望したのは自分自身だけでなく、まるでシッシーですらそう感じているように思えた。ある日の午後、シンシアが買い物に出ている時に自分は赤ん坊を見るために家に残り、仕事ができるよう、シッシーには寝ていてくれるように願っていた。アパートにはつかの間の平穏な時間が流れていて、しかしシッシーが目を開け泣き出すと、その声はどんどんと大きくなっていった。

 「静かにしろ!静かにだ!」

 自分は部屋の向こうから大きな声で叫び、それにシッシーは、より大きな声で泣いて応えた。自分は何を考えるでもなく、フラストレーションから無意識にシッシーを抱き上げると、抱きしめる代わりに強く揺すった。

 「静かに!静かに!」

 するとぼんやりと、まるで遠くから聞こえてくるかのように、人の声が聞こえてきた

 「ルーイー!」

 そこにはシンシアが帰っていた。振り返ると彼女は玄関口に立っていて、その顔は色を失い蒼白となると、目には恐怖が浮かんでいた。そして手に持っていた買い物袋を床に落とすと、自分の手から赤ん坊を奪い取った。

 「そんなことしたら、死んじゃうじゃない!」

 シンシアは金切り声を上げた。

 「そんな、バカな・・・」

 自分は徐々に正気に戻りながら、掠れた声でそう言うのがやっとだった。

 それから、そんなことは2度と起きはしなかった。しかし時折、うなされた悪夢より暗闇の中に汗びっしょりとなって起きると、シンシアがベッドでシクシクと泣いているのに気がつくようになった。

 「分からないわ、ルーイー」

 自分がどうしたんだ?と、まるで何も知らないかのように聞くと、彼女はこう答えた。

 「あなたのことを愛してるし、あなただって私を愛してて、こんなに可愛い赤ちゃんもいる。でも、もし私達にお金が欲しいだけあったとしたって、それでも今のままじゃ何かが足りないの。それが何なのか分からないけど、でも何かが足りないのよ」

 そんなことを言われて、自分は一体何と答えられるだろう?それから彼女の感情はどこかに消え、オレ達は来る日も来る日も、金のやりくりやそれ以上のことについて口論するようになり、そしてある日、彼女は何の前触れもなしに言った。

 「こんなことが続くなら、ルーイー、もう私達一緒にはいない方がいい。目を覚まして欲しいの。あなたが喜ぶようなことは私には一切できないし、あなたまるで私のことが嫌いみたいじゃない」

 「別に嫌いじゃないさ」

 オレは噛みついた。

 「オレは負け犬だって、キミがイチイチ指摘するのが嫌なんだよ」

 さらに自分は、シンシアのことを愛していると、また今言った宣言の通りにされてしまうことが、バードから毎日殴打を受けたことなんかよりも、ずっと怖いことだと言いたかったのだが、その勇気が湧かなかった。

 

 ある日の午後、2人で使っている卓上カレンダーをめくっていると、鉛筆で書かれたシンシアの字で、気になる書き込みがあった。そこには「棚卸」とあり、これが何を意味するのかは分からなかったが、自分には何とも不安が掻き立てられた。一体何の棚卸しをすると言うのだろう?服?所有物全般?それとも結婚生活そのもの?自分は今までの喧嘩の数々を思い返すと、それはもう既に相当な回数で、自分はシンシアにそんなことをさせる段階に至らせた、決定的な事件がなかったか頭を巡らせた。すると思い当たる節があった。それは去年のクリスマス・イブの、まだシッシーが生まれる前のことだ。

 あるパーティーのために、自分達がドレス・アップしていると、シンシアが会場へ行く途中で、教会に止まって欲しいと言ってきたのだ。そしてそれに自分がどれだけ反対して言い合いとなっても、彼女はあきらめようとはせず、それから2人で車に乗った時も、シンシアは同じ話を繰り返した。

 「うるさいぞ、パーティーに遅れるだろうが」

 オレはそう言ったが、彼女は引き下がらなかった。

 「遅れたりなんてしないわ。だって教会なら次のブロックにあるから。あなたが行かせてくれないせいで、もう2年も教会に行ってないわ。もう私だってしたいようにするの。数分の間だけでも、否が応でも行くの」

 オレはシンシアを睨みつけた。それから教会の前で急ブレーキを踏んでやると言った。

 「分かった、じゃあ勝手にしろ。だが5分で帰らなかったら、オレは一人でパーティーに行くぞ」

 オレは大きなお腹を抱え、階段で悪戦苦闘するシンシアを見つめていた。それから自分の時計に目を移すと、頭が1秒ごとにドキンドキンと脈打った。どうしてここまで信仰や神を毛嫌いするのか、自分とてシンシアに説明がつかない。シンシアだって理解などせず、きっとオレはバカだとでも言うんだろう。自分はともかくパーティー会場に着きたくて、何杯か酒をひっかけて、シンシアの気まぐれと惨めな自分のことなど忘れてしまいたかった。それにしてもどうして突然シンシアは、教会のことにそこまで熱心になったのだろう?何がそんなに重要なのか?

 車のドアが開くと、シンシアが車内へと帰ってきた。彼女はこちらを見ようとはせず、だがその様子はさっきより落ち着いているようだった。

 「2人のために、簡単なお祈りを上げてきたのよ、ルーイー。ただそれだけ」

 それからシンシアは、こちらが車を運転している間、窓の外を見つめ、オレは自分が祈っても効果はなかったんだし、シンシアとて祈っても時間の無駄だっただろうと思った。

 

 1948年の終わりには、自分は遂に全くの一文無しとなった。家賃等の支払いのため、自分は車を担保とすると、ある友達から千ドル(※116万円)を借り、決められた期日迄に借金を返せなければ、彼がその車を自分の物とできるとした。一方シンシアはシッシーと共にマイアミに両親の元へと行き、そして戻って来た時には恐れていた通り、離婚を決意していた。彼女によれば2人の状況はもはや絶望的で、オレには決まった収入もなく、数々の人間に「騙され」、酒に溺れ、怒り狂い、情緒不安定そのものだった。シンシアはオレのことを愛していたが、もはやそれだけではもうどうにもならなかったのだ。

