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第5章 墜落に備えろ!

 Prepare To Crash

  1943年5月27日

 新しい宿舎となる家は、ビーチからたった80フィート(※25M)しか離れていない所だが、そこを準備している。コンロ、冷蔵庫、専用のバスルームもある。すぐにでもここに移りたい。枕の下に隠しておいたウイスキーのクオート瓶を、昨晩誰かに盗られてしまった。

 作戦室から電話があり、B-25がパルミラの北200マイル(※320キロ)に墜落したとのこと。基地にはオレ達のクルーしか残っていないが、スーパーマンは修理中だ。フィルはそれでもオレ達が救護任務に出ると志願した。(※日記より)

 

 使える機体はグリーンホーネットと呼ばれる「マッシャー」だけで、これは船尾を下げたままでしか飛べず、爆弾を積んで離陸もできない機体のことだ。機関士達はこの機体の、機首から船尾までを複数回に渡って調べ上げ、他のB-24のように全くもって変わらない、と確約した。ということは、機体はしっかり飛ぶはずなのだが、その実そうはいかず、だが仕方がない。そもそもグリーンホーネットは、部品の多くを他の機体のために剥されていて、使用頻度も主に「キャベージ・ラン」つまりハワイ本島からレタスだの生鮮野菜、ステーキやその他諸々を輸送するために使われ、救護任務には極めてまれに使われる程度だったのだ。

 ノーズアートとなったグリーンホーネット、1966年漫画版カバーと上記の機体画像。「緑のスズメバチ」とは悪と戦う怪盗で、助役の相棒の名前は何とKatoことカトウ。 同作は1930年代のラジオ・ドラマを皮切りに、今でも映画や漫画とリメイクがされる人気シリーズで、60年代のテレビ版では、Katoをブルース・リーが演じると大人気となりブルース・リーの出世作となった。だが戦時中は人気助役が日本人では困るので、フィリピン人の設定に変更。ルーイーはこの後、実在する「加藤」とも接することになるのだが・・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88

 オレ達のクルーはナウルの襲撃で出た負傷の後に、ラッセル・A・フィリップス、オットー・アンダーソン、レスリー・ディーン、フランク・グラスマン、ジェイ・ハンセン、フランシス・マクナマラ、マイケル・ウォルシュ、C・H・カッパーネル、ロバート・ミッチェル、それに自分の10名だったのだが、これにもう一人、ミッションとは別にパルミラに行きたいという理由で士官が一人加わった。任務の後にパルミラに着陸し、給油が予定されていたのだ。そして18:30(※おそらくワシントンDC時間)にオレ達はもう一機のB-24と共に、この救護任務のため離陸をした。

 この時、自分は夕飯までには基地に帰れると思っていた。救護任務は毎度のことだったし、この前もB-25のクルーがガス欠を起こし、オアフ島の数百マイル沖の海上に不時着したのを助けたばかりだったからだ。自分は彼らを1936年のベルリン・オリンピックの時に買ったカール・ツァイス社の双眼鏡で発見していた。空から裸眼で見ると、波間に揺られる救命ボートは、水が盛り上がっているようにしか見えない。この時は救命ボートだけではなく、信号銃の煙も見えた。それから近くを飛ぶと無線を飛ばし、1時間近くPBY、つまり海軍の飛行艇が来るまで現場を旋回し、PBYが乗組員を救出した。

水上機・コンソリデーテッド社製PBY

飛行中に起こる、3種類の回転に対する呼び分け。ヨーイングは一番右で、縦軸に対し独楽のような横回転をする場合に使う

 副操縦士のカッパーネルは飛行中、何らかの理由でフィルと席を換わりたいと申し出て、おそらくフィルはこれを、特に気にすることもなく了承したと思う。というのも、時にフィルはオレに飛行時間を稼がせて、非常時にも第3パイロットとして使えるよう、もしくはカッパーネルやフィル自身が、ホノルルで夜通し羽目を外した時の予備として、オレに機体を操縦させていたからだ。オレは肉体維持のため、そこまで出歩いたりはしなかったし、飲んでもビールを1~2杯というのがせいぜいだったが、一方でフィルとカップは夜遅くに千鳥足で帰って来て、ひとたび空へと飛べば交代で無線室に入り、丸まって仮眠をとっていた。

 B-24のコックピット。左が正パイロットで、右が副パイロットの席。「リベレーターのコックピットは複雑で、パイロット、副パイロット、フライトナビゲーターのチームワークが要求された。急場は一人でも操縦できたが、特に離着陸時には3人全員が必要とされた」

http://beneathhauntedwaters.com/B-24.htm

 航空士の位置出しの様子。航空士と無線士には机があったから、日本の学校宜しく、寝るのには好都合!?

http://freepages.rootsweb.com/~webermd1/family/Liberator-Info.html

 オレ達がB-25が墜落したと思われる近辺に到着すると、高度1,000フィート(※304M)の地点は雲に覆われており、フィルは視界をよくするため、高度を800フィート(※243M)にまで下げるとオレをコックピットに呼び、機体を旋回させると墜落機の残骸や救命ボートを探せるようにした。

 すると突然、第一エンジン(左翼外側)の毎分回転数ゲージが急激に落ち込んだかと思うと、エンジンはガタガタと激しく揺れ、プスっという音で停止した。これに対しフィルはプロペラのフェザリングのため、機関士を前方に呼んだ。プロペラの羽は通常、大気を切り込む推進力で機体を前方へ引くため、空気の流れに対しほぼ垂直に回っている。だが飛行中にエンジンが止まってしまった場合は、このままだとプロペラが壁になってしまい、全てを減速させてしまう。そこでフェザリングと言うのは、プロペラのエッジを風に向かって立てるのだ。例えば時速70マイル(※112キロ)で走る、車の中にいる状態を想像して欲しい。そこから手を窓から出すとして、手の平を前に向けると、風はそこに当たって後ろへ戻そうとする。そこで手の端を風に向かって立てると、手は風を切って進む。フェザリングは羽の角度を調節できる、可変ピッチプロペラがあったからこそ可能で、これにより離陸や巡航中(※燃料節約モード)、またエンジンの停止時に異なった角度が使えたのだ。

 ところがナウルの襲撃以来、クルーには新しい機関兵が入っていて、これはまだ本土から来たばかりの未熟な新人だった。彼はこの状況を何とかすべく目の前があまりにいっぱいで、コックピットに駆け込むと何を思ったのか、左翼内側の(つまり第2)エンジンを間違えてフェザリングさせてしまい、これにより第2エンジンも停止してしまった。オンボロのマッシャーというのは、そもそも4つのエンジンと爆載ナシで何とかギリギリで飛んでいるものなのだが、オレ達は突然この内の2つを、しかも同じ側で失ったのだ。

 それは一瞬、滑空するかのように見えた、が、すぐに機体は身震いするかのように震えると、岩の塊のように落下を始めた。思い出して欲しいのは、雲の下を飛ぶため、高度が800フィート(243M)しかなかったことだ。例え1,000フィートの(304M)高度があろうとも、緊急時に何かできるようなことなどほぼないし、エンジンを再起動するなどもってのほかだ。意識などする間もなく一瞬のうちに機体は地表に叩きつけられ、(まあ自分達の場合は海面だったが)後に残るのは、海に浮かんでは燃える、油膜の炎と機体の残骸だけとなる。だが例えそうだとしても、あと、あと200フィートと数秒だけでも余分に貰えたなら、オレは自分達の命を守るべく、喜んでその時間を使ったろう。

 しかしこの時、余分な数秒も200フィートも、オレ達には与えられなかった。

 プロペラが死ぬと、ほとんどのパイロットはこれを何とかしようと、反射的にまだ動く方のエンジンの出力を上げる。これをグリーンホーネットのケースで行うと、右翼の側だけに残った出力をさらに上げることになり、機体は左に鋭角に動くと円を描き、死んだ左翼側が下降をする一方、生きている右翼が上昇しようとする。片側の出力を完全に失ったら、まだ動くエンジンの出力も落とさねばならない。これをトニー・ラヴィアーと呼ばれた一人のテスト・パイロットが発見するまで、何年にも渡って飛行機乗り達は、同様の状況下で自爆を繰り返していたのだ。これは一見不自然に見えるのだが、しかし機体を水平に飛ばすのには役に立つ。

 左へヨーイングする機体を制御するため、フィルは右の出力を落とすこともできた。しかしグリーンホーネットのようなボロい機体にとって、この操作は揚力が乏しいが故に、ただ単に墜落の時間を縮めるだけとも言えた。