 自分は離婚などしたくなかったが、しかし心中は自己憐憫のスパイラルに囚われ、自分が言えたことと言えば、

 「そうかい、その通り。オレがこんなんじゃあ、オマエも離婚して当然だよ。だけどこの状況で、一体オレにどうしろってんだよ」

 ということだけだった。自分は高過ぎるプライドと、あまりに恥を嫌うが故に人に助けを求めることができず、自分の家族にすら話をすることができなかった。そして心の内では、シンシアの言うことが全く以って正しいことも理解していた。

 オレはシンシアを失望させ、家族を失望させ、自分自身をも失望させた。

 

 ところがシンシアは、オレ達はもう終わりだと言っておきながらさっさと出て行こうとはせず、以前とほぼ同じように自分との生活を続けた。そんな1949年の9月、同じアパートに新しい住人が一人引っ越してきた。彼は若くて感じのいい青年で、落ち着いた感じかつ気さくで、すぐに自分が強い(※キリスト教への)信仰心を持っていることをこちらに明かしてきた。それから自分がその時の取引を仕上げていると、彼はシンシアと話し込んでは時間を過ごすようになった。彼の訪問はシンシアに離婚を思い留まらせるものではなかったが、それでも2人は話していると、シンシアが落ち着いていくようだった。ある晩、彼はロサンゼルスの都心にあるヒル・ストリートとワシントン大通りの交差点に、大きな仮設テントを設置した牧師(※エバンジェリスト)がいるので、一緒に説法を聞きに行こうと誘ってきた。自分がどうしようもない負け犬かつ罪人であることくらい、知っていたが、しかし彼が神だの教会だのと話をし始めると、オレは自分のことを非難されているように感じた。説教なら真っ平ご免だ。

その時の仮設テントの様子。この時の動画も残っている。左の画像はそのまま後述のポスターに。

https://www.youtube.com/watch?v=CUDKehwFWjg

 「そういうのは、オレ達には必要ないね」

 オレはフン、という感じで言った。すると彼はそれ以上は言ってこず、しかし彼が帰ると今度はシンシアが言ってきた。

 「私はどうしても行きたいの。この伝道師のことなら聞いたことがあって、興味があるの」

 「ダメだ」

 オレは言った。

 「絶対にダメだ」

 シンシアは敬虔なプロテスタントの家庭環境に育ち、自分達の精神的な幸せを本気で気にかけていて、オレは自身の宗教アレルギーかつ、シンシアが教会へ行くことへの頑な態度にも関わらず、この点では彼女を認めていた。とは言え仮設テントに行って「信仰復帰運動」とやらに参加して、そこにいる人がアーアー唸ったり、泣いたり叫んだりするなんて・・・アホな話でしかない。

 実は自分は以前に、「ホーリー・ローラーズ」と接したことがあったのだ。子どもの頃、彼らは街にやって来たのだが、しかしトーランスの市街地へ入ることを許されなかった。そこで自分と友達は、夜に何度かこっそり向こうの敷地に侵入し、地面に伏せると仮設テントを下から覗いて、そこでキチ〇イどもが自ら繰り広げる「狂宴」を見ていたのだ。そこでは人が口から泡を吹いて、おがくずが敷いてある上に這いつくばったり、半狂乱になって叫んでいた。その内の数人に至っては、仰向けになって寝転ぶと神を拝んでいた。そんなことをするから、奴らは「ホーリー・ローラーズ」と呼ばれたのだ。

 自分達が街に帰ってからこのことをカソリックの神父に言うと、神父は自分達にもう行くなと警告した。

 「悪魔に魅入られてるんだ。近づいちゃイカン」

 ○○に魅入られてる人々!?と言ったら失礼ですが、画像は映画「ジーザス・キャンプ」(左)と、WIKIWANDより、福音派で有名なペンテコスタリズム(右)。ホーリー・ローラーズとは、元は19世紀のプロテスタントの一派が、礼拝中などに「聖なる聖霊の影響下に自分がいると感じた時、踊ったり震えたり音を出して騒いでいた」ことから—Wikipediaより。こういった人達は現在でもいるが変人扱いもされ、ホーリー・ローラーズという言葉自体が「変なことをする人」の意味で使われたりもする。ビリー・グラハムがこうしたことをしたという記録はないが、当時グラハムは教会へ行こうという、リバイバル運動を展開していた​ https://en.wikipedia.org/wiki/Holy_Roller

 それから数日後、我らがご近所さんは、またしてもオレ達に集会にご一緒しましょうと言ってきて、今回はシンシアが一人でついて行くことになった。どうせオレ達は別れるんだし、別に行こうが行くまいが変わりはない。オレは代わりにパーティーへと行った。

 その夜遅く、飲み過ぎてフラフラになって帰ると、シンシアが家でニコニコしているのを見つけた。どうも様子がおかしく、何と顔には珍しく笑顔を浮かべ、落ち着いて振舞う様子は正直に言うと不気味で、漠然と不穏な空気を放っていた。

 「どうしたんだ?」

 こちらが聞くとシンシアは言った。

 「尊師、ビリー・グラハムの演説に行ったのよ」

 「それで?」

 興味などなかったが、オレは新たな喧嘩を予期して身構えた。

 「とってもよかったのよ。あなたが想像するような物じゃあ、全然ないのよ」

 「なんでオレが考えてることが分かるんだよ?」

 オレはつっかえながら話し、何やら危険な物を感じた。

 「もうルーイー、私はいつも、私達の生活には何かが欠けてるって言ってるでしょう?それが今何か分かったのよ。生まれて初めて心に平安を得られたの」

 「そりゃあよかったね」

 オレはため息をつくとシンシアの話は全て流した。

 「そりゃあよかったよ。オレは疲れたから、もう寝よう」

 「まだよルーイー。ちょっと聞いて。私はイエス・キリストを自分の救世主として受け入れたの」

 オレはこれにもう泣いていいのやら笑っていいのやら、はたまた叫んだらいいのやら分からなくなってしまった。宗教なんてもんにハマるのは、婆さんか子どもくらいなものであって、シンシアもそこまでバカではないハズだ。オレは口を閉ざすとシンシアはただニコニコと笑っているだけで、こちらはベッドに入った。