 出力を上げるも下げるも絶望的な状況に板挟みとなり、フィルに正しい判断など存在しなかったのだ。

 そしてそれはきっと、ほんの少しでも空中に留まることが、あわや機体の制御やエンジンの再起動、もしくは海上への不時着に繋がるという、淡い期待の元にのことだったろう、フィルは出力を上げ、期待は実を結ばず、グリーンホーネットはその機体を左に傾けると、横倒しにひっくり返った。

 

 人生で最も恐ろしい体験とは、飛行機内で墜落を経験することだろう。空中を通して落下をする瞬間に、避けられない衝撃を待つということにおいて、それはまるでジェットコースターに似ている。しかしここには決定的に違いが一つある。同じ恐怖でもジェットコースターでは、目をつぶって身を固くすれば全てが過ぎ去ってくれる一方、真下へ落下する飛行機の中では、純粋な恐怖しか存在せず、もはや目の前に差し迫った死の概念など、理解できるはずもないということだ。無論、墜落を生き延びなければ、誰かにその絶望的な恐怖を伝えることもできないのだが、考えることといったら、もうこれで終わりだ、お終いなんだ、自分は死ぬんだ、ということしかない。自分の細胞のひとつひとつに至るまでが、逃れられぬ命の終焉を悟り、しかし一方では自分のどこかではまだ、闘って生き延びることを信じる何かが、例え理性が何を知っていようとも存在する。それは矛盾するようで、別にそう不思議なことではない。生命が生き続ける限り、希望もまた潰えない。

 そして何が起こるかなど、神のみぞ知るのだ。

 フィルがこちらを見る。言葉には出さずとも、自分達がおそらく死ぬであろうことは分かる。それでもフィルは唇を動かした。あれは叫んでいるのだろうか?もしくは、ささやいているのだろうか?だがその内容は確かにはっきりと聞こえた。自分はあの言葉を永遠に忘れない。

 「持ち場に戻って、墜落に備えろ!」

 

 オレは自分の配置である、右翼側中部甲板、マシンガン銃座横の窓に急いで戻った。既にライフ・ジャケットは着ている。全ては教練の通りだ。地上での訓練なら、何度も何度も繰り返している。

 海上での緊急事態は全て、どのように着水するかで、その安全性が雲泥の差となる。だが無論これは、着水ができればの話だ。B-17の場合、スムーズに着水ができた。先に燃料を放出できていれば、機体が30分ほど浮いていて、これは全ての救命ボートとサバイバルキットを運び出すことができる時間と言えた。B-25もまた着水への対応が見込めたが、しかしB-24はどれだけスムーズに着水しても、ほとんどの場合で機体がメチャクチャになった。格納式の爆弾倉のドアが胴体と平面になっておらず、約1/4インチ程(※6ミリ外に出ていた)の誤差があり、時速にして200マイルで(※320キロ)海に墜落すると、この端が当たって海水が激しく流入し、機体が粉々になったのだ。そしてこれは、比較的穏やかに行けた場合の話だ。

 オレ達の場合、もはやこれらのことはもう問題でもなかった。

 全てのB-24の翼の上の胴体部には、救命ボートが2つずつ詰め込まれ、ばねのついたプレートに据え付けてあった。これを覆う外側のカバーは、端に重りのついたピンで留めてあり、機体が海面に衝突すると、衝撃でピンが外れてドアが勢いよく開き、プレートのばねが2艇の救命ボートを、両翼越しに機外へ100フィート程(※30M)、海へ向かって跳ね飛ばすようになっていた。これは同時にトリガー機構を作動させ、パラシュート・コード(※ロープ)で機体と繋がったボートに空気が入り、機体がある程度の深さまで沈むと、紐が機体から外れるようにもなっていた。

 自分の持ち場の隣りの爆弾倉には、3艇目のボートも詰め込んであり、これを不時着の後に機外に出すのは、自分の役割だった。またそばには大きな防水加工の金属の配給箱があり、中には非常食チョコレート、缶入りの水、その他の諸々の食糧が入っており、これは10人の兵士が2週間分食べられた。機関兵か後部銃手が、このサバイバル・ボックスを持ち出すのだ。

 急落する機内で、オレ達は横倒しになっては転がり、胃が締め付けられるとそれは、口から飛び出すかと思われる。オレは姿勢を低くしてかがむと、丸くて柔らかい救命ボートで、来るべき衝撃に身を固くした。いや、その実ボートに抱きついていたに違いない。

 機首と左翼が同時に海面に激突し、機体が半回転、側転をする。

 その瞬間、自分は人生の走馬灯が目の前に流れると思った。が、そんなことは起きない。

 機体がバラバラに砕け散る。

 フィルが備えるよう言ってから、衝撃は2分以内に起き、それから周囲は火の海となった。もし自分がすぐ近くでボートにでも乗り、グリーンホーネットが爆発して火の玉になるのを見ていたら、熔けては捻じれる金属と、火薬の爆音が競演しようとして聞こえたのかもしれない。だが実際はカオスに包まれて音など何も聞こえず、感じたのはただ恐怖、それだけだった。

 オレのすぐ左にいたクルーは即死した。配給箱はオレの頭をかすめて吹っ飛び、どこかへ消えた。衝撃でオレは前方へ投げ出されると下に落ち、甲板にボルトで留まった銃座の三脚の下に突っ込むと、救命ボートが体の下でクサビのように詰まった。2枚の垂直尾翼はもぎ取れ、コックピットのコントロールと繋がる昇降舵と尾翼の可動翼ワイヤーが千切れると、きつく巻かれたバネのコイルのように三脚に巻きつき、さらに自分は身動きがとれなくなった。全ては数秒の内に起こり、これは自分がまだ生きていて雁字搦めになりながら、機体が海に沈んでいくのを感じる、充分な時間だった。

 どれだけもがいても、体は三脚から緩むことはなく、鋭く跳ね返るワイヤーはまるで金属のスパゲッティのようにオレに巻き付いた。中部甲板の窓から外を見ると、めった切りになった2つの死体が近くを漂っていた。オレは肺いっぱいに、大きく長く息を吸い込むと、機体が沈む間も目を開け続けた。あきらめるなど、もってのほかだ。ハワイでは素潜りもやっていて、ランナーであることは、人より長く息を止めることにも役立っていて、それは3分以上にも渡った。昔は公営のプールの底に座り、水の排出口の格子蓋につかまって練習していたし、友達がオレが溺れたと思って、救助のためにプールに飛び込んだこともあった程だ。

 耳に水圧を受けると、自分が水面から20フィート(※6M)位の深さにいると分かった。そこからさらに深く沈むと、それに合わせて額には今まで経験したこともない、ましてや想像もしたことのない 痛みが走り、これはまるで巨大な金槌で殴られるかのようで、副鼻腔はもはや爆発寸前となると、頭の痛みは耐えられたものではなかった。よもや希望も潰えた、そうオレは思った。こんな状態で一体、自分に何ができよう?ゼロだ。びくともしないワイヤーの中で自分は沈み行き、息も尽きる寸前だ。自分とて受け入れねばならない。

 自分は死ぬのだ。

 意識を失うと、全てが漆黒の中へと消えて行く。

 

 それからしばらくすると、全く説明などつかないが、目が開いた。

 これは夢なのだろうか?おそらく自分は死んでいて、これが死後の世界なのだろう。

 だが死後の世界とは、少なくとも今まで想像していたものから行けば、おそらく濡れて寒く、ほの暗い中で肺が空気を求め、悲鳴を上げるような所ではない。ーこれはすぐに分かった。そう、自分はまだ水の中にいるのだ。おそらく70フィート(※21M)程の水深で、しかし体は、あのおぞましい死の呪縛から完全に自由で、上に向かって浮いて行っている。何も見えない中、腕を伸ばして周囲をまさぐる。すると何かがカツっと当たるのを感じた。指にはめたUSCの指輪が、中部甲板の窓に引っ掛かったのだ。オレは即座に左手で窓枠を掴むと、肺が破裂するかと思う程に苦しい中、背中を反らせて窓の裂け目から体を押し通す。機体の残骸に引っ掻かれ、皮膚が剥がれるのが分かる。

 メイ・ウエスト、つまりライフ・ジャケットを膨らませる必要がある。(※女優名。巨乳ちゃんの意味)これにはやり方が2つある。機内ではこれに口で空気を入れるのだが、無論今は水中で空気も無いのにそんなことはできない。もう一つは各自のベストに詰めてある、CO₂カートリッジを使う方法だった。これなら今でもできそうに聞こえるが、ところが多くのベストからはカートリッジが抜かれていて、これは兵士達自身の仕業だった。これでソーダを作ってスコッチと一緒に飲むためなのだが、自分の機体からならまだしも、時に兵士達は他人の担当機から、このカートリッジを持って行ってそのままにしたのだ。