 

 次の日の朝、それは一つのことを除けばいつもと何も変わらない朝のようだった。一つのこと、―それはシンシアがオレに、繰り返し強く集会に行くよう言ってきたのだ。だがこちらも折れはしなかった。

 「オレが宗教のことをどう思ってんのかよく分かってるだろう」

 オレは噛みついた。

 「よせ。どうせそんなもん理解しないだろうし、気にも食わない」

 「自分のことを分かっていないんだもの、そりゃあ理解できないわ」

 シンシアは感情的になることもなく言ってきた。

 さらにシンシアは、例のクリスチャンのお隣さんと一緒になると、オレにさらなる攻勢をかけてきた。こうなるとこちらも、できるだけ彼らのそばにはいないようにするしかない。それでこちらも相手にはしないという意志が伝わり、彼らもあきらめると思ったのだ。するとやがて彼らの攻勢も弱まった。その週の終わりには、ビリー・グラハムとやらも仮設テントを畳んで街を出ることもあり、これが影響したのだろう。ところがその週も迎えた土曜の晩、グラハム博士が大好評につきあと3週に渡って街にいるのよと、シンシアは言うと、またしてもオレを説得にかかってきた。

 「ビリー・グラハムは、ずうっと説教ばっかりする訳じゃないのよ。色んなことを話すんだけど、例えば、どれだけ科学的な事実が聖書には見られるか、とかなの」

 「科学だって?」

 迂闊にもオレは、これに思わず聞いてしまった。シンシアはこちらが科学になら興味があるのを知っていたのだ。そして一度オレの好奇心を捉えたのを見ると、もはや攻勢が止むことはなかった。

 その夜、シンシアは改めてもう一度、オレに自分を集会に連れて行くように言った。ここまでされて、何を抵抗できよう?渋々ながらも、自分はこれを受け入れることにした。

 仮設テントの外の看板には、こんな文言が謳われていた。

 「偉大なるロサンゼルス十字軍。6,000席、入場無料」

 オレは入り口のそばにある、グラハム博士とやらの写真をまじまじと眺めてみた。片手で開いた聖書を持ち、何やら生真面目そうな若者に見える。だがそれ以外の点においては、ビリー・グラハムは自分のイメージからすれば、とても福音伝道師などには見えなかった。そしてテントの中で幾つかの讃美歌が終わり、彼が一人の男よりグラハム博士と紹介され、確固とした調子で演壇に上がった時、その印象は自分の中で現実のものとなった。

 科学と宗教:日本では誰も「神道や仏教は科学と矛盾するからウソだ」とは言わないのだが、西側では聖書は科学と矛盾するからウソだと言う人が多い。表向きにはアインシュタインが両者は同根異種と言った、またキリストが科学を予知していた、ということで手打ちになっているが本音では納得しない人が多く、逆にここさえクリアすれば入信する理由になるのか、「サイエン○○」とか、「○○の科学」とか、教義名に科学を入れる○○宗教があるのは、皆さんもよくご存じの通り。

 一方で当時の戦争で傷ついたアメリカでは、グラハムの説法は大盛況で、3週間の予定が8週間へと延長になったという。画像は延長を告知するポスターとテント内の様子

 背が高く、容姿端麗にして端正、鍛えた体躯に澄んだ青い目を持つかの男は、写真のそれよりもさらに若く見えた。彼はまっすぐに屹立すると、肩を張る。

 シンシアは演壇を見つめると、うっとりとして輝いて見えた。オレは椅子に深く座ると、いつでも耳が塞げるように身構えた。自分は好奇心からノコノコと出てきてしまったのかもしれないが、いかなる影響も受けるまいと心に決めたのだ。

 どうせグラハムの演説は、罪人が地獄の業火に苛まれる、その真っ只中より始まる。自分はそう予想していたのだが、しかし意外なことに、グラハムはたった一人の人物のことしか話さなかった。イエス・キリストだ。そしてその語り口は、果敢かつ自信に満ちていた。まあ何はともあれ、彼の心意気は買うとしよう。自分が見た「ホーリー・ローラーズ」みたいに、彼はバカみたいなことを叫ぶでもなく、聖書にある言葉だけを正確に読んで見せた。いいだろう。彼はマトモな人間なのだ。とはいえそれでも、自分は話を信じようとは思わなかった。話について行くのに問題もあったし、それに何とも落ち着かない気分だった。

 「おい、ところで科学の話は一体どこへ行ったんだ?」

 自分は我が妻に聞いた。

 「焦らないで。よく聞くの」

 だが聞けば聞く程に、これは自分をここに来させるために、シンシアが仕組んだ罠であるとオレは確信した。これは簡単な講義の類ではないし、科学の話なんかでは全くなかったからだ。

 「この世界に於いて、善のみを行い、罪を犯さぬ人など、一人もいません」(※コへレトの言葉7:20)

 グラハム博士は続ける。

 「そして罪を犯した人、その全てに、神の栄光が届くことはありません」(※ローマ人への手紙3:23)

 全くもって、これは科学の話なんかじゃあない。これは罪に対する説教であって、しかもこの話は自分のために行われていると、そう考えても不思議でない程に図星と言えた。だが自分が完璧でないことぐらい百も承知というもので、それを指摘されるなど、不愉快以外の何物でもない。聖書ってのは人に安らぎを与える物であって、人を不安にさせるものではないはずだ。グラハム博士は、善い行いをしても人は天国に行けないとでも言わんとしているのか?まあいい、奴とこのデカいテントのことなど知ったことか。オレとて善行なら多く行ってきた。気前よく、カネがない時にですら、貧乏な人に分け与えてきたのだ。自分の家族だって愛していたし、浮気をした訳でもない。天国なんぞ自力で行ってやる。