 幸運なことに、自分のベストにはまだ使えるカートリッジがあり、ジャケットは膨らんだ。そうなると体は明るい方へ向かって上昇を始め、しかしそれはあまりに長い間続くと無限に続くかとすら思われ、お陰でオレはガソリンからオイル、油圧液や血までが混じった海水を、ひたすら飲み続けることになった。海面から顔をあげた時、オレは息を求めてあえぐと、全てを吐いて戻す。全ては15秒くらいだったろうが、オレはそれらを純粋な本能だけでこなしていた。

 そこで眼前に広がっていたのは、文字通り海上に広がる火の海だった。息が整うのと同時に、自分はあまりに広大過ぎる太平洋に、たった一人で浮いているという現実が、体に感覚として伝わってくる。陸からは何百マイルも離れ、海底は遥か海の底であろうとも、オレの絶望はおそらくそれより深かった。

 

 すると突然、助けを求める声が聞こえた。自分の右の煙の切れ目から、外部燃料タンクが浮いて流れて行くのが見えた。20フィート程(※6M)離れたそこでは、フィルと後部銃手のフランシス・P・マクナマラが、側面にしがみついていた。その目は異様かつ狂気が宿り、フィルの頭にある三角形の深い傷口からは、血が噴き出していた。

 オレはこれに他の8人のクルーが誰か生き残ってやしないかと周囲を見渡した。しかしそこには誰もおらず、波間に漂う機体の残骸の他に、人間はオレ達3人だけで、それも血が海に流れれば、サメがすぐに大挙してやってくることは明らかだった。このことはとりわけ、2艇の救命ボートがグリーンホーネットから自動的に放出され、流れに乗って機体の残骸から離れて行くのを見るに従い、オレを心底震え上がらせた。

 自分とてフィルとマックを助けたい。だが唯一の生存の手段を失うなど、とても考えることはできなかった。奴ら2人はまだ待てる。オレはまず一番近いボートに向かった。だが服と靴をつけた状態ではついて行けない。救命ボートは既にしてかなり遠くを行っており、とても追いつけたものではない。もはや自分もあきらめかけた時、オレはボートに繋がった全長100フィート(※30M)の、ナイロン製パラシュート・コードの最後の3フィート(※1M)を見つけた。それを何とかして掴むと、オレはこの新たな「家」を手繰り寄せた。

 ボートによじ登り、オールを外すとそれで、爆弾倉の燃料タンクに漕いで戻る。漕ぎながらフィルが失神したり、出血から死んでいないことを願う。戻るとフィルとマックをボートに乗せ、すぐにフィルの頸動脈の血管を強く抑えた。オレはサバイバル・トレーニングで、あごの骨の小さなくぼみと、そこにある動脈を見つける方法を学んでいた。これで出血のスピードが抑えられる。

 「マック、Tシャツを脱いでから海に浸すんだ。よし、そうしたらフィルの頭の上に乗せて、押しつけろ」

 オレはこう命令すると動脈から手を放し、自分のTシャツを脱いで裂き、細長く切ると、今やフィルの血で赤く染まるマックのTシャツに巻きつけ、この当て布を患部に固く留めた。

 「ああ、ザンプ・・・オマエで、本当によかった・・・」

 フィルは小さな声で言った。肯定的なメッセージが直接伝わってくる。こんな状況でも、フィルはオレが解決への道筋を見つけるだろうと信じている。

 その間にも、オレは2つ目のボートに注意を払っていた。そこには緊急用の糧食や道具の類が乗っているだけでなく、フィルを静かに寝かせるのにも必要だった。オレはオールを海に向かって突き出すと、それに向かって漕ぎだした。大の男を3人乗せた状態で、それは痛みを伴い不条理な迄の苦闘だったが、運がいいことに自分達の進む方角は潮の流れと同じで、最終的にはパラシュート・コードを拾うまでには近づくことができた。