 するとグラハム博士は言った。

 「神は我々の行った正しき行いにより、我らを救うことはありません。神の慈悲なくして、我らは神より救われない」(※テトスへの手紙3:5)

 これにオレは思わず椅子にまっすぐ座り直した。グラハムは一体どうやってこっちが考えていることを察したのだろう?彼はさらに続ける。

 「神はこの世界を愛するが余り、彼を信ずる者には誰もが滅することなき永遠の命を与うるべく、独り子たる御子をも差し出されたのです」(※ヨハネによる福音書 3:16)

 するとオレの中で怒りが消え、恐怖がそれに取って代わった。オレはシンシアの腕を強く掴むと言った。

 「行くぞ、今すぐだ。2度とこんな場所にオレを連れて来るな」

 オレはシンシアを後ろに引きずると、ほぼ逃げ出すかのようにテントを出て行った。

 その夜、オレは眠れなかった。悪夢が現れたのだ。それはかつてない程の恐怖に溢れ、気も狂う程にオレを駆り立てると人生を破滅させるものだった。バードのあの重い金属ベルトが、何度も何度も自分の頭に向かって打たれる度に、悪魔の顔とバードのそれはもはやその区別をなくしていく。朝になるとオレは塞ぎ込み、シンシアのほぼ途切れることのない、今夜もテントに行こうと言う誘いには無視を決め込んだ。だがシンシアは、それでもあきらめようとはしなかった。数時間にも渡る口論の末、オレはテントへ戻ることに同意した。

 「ただ、一つ条件がある。あの男が、誰もが目を閉じ頭を垂れよと言ったら、オレ達はあそこを出る」

 この免責がある限り、自分でも何とか対処できると思ったのだ。

 

 再び讃美歌を幾つか聞くと、その後にグラハム博士は語り始めた。物質的な富がいかに空疎な物であるか、それで救いを買うことなどできず、救いはそれ自体が神からの恵みであると言った。

 「例え世界の全てを得ようとも、魂を失うのならそこから一体、何が得られるというのでしょう?」(※マルコによる福音書8:36)

 確かに自分は一攫千金を求め、その手の商取引に首を突っ込んでいた。だが正当な手段で金持ちになって何が悪いと言うのか?そのカネでできるあらゆる慈善について、考えてもみたらどうだろう?オレはグラハム博士がさらに聖書の引用をする間、座席の中で落ち着くことなくモゾモゾと動いた。

 「もしあなたが、自らの口でイエス・キリストが主であると告白し、神がその御子を死より甦らせ給うたと心より信ずるなら、あなたは救われるのです」(※ローマ人への手紙10:9)

 これにオレは頭に血が上り、しかし次の瞬間、あの戦争のことを考えていた。大洋の波間に揺れる救命ボートの上で、空腹で渇き切り絶望する中、自分はただひたすらに祈り続けていた。例え自分があの時、中途半端なカソリックではなく無神論者だったとしても、自分は祈っていただろう。人間とはそういうものだ。もはやこの先、望みなど何もないと悟ると、人は必ず何かに向かって上を見上げる。自分は幾千もの祈りを口にし、そしてさらに数え切れない程の祈りを収容所の2年半で口にした。それが今、溢れ出ては止めどなく甦る。おそらく自分は戦争中に、グラハム博士とその家族が生涯に祈った以上に祈っていただろう。

 「神よ、私をこの戦争から無事に帰してください。そうすれば私はあなたを求め、お仕えすることをお約束いたします」

 自分は生きて故郷に戻ったにも関わらず、自分以外に誰もそのことを指摘できないのをいいことに、この誓いを完全なまでに破ったのだ。そう思うと自分には、途方もない罪悪感がのしかかる。

 「イエス・キリストを自らの救世主と受け入れると」

 グラハム博士は続ける。

 「あなたは神の御心により生まれ変わるのです。人生はその姿を変え、あなたはイエス・キリストの内の新たな一人となるのです。覚えておきなさい、イエス・キリストが求めるのはあなたの人生のいっとき、一部分などではなく、その全てです。あなたに自らの罪を悔い改め、そして完全かつ全ての生涯をかのお方に委ね、従うことを望んでおられるのです」

 全てを委ねろ!?何とまあ吹っ掛けてきたもんだ。自分にはできない相談であって、今、全てを委ねたいのは、このテントから永遠に逃げて行きたいという、この圧倒的な願望だけだ。自分は自らを責める思いに耐えられない。ここからは出て行く必要があるのだ。酒が今すぐにでも必要だ。

 だがまさに立ち上がろうとした時、グラハム博士はある一節を読み、これに自分は思わず愕然として立ち止まった。

 「その証しとは、神が我々に永遠の命を与え、そしてこの命は神の御子の内に宿るということです。かの御子を受け入れる者はこの命を得、受け入れないものは得ない(※ヨハネの手紙5:11、12)」

 途轍もなく重い何かが、自分の胸を押し付ける。喉が締め付けられ、オレは空気を求めて喘いだ。自分は子どもの頃、特にクリスマスが近くなると、イエス・キリストは神の御子だと受け入れていた。しかし自分の人生に神の御子が宿っているかというと、そうではないことを自分は知っていた。本当の意味では受け入れてなどいない。とてもそんなことは言えないのだ。

 「あなたは、どんな人生を生きているのでしょう?」

 グラハム博士が問いかける。

 「あなたはその人生に満足していますか?聖書では罪を犯す全ての人々は、神の栄光に仕えることができると言っています」

 するとその瞬間、今まで自分が犯してきた、堕落と過ちに満ちた人生が目の前で走馬灯のように流れ、認めたくなくとも自分がせねばならないこととは何であるのか、その端緒が体に伝わってきた。

 とはいえ、自分はそんなことはしたくないのだ。なぜか?人は光より暗闇を好むからだ。どうやってあの華やかなパーティーや美酒、愉悦を求めて刹那的に生きることを、あきらめられよう?