 単純明快なことではあるが、このパラシュート・コードが、オレ達の命の危機を救ったのだ。

 この紐はナイロンでできていて、極めて丈夫だ。オレは一本分の紐を使い、ボート上部のハトメを通し、2つのボートを1つに縛って固定した。それから、フィルの頭の海水を使った当て布を締め直し、この事故にも関わらず、奇跡的に無傷のマックと一緒にフィルを2艇目のボートに移し、動かないように言った。

 「ザンプ・・・」

 こちらがフィルを落ち着かせていると、フィルは言った。

 「今からはオマエが指揮官だ・・・」

 「分かった」

 オレはフィルに、言い聞かせるように言った。

 「心配するな。落ち着くんだ。救助もすぐに来る」

 

 

 救命ボートは飛行機に標準装備されていたもので、内側には頑丈なチューブが入っており、キャンバスの生地は黄色いゴムで覆われていた。それぞれは2つのセクションに分かれ、つまり1艇のボートは両端に別々のチューブとバルブがついていたのだが、これにはなかなかによくできた理由がある。もしどちらかがパンクをしても、ボートが沈まないようになっているのだ。ボートはそれぞれ内側に机が一つ入るくらいの大きさで、幅約3フィートに(※90cm強)、長さ約6フィート(※2M弱)、横方向に突っ切った座席部が2つあり、中には空気が入っている。座席の下には足を突っ込むスペースがあり、嵐の時には床に寝そべって、重心を低くすることで転覆しないようになっていた。

 当時の圧縮空気タンク付き救命ボートと、B-17, B-24不時着水(ditch)指南書。説明書を作るだけなら、機体のイラストを入れ替えるだけでいいのかも知れないが・・・

 各ボートには応急キットも備え付けてあった。フィルをもう一度、診た後に、オレはそこに何があるのか調べ始めたのだが、するとその途中で邪魔が入った。マックがいきなり叫び始めたのだ。

 「オレ達はもう死ぬんだ!オレ達はもう全員、死んじまうんだー!」

 オレはこれに耳を疑った。

 「ふざけてんのか?オレたちゃ死にゃあしねーぞ」

 「違う!オレ達は全員死ぬんだ!オマエだって分かってるハズだ」

 確かにオレ達は無線で遭難信号を出すヒマなど全くなかったが、それでも自分は絶対に救助が来ると信じていた。パルミラに到着しないこと自体が遭難のサインになるからだ。一緒に救助任務に当たっていたもう一機のB-24は、別の海域を捜索するため散開していたが、おそらく今頃はもう既にパルミラに着陸し、オレ達を待っているハズだ。

 「なあ、今日か明日には拾って貰えるよなあ」

 オレはマックではなく、フィルの方をしっかり見据えて言った。

 「心配するな。オレ達は死なない。オレ達だって沢山仲間を救助してきたし、今度は誰かがオレ達を捜索に出る。今夜には海兵隊と夕飯を食ってるよ。まあ明日になるかも知れないが」

 だがマックは叫び続けた。そこでオレはわざと見解とは逆のことを言ってみたり、また救助が来たら報告するぞと脅してみたりしたが、それでもマックは黙らず、これにはさらなる手立てを講じた。マックの顔を平手で叩いたのだ。マックはこれを食らうと後ろに飛んだ。そして驚きながらもどこか満足したようで、自制を取り戻すと、さしあたり自身の恐れを外には出さなくなった。

 当たり前だが、誰も墜落を望む人間などいない。だが、オレ達には起きてしまった。こういった時には深呼吸をし、落ち着いて冷静に考えるのが重要だ。生き残るというのは容易ではない試練であって、これを切り抜けるには備えが必要なのだ。生き抜くにあたり、オレは自らに鍛錬を積んでいて、肉体的なコンディションはほぼベスト、フィルも頭の傷を除けば肉体的に状態はよかった。オレ達はほぼ毎日、将校クラブでテニスを3~4セットはしていた。同じくマックも若く健康だったが、しかし彼の精神状態は、自分達を待ち受けるやもしれない、壮絶な試練を受け止められるようには見えなかった。オレはそう思うと、マックのことが心配になった。