 グラハム博士はその質問にも答えた。

 「多くの人が、自分はクリスチャンとしてふさわしい人生を生きられないと思うが故に、イエス・キリストのことを拒むのです。いいでしょう、なぜなら助力を無くして、誰一人としてクリスチャンとして生きられる人などいないからです」

 ①人は光より暗闇を好む:ヨハネによる福音書 3:19・20 「悪を行いし者達は、光より暗きを好む。(中略)そして自らの行いが明るみに出ることを恐れ、光へと歩み出ようとはしない」―悪いことをする人は、悪いと承知でそれを行い、自らの行為を自分で名乗り出たりはしない

 ②クリスチャンとしてふさわしい人生:

 隣人を愛し、汝の敵を愛し、侮辱を甘んじて受け入れ、人の悪口を言わず、収入の幾らかを献金し、片方の頬を張られたら反対側を差し出す、等々

 自分はキリストを受け入れるなら、人は完璧でなければならないと思っていた。だが、グラハムは言った。

 「イエス・キリストは、あなたにこの助力をお与え下さることをお約束されました。『私は自分の正義なる右手にて、あなたを支える。もしあなたの暮らしに患いがあるのなら、その全ての思い煩いを、あなたを心にかける私に委ねなさい』と」(※イザヤ書41:10、ペテロの手紙5:7)

 何ということだろうか、自分は完璧でなくともいいそうだ。なかなかに都合が良い。神は自分を助けて下さる。だがそれでもなお、グラハム博士が

 「イエス・キリストを主として受け入れる者は、誰でも皆、前へ」

 と言った時、自分は前へと踏み出すことができなかった。いや、踏み出そうとしなかったのだ。突如として自分は、かつての怒りに満ちた青春時代のような思いに捕らわれた。中学時代に660ヤードを無理に走らされたあの時、自分は憤りに溢れながらも、それでもスタートラインでクラウチング・スタートの態勢を取り、不安の渦中にスタートのピストルを待った。あの時のアナウンスが心に流れる。

 「位置について・・・」

 「前に行かなくて、いいの?」

 シンシアが優しく言った。だが自分はそちらを向こうとはしなかった。汗が額と首に流れ、心臓が早いスピードで脈打つのが分かる。再び怒りが込み上げ、何かにそれをぶつけたくなり、するとまたアナウンスが流れる。

 「用意・・・」

 「もう出よう」

 自分はシンシアに言った。そして彼女の手を掴むと引っ張った。

 「もう限界だ」

 そう言うと自分は、座っている人の膝と椅子の間を押し分け、消沈した妻を後ろに引きずって進んだ。ようやく通路まで来ると、おがくずが敷かれた道へと踏み出す。それが文字通り決断を要すべき人生の岐路であることを、自分は知っていた。自分はそれに抗い、その戦いは今まででも最も厳しいもので、だが最後には自分は決意の瞬間を迎えた。右を向くとビリー・グラハムの方を向き、シンシアの手を放す・・・

 「スタート!」

 

 前に進んでいくと、自分の決断の過程は、正に陸上のレースを走るようなものだと気がついた。トラックにおいては、スターター・ピストルが発せられる前と後の自分の気持ちは100%違ったものになる。走っている間だけは、心配事や迷いの類は全て消え去り、自分はただ純粋に集中するとどうやって勝つのかだけを考える。それには戦術を使い、トレーニングの実践と肉体の稼働も求められる。囲い込まれては押し出され、いかなるペースでも自分はレースを走るのだ。

 これは別種のレースだったが、それでもやはりレースだったのだ。命のためのレース。それも自分の命のためだ。

 ステージの近くでは若いアメリカン・インディアンの男性が自分を迎えると、自分は彼についてカーテンの向こうの祈祷室に向かった。そこでは自分だけではなく、転生を決めた他の男性や女性達がひざまずいたり、それぞれのカウンセラーと静かに話していたりした。もはや自分も引き返すことはない。この時そう思った。ここまで苦闘しながら来て、自分は次に何が起ころうとも、それに自らを委ねるのだ。

 自分は膝をつくと、生まれて初めて自ら心よりへりくだり、神と向き合った。そして戦争中に行った誓いを守ってこなかったことと、罪を重ねてきた人生に赦しを乞うた。言い訳することも正当化することも、誰かのせいにすることもなく。かつて、かの方は仰られた。

 「神の御名を呼び求める者は、いかなる者であれ救われる」(※ローマ人への手紙10:13)

 それ故に自分は、かの方の言葉を信じ赦しを乞い、イエス・キリストが自らの人生と共にあることを願った。

 そして自分は待った。すると約束の通り、かの方は自分の心と人生の元へと舞い降りた。その瞬間は驚くべき瞬間というだけでなく、今まででも最も現実的な瞬間だった。自分があの時に何を期待していたかは定かではない。例えば目の前に、人生の走馬灯か自らの犯した罪、または光り輝く大きな白い光がピカッするようなことだと、もしくは雷に打たれるようなショックを受けるのだと自分は思っていたろう。だがそれらの代わりに、何か途方もない感覚を覚えるでもなく、体を軽く思う感覚と、自身を包み込む穏やかさを感じ、それによって自らの心にイエス・キリストが現れたのが分かった。

 

 ようやく目を開け、見上げると自分のカウンセラーが言った。

 「救いを得たのが分かりますか?」

 「ええ、分かります」

 「どうして分かります?」

 「あなたは、『神の御名を呼び求める者はいかなる者であれ、救われる』と仰いました。自分は、かのお方の御名を口にし、救われました」

 「それを本当に信じていますか?」

 「信じる必要はないと思います。もうそれが分かりますから」

 自分がこう言うと、彼は鉛筆を手に持ち掲げ、

 「あなたがクリスチャンとなった今、あなたはこの鉛筆と同じです。一人で立とうとしてもあなたは倒れてしまいます。神は仰いました。全ての思い煩いを私に委ねなさい、と。つまり、体の全ての重荷を私に任せれば、私は自分の正義なる右手にてあなたを支えると。あなたがこの鉛筆と同じであることをいつでも覚えていて下さい。ひとたびあなたが神の元を去るならば、もはや立ってはいられないことを」

 それから自分が15分か20分の間、祈りを捧げた後、カウンセラーは自分を壇上正面まで案内した。

 「ご多幸を祈りますね」

 彼はそう言ってくれ、自分も言った。

 「本当にありがとう」

 聴衆席で待っていてくれたシンシアを見つけると、彼女はこちらに駆け寄り抱擁で迎えてくれた。彼女を見ると、心の中ではまるで、昔からずっとそうであったかのように、自分が酒もタバコも、全ての悪習と縁を切っていたことに気がついた。小さな頃からずっと持っていた復讐の願望が消えている。そこではもう日本人達やバードに対して、恨みを晴らす必要も無いのだ。自分の未来に何が待ち受けているのかは分からない。裕福になるのか、貧乏になるのか、その他の事も。しかしもう、そんなことはどうでもいい。自分はシンシアに言った。

 「今までのことは終わったよ。もう終わったんだ」

 シンシアはにっこりと微笑むと、そこには光が灯った。ここに起きた奇跡を彼女は知っていて、それが光となって灯る。

改宗後にビリー・グラハムに挨拶するザンペリーニ夫妻

「自分のしたサバイバルを体験した人なら誰でも、神様のことを忘れるなんてできるハズもないんだけど、でも自分はそれをしちゃって・・・」―日本軍政下の連合軍捕虜研究センターより

http://www.mansell.com/Resources/Billy_Graham_revival_in_LA_with_Zamperini_LIFE_1949-11-21.pdf

 聖書は神の言葉を種に例える。時にそれは道端に植えられ、そこでは何も育つものがない。また時にそれは茨(いばら)の地に蒔かれるとあるが、これは一度クリスチャンとして生きようと決意しても、かつての生活のようにバーで飲み歩き、女の子やそんなことを追いかける人のことだ。3番目の種は岩場に蒔かれ、そこには砂や土が岩の間にあり、雨が降ると青々とした芽が伸びることになる。しかしその直後の一日が快晴となるとその苗は萎れてしまう。根を張る余地がないからだ。

 そして4番目の種は肥沃な土地に蒔かれる。この種こそが定着し、育っては生き残るチャンスを得るのだが、これが「私」に起きたことだ。(※ルカによる福音書8:5~15)

 自分の家には大量の酒があった。義理の父が輸入業を営んでいて、シンシアとの結婚を許してくれた後では、コニャックの300年物のボトルもくれていた。これはコレクター垂涎の逸品で、他にもヴーヴ・クリコのシャンパンや、ポメリーのワインもくれていた。自分はそれらを全て流しに捨てた。が、コニャックだけはやめておいて返した。(自分もそこまで理性は失っていなかった!)それからタバコはゴミ箱に捨てた。シンシアと自分は話をし、共に祈った。自分が酒のボトルを流しで空にしているのを見た時、シンシアは舞い上がらんばかりに喜んでいた。自分が本当に改宗したのを知ったのだろう、

 「こうなればもう、離婚することもないわね」

 と言った。

 

 次の日の朝に起きてみると、自分はバードの悪夢を見ていなかったことに気がついた。そしてこんにちに至るまで、私は一切、バードの悪夢を見ていない。それはまるで、医者が嫌悪を感じる部分を自分の脳から切除したかのようだ。何が起きたのかは覚えているが、暴力的な感情は消えたのだ。それは「頑張って」無くす必要すらないものだった。以前はあれだけ憎悪に毒されておきながら、それは一種の満足感をもたらすと自分は考えていた。憎しみは報復と同じことだと信じていたのだ。だが自分が憎悪した相手は、こちらの感情の存在すら知ることはなく、自分がしたことと言えば、自身を憎悪で破壊しただけだった。

 朝食の後、自分はシンシアに一人になりたいと言った。そして手には新約聖書を持った。これはルーズベルト大統領の命により、全ての軍人が持っていた軍隊用のそれだった。半マイル程を歩き、バーンズデール・パークまで行く。実は以前にも自分は聖書を読もうとしたことはあったのだが、理解などできず途中で脇へ放っていた。一本の木の下に座り、祈りを口にし、聖書をヨハネによる福音書、第1章:1節から開き、読み始める。

 「初めに言葉があった。言葉は神と共にあり、言葉は神であった・・・」

 自分の人生で初めて、この美しい物語が明らかな意味を持って立ち現れる。自分は流れる涙と共に湧き上がる感情に圧倒された。長年に渡って聖書は自分にとって不可解そのものでしかなかったが、今となるとそれは何も隠してなどいない、完全に開かれたものだった。以前は全く理解などできなかったのに、どうして突如として聖書を理解するようになったのか?何のことやらサッパリで、今までどれだけ手にとっては断念を繰り返してきただろう?これらこそが決定的な答えなのだ。聖霊を通訳として得ると、そこにある意味が明白となる。

 その日の朝、自分はずっとベンチに座ると神に向かい、自分が生まれた日からの人生に、経験してきたことの全てに、苦難の数々を生き延びたことに感謝をした。また自分が失ってきたもの全てや、過去に何度も自分が変えようとしては毎回失敗してきたこと、生き延びられるよう祈っては、その度に生き延びることができたこと、その全てに感謝をした。そういったことなくして自分がイエス・キリストを知ることは無かったのだ。神は全てを働かせ、益として下さる。(※ローマ人への手紙、8:28)つまり神は自分の命懸けの状況を、その全てで生き延びるように取り計らい、また事業における損失も全て取り計らい、自分をあのテントに向かわしめたのだ。あの朝にして分かったのは、神の手は常にして自分を支えていたのであって、この瞬間のために自分に準備をさせていたのだ。