フランシス・マクナマラ軍曹とラッセル・フィリップス中尉

マックは1943年5月26日、Xデーの前日に撮影 — 共に「アンブロークンより」

 それからオレは、墜落の場所と時間、海流と貿易風について記録をつけ、それが終わってから、サバイバルキットの在庫チェックを再開した。ボートにはパンク修理キットがあり、これは自転車のパンク修理に使うキットと同じで、つまり紙やすり、ゴム・パッチ、接着剤で、空気入れもそれぞれ小さなケースに入り、ボートに備え付けてあった。他には信号銃が一丁に、海に撒いて飛行機にこちらの場所を知らせる、海洋染料、シー・マーカーもあり、また真鍮にクロームメッキをした鏡に、柄の部分がドライバーになったペンチもあった。だが、キットに入っているのは、これだけだった。魚を捕まえる網の一つもない。

 そしてサバイバルに最も重要な道具も、どこにも入っていなかった。

 ナイフは一体どこへ行ったのだろう?

 そう思うと、苛立ちがジワジワと自分を蚕食し始める。

 「ナイフはどこだ!?」

 オレは思わず不満を口に出した。誰にともなく、ふざけんなよ、ともうほぼ言いかけていた。だがそれは自制を失う兆候であることを思い出し、踏みとどまった。とはいえ、こんなバカなことがあろうか?これは冗談ではなく、自分はボートがドイツか日本製ではないかと、そのタグを本気で探そうかと思った。人がどこへいようとも、それが陸だろうと海だろうと空だろうと、必要なのはナイフだと誰でも分かる所に、どこぞのクソバカは代わりにペンチを入れたのだ。ナイフという物は、ボートにそよぐ生暖かい潮風から、パッと造り出せるようなものではないのであって、それが自分達の手元にはないのだ。

 糧食としては、2艇のボートには6本の非常食チョコレートと、水の入った半パイント(※237ml)の缶が8つあった。非常食として、チョコレートは普通のものより大きく、切れ目が入って6つに分かれていて、これで約1週間、食い繋げるということになっていた。説明書には、一日にひとかけずつ食べるよう、またそれには30分かけるようにとのことで、パッケージには、このチョコレートは栄養補強されています、と大文字であり、全てのビタミン、ミネラル、タンパク質といった、非常時に誰もが必要とする栄養素が入っていた。

 インターネット・マガジン「The Art of Manliness :オトコの美学」より、ルイス・ザンペリーニの救命ボートに備え付けられた装備一式。①ハーシーズの非常用チョコレート②ハーフパイントの水の缶8本③クロームメッキの鏡④信号銃⑤シー・マーカー⑥魚釣りセット⑦カンバス生地入り空気入れ2つ⑧パンク修理キット⑨ペンチ⑩オール。ペンチの柄の部分がドライバー等、本文とはやや異なる

https://www.artofmanliness.com/articles/outfitted-and-equipped-in-history-louis-zamperinis-life-raft/

 日本でもギブミー・ア・チョコレートで有名な、アメリカ軍D型野外用糧食チョコレート。ハーシーズ社によって、携帯しても溶けないように設計され、非常時以外は食べたくならないよう、「味は茹でたジャガイモよりマシな程度」かつ「不快なほど苦く」設計されていた。内容量は1箱4オンス、113.398グラムなので、決してそこまで大きくはない

https://hersheyarchives.org/encyclopedia/ration-d-bars/

 オレは水とチョコレートを、フィルのボートから自分のボートに移した。それは沢山あるようには思えなかったが、しかし自分はさして問題とも思わなかった。オレ達はパルミラから北へたった200マイル(※320キロ)しか、時間で言えば90分ほどしか離れていないのだ。ハワイからなら800マイル(※1280キロ)南とも言える。ということは、探索救助機は、すぐにでもオレ達を発見すると思ったのだ。

 

 人の人生が驚くほど一瞬かつ、根本的に変化してしまう時、人が最初にできることといったら、混乱することでしかない。ある時いつものように飛行機で仕事をこなしていて、エンジンが轟音と共に進んでいる矢先に墜落が起き、救命ボートで自分がどこにいるのかも分からない中、シンとして音もしない広大な大海原に流されると、その混乱はどれだけ小さかったとしても、甚大なものとなる。目の前には以前とは打って変わった新しい世界が展開し、人は自分に何が起きているのかを理解し、把握するまで時間を必要とするのだ。運命はオレ達を、6500万平方マイル(※1億と4百万平方キロメートル)にも及ぶ、静寂の大海原へと投げ出したのだ。オレには風の音も鳥の鳴き声も、波の音も聞こえなかった。さっきまでちょっとテレビを見ていて気づいたら、突然にして自分が月にいるのに気がついたかのようなのだ。