 

 キリスト信仰を受け入れるということの難しさを、本当に理解する人は、決して多くはない。人々が善意で描く改宗というのは、改宗と共に神が新たな信者へ不変の幸福を供給し、即座に何事もうまく行くようになるというものだ。しかし真実というものは、決してそんなものではない。それどころか、宗教などキレイゴトに過ぎないという条件付けの下、キリスト教とは別の道を長く生きてきながら、それでも信者であろうとし続ける誠実な人なら誰もがそうであるように、自分とて失望や疑念に苛まれ、自身を省みては痛みを感じる時を経ねばならなかった。幾度となくアパートの中に何時間も、誰とも話すことなく居続けることもあった。これは試練の期間で、この間自分は(※改宗後の)喜びの頂点や満足から、絶望の奈落へと落ちていった。そして障壁と直面しては乗り越えてきた戦争とは異なり、今回は同じような自信を自分は持ち合わせてはいなかった。戦争時はサバイバル・トレーニングを受け肉体的に鍛えられていたが、今回の生まれたばかりのまだほんの赤ん坊そのもので、だからこそこれは、「新生」と呼ばれるのだ。

 クリスチャンとして生きることは、簡単なことではない。

 「クリスチャンになってからというもの、自分の人生はいいことばかりです」

 (※教会では)決まって、立ち上がってこんなことを言う人がいる。そんな時はいつも、自分はその人の方を向いて言う。

 「自分に何が必要であるのか、あなたはお分かりでしょうか?あなたに必要なのは、イエス・キリストです。クリスチャンとしての人生は、いいことばかりなどではありませんよ。それは苦難の連続で、それゆえにあなたは、かの方に身を委ねることになるのです」

 シンシアは自分が立ち直るのを、誠実にじっと待っていてくれた。そしてこの新たな謙譲の心が板についてくると、自分は街にある退役軍人のための就職斡旋所に行き、真っ当な仕事に応募した。もう自分に必要なのは商談などではなく、必要ならドカタでも何でもやるつもりだった。

 しかし自分では気づかなかったが、そういった仕事は神の思し召しではなかったようだ。自分の経験は、ある別の仕事に打ってつけだったのだ。

 

 改宗から5日が過ぎた後、自分は再びビリー・グラハムと、彼の聖歌隊の指揮者にしてステージMC、さらにはグラハムのテレビやラジオ番組のディレクターである、クリフ・バロウズに会いに行った。バロウズはその年にロサンゼルスでグラハム博士と共にこれらの仕事を始めていた。自分は自らの改宗の経緯を彼らに話すと、改めて言った。

 「はい、私は改宗をしました」

 こちらを見るその様子から、彼らには何やら目論見があるのが自分には見てとれた。それは何なのかだいたい予想はついたが、しかし自分は一応こう言っておいた。

 「自分はビリーみたいに、講壇で説法なんてできやしませんよ。私はただ、普通のクリスチャンになるだけですから」

 その次の週、バロウズは自分にモデスト(※サンフランシスコの近く。現在はロスから電車で8時間ほど)行きの電車のチケットを買うと、そこで改宗の宣誓、つまり「証し」をするよう説得し、これには自分も嫌だとは言い切れなかった。

 「でも何を話せばいいんです?」

 自分がこう尋ねると、バロウズはこう言った。

 「普通に自分の戦争体験と、神がどんな風にあなたにあれこれと試練を与えたのか、それとテントで自身に何が起きたのかを話せばいいんですよ」

 彼は自分の父親の教会に私を送ったのだが、ところがその教会は火事に遭って焼け落ちていて、代わりに仮設テントが建っていた。そうして自分の初の「証し」は、クリフ・バロウズの父の下、テントの中で行われた。

 また自分が改宗を決意したまさにその週、他にも2人の著名人が全く同じことをしていた。ギャングの大物、ミッキー・コーエンのために盗聴士として働いたジム・ヴァウスと、歌うカウボーイこと、有名な競走馬、エル・ロボのオーナーであるスチュアート・ハンブレンだ(※西部劇で歌を歌った)。彼らは自分と一緒になり、布教活動に努めた。

 1949年当時の写真。左からハービー・フリッツ、クリフ・バロウズ、 ジム・ヴァウス。ルーイーとグラハムに挟まれているのがスチュアート・ハンブレン。有名人4人の改宗はマスコミに報道され、記者の一人は「10年後が見てみたい(信仰が続いているのか?)」と言ったとされる。ジム・ヴァウスは盗聴のプロとして有名で、ロス市警のためにもギャングのためにも働いたワル。「お父さんはギャングスターだった」という伝記が出ている。ルーイーと同じく、偶然聞いたビリー・グラハムの説法で、「自分のことを話されているのかと思い」足を洗った

https://www.fatherly.com/love-money/my-father-the-gangster-jim-vaus-wiretapper/

 証し:キリスト教的には、「神様から頂いた恵みを人に伝えること」だが、言ってしまえばどうして改宗したのかを他の信徒の前で話すこと。これを共有することで、互いに支え合うことができる。例:http://nishinomiya-fukuin.com/akashi/

証し

 当時、新聞王として知られたウィリアム・ランドルフ・ハーストは、ロサンゼルス・ヘラルド・イグザミナーを始めとして多くの新聞社を所有していたが、これら著名人の改宗を耳にするといたく感心し、イグザミナーの主席編集者ジョー・パインに電話をかけると、

 「ビリー・グラハムで行け」

 と言った。これは記事を書いて一面に載せろという意味だ。

 このことがあるまで、福音派・エバンジェリズムはニュースになることはなくむしろタブーとされていたのだが、この報道によりグラハム博士は一夜にして有名人となった。

 その後、自分はイグザミナーで新聞配達をしている男の子達と、その家族が大勢集まったビルトモア・ホテルで話をすることになったのだが、そこにはジョー・パインがいてこう言った。

 「ここにいるのはユダヤ教徒もいるし、あれこれ色々な信仰の人が集まってる。でもルイス、話をするなら彼らに福音を届けてくれよ」

 そう言うからには、ジョー・パインもきっとクリスチャンだったのだろう。彼はまたこんなことも言った。

 「ルーイー、ウチの新聞社にはキミの味方がいっぱいいるよ」

 これは元々はスポーツライターだった人達のことだ。

 「自分達はキミが問題を抱えていたのは知ってたんだ。ハーストが自分に電話で、ビリー・グラハムで行けって言った時は、あれは自分が受けられる中でも、最高のニュースだったんだよ」

 自分はこれにこう言った。

 「ハーストさんがあなたにそう言ってくれて、そりゃあ何よりよかったよ」

 「じゃ、そのハーストさんに言ったのは一体誰だと思う?」

 彼はそう言ってきたのだが、その意味はつまり神の思し召しということだ。

 イグザミナー紙がビリー・グラハムについて大きく取り上げると、ロサンゼルス・タイムズもこれに続き、そしてライフ・マガジンも続くと世界中に広がり、自分にもあらゆる所から経費持ちで講演の依頼が舞い込むようになった。そこでは自分に寄付を集めることも許され、時には数ドルにもなったが、あちこちを周るのは大変だった。というのも、実は自分は例の車を担保にした借金を返しておらず、車をカタに取られてしまっていたのだ。そんな折り、ある集会で自分は、グレンデールで小さなハンバーガー・ショップを経営している人物に会った。彼は、

 「ルイス、自分は新しい車を買うから、古いのはデソートのクーペなんだけど、よければ150ドルで売ってあげるよ」

 と言ってくれたが、これは大安売りだった。車両はいいタイヤを履いていて、完璧に動作するととてもよく走ったのだ。(※18万円弱。2ドアのオープンカータイプで、同年の新車は1975~1986ドルで、現在の230万円以上)お陰で自分はもっと多くの集会を周る足を得て、ほどなく自身がかつてのように脚光を浴びていることに気がついた。それは以前とは全く様相が違っていたが、これを後になって友人の幾人かが、自分が改宗をしたのは世間の注目を集めるためだと非難した。だが、これは全くもって違う。自分が変革のためにまっすぐな立場にいるというのは、心の踊ることであって、もし自分が卑しくも売名を求めていたのなら、わざわざ薄暗いテントに敷かれたおがくずの上で、ひざまずいて嗚咽し注目を集めるなど、企画はおろか考えもしないだろう。

 第2章にジュニアが登場した、ウィリアム・ランドルフ・ハースト。ビリー・グラハムを後援したのは当時、世界に広がっていた共産主義と思想的に対抗する意図があったが、これは後のルーイーの演説から見ても・・・

 前章のラジオ共演から、遂に大統領にまで上り詰めたノナルド・レーガン夫妻とビリー・グラハム。グラハムに始まるキリスト教福音派と共和党との繋がりは、ブッシュ、トランプに至るまで連綿と続き、現在に及ぶ

 自分は日本人達を赦し、酒もタバコもやめた。唯一大変だったのは、友達とパーティーに行く時だった。友人のほとんどは、自分の新たな信仰が長続きするものだとは思っていなかったのだ。

 ある時自分は、腰痛のための飲み薬を開発したという人の家で開かれた、ハリウッドのパーティーに参加していた。友人達はいつものようにワイワイと酒を飲み、自分にも飲むように言ってきた。自分はこれに

 「まさか」

 と言ったのだが、彼らは自分のこの新たな決心を、どう捉えていいのか分からないようだった。そりゃあ無理もない。長い付き合いでよく知る人間が、急に人生の方向転換をするようなことがあったら、人はまず最初に自分でも理解できる現実的な理由を探すだろう。誰もハナから、信仰における理由があるなんて考えたりはしない。それに自分とて、自身の転換をスンナリと受け入れて貰えるとは思っていなかった。だが聖書も言うように、いつでもベタ凪の海ではよき船乗りは育たない。このことはこんにちに至るまで、自分の信条となっている。

 その後、自分は女優のジーン・クレインと、彼女のショービジネス関係の著名な友人達と床に座ると、彼らに「証言」をすることになった。(※「証言」:56年版には記載があるが、ハリウッドの友人達もルーイーの改宗を本気にはしていなかった)つまり、自分の改宗体験について話し、彼らの質問に答えることになったのだ。彼らは皆、ビリー・グラハムが各メディアの見出しを賑わせていたせいで、自分の話を聞いてくれた。その内の何人かは名刺をくれて、電話で個人的にもっと自分の体験を話してくれるように言ってくれる人もいた。それから自分は裏庭に行き、そこでは古い友人達がそれとなく、飲まなければオマエは腑抜けのチキン野郎だ、と言った。自分はそれを聞くと、幾分落ち込んだ気分でパーティー会場を後にした。

 するとその日の夜も遅くなってから、一人の友人が自分に電話を寄越してきた。そして酒を飲ませようとしたのは、実は「イタズラ」だったと言った。

 「オマエの信仰が本気か、もしくはただの冗談かどうかを見ようってことでさ。あのやり方はマズかったし、だけどオマエが行った後、アレをやった奴らの何人かが言ったんだ。自分にも、オマエが見せただけの強い意志があったらな、ってさ」

 自分とて友人達がいつもの好奇心に加えて、アレに一体何が起きたんだ?とか、マジで本気なのか?長続きすんのか?と疑っていたのは知っていた。だがお陰で自分はこの知らせにより、新たな力とエネルギーを得られたようにも思った。話を聞いてくれるなら、誰であっても自らの体験を語り続けていく。―そう決心できた。説法をするというより自分はただ種を蒔き、まっすぐな人生を送り変わった自分を人に見せることで、種の成長は神に委ねることにしたのだ。

 それは今や全て、神の手に委ねられていた。それがずっと以前から、常にそうであったように。

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