 フィルに包帯をあてマックが落ち着くと、オレはようやく落ち着いて物を考える時間ができたが、しかし心が晴れるにはあまりに程遠かった。頭の中には他の8人のクルーと、虎視眈々とこちらを狙うサメのことがあり、それらはまじまじと考えるにはあまりにおぞまし過ぎた。そこで代わりに、オレ達3人がどうして生き残れたのかを考えた。だがそれは至極簡単で、3人は全員機内の右側にいたからということに過ぎない。フィルはカッパーネルと席をかわったから右側にいて、オレは中部甲板の右側の窓が持ち場で、マックはその後ろだった。衝撃で機体の尾部はポッキリ折れ、そこからマックは投げ出された。だがフィルの場合、どうやって機体から生きて出られたのかは想像もつかない。B-24のコックピットについて詳しい人なら、そこへ出入りするのは普通の状態であってもどれだけ大変なのか分かるだろう。フィルは生きている方が不思議としか言えなかったのだ。機首が海面に衝突した際、コックピットが滅茶苦茶になったのは間違いないと言え、おそらく即死したであろうカッパーネルより右側、かつ高い位置にいたからこそ、衝撃はフィルを機体の損壊部分から外に押し出し、頭皮を裂いたのだろう。

 残りは自分だ。フィルやマック以上にオレは死んで当然と思われた。あの絶体絶命の状況から、自分がどうやって奇跡的に抜け出したのかを考え始めると、単純な一つの問いに突き当たる。

 「どうしてあの呪縛が緩んだんだ?」

 理にかなった答えを得ようと、オレは全ての瞬間を反芻しては、それを何度も何度も繰り返した。耳に水圧がかかって、耐えられない程の圧迫を額に感じて、意識を失って・・・それから目を開けると自由になっていた。だが、どうやって?もう一度、記憶を手繰る。耳が痛くなり、圧迫を感じて・・・そして自由になっていた。全く意味が分からない。ある深度で自分が水圧によって意識を失い、その時点で自分がさらに沈んでいたのなら、なぜ増加する水圧の中で、自分は意識を取り戻したのだろう?言うまでもなく、銃座の三脚は甲板にボルト留めされており、ワイヤーが巻き付いていたのだ。

 だが結局の所、自分には何か不思議で奇跡的なことが起きたと信じるより、オレには他に選択の余地もなく、それが何なのか理解しようとすると、途方に暮れるよりなかった。

 子どもの頃より死や重傷の危機を、かろうじて切り抜けてきた全ての記憶が、一つ一つ頭に浮かんでは消える。すると、今朝ペイトン・ジョーダンに出したばかりの手紙のことを思い出した。彼は海軍の航空訓練校にいた友人の一人で、USCの陸上選手でもあり、後にオリンピックのコーチになる男だった。投函しようと思い、手紙をポケットに入れておいたのだが、救助任務に呼ばれて出頭した際、離陸の直前にオレはそれに気づき、地上クルーの一人に窓越しに投げて渡し、

 「悪いんだけど、代わりに投函して貰えないかな?」

 とお願いしていていたのだ。しかも手紙はこんな文言で始まっていた。

 「なぜだか分からないけど、オレはまだ生きていて、そこらで元気にやっているよ」

 全くもって最悪な今の状況にも関わらず、自分は未だに生きており、どうしてそうなったのかも分からないが、それは海の藻屑と消えているよりは、全くもっていいことだった。

 そんなことをずっと逡巡していると、ほどなくオレは疲れ、かといって他に約束の類が何かあるハズもなく、力を抜いて海の揺られるような動きに集中しようと努めると、そのまま眠りが訪れるのを待った。

 

 「ラッキー・ルーイー」という言葉が頭から離れなくなり、オレはハッと目を覚ました。高校以来、オレはそのニックネームで呼ばれることに、いつも一人でいい気になっていたが、今となっては何が何でも「ラッキー・ルーイー」であり続ける必要があるのだ。フィルもマックも、また自分とて教会に毎週通う男ではなかったし、戦闘に赴く前ですら、オレ達は神に祈ってなどいなかった。だがこの墜落を生き延びた今、オレは少なくとも神の手の介入とでも言うべき種類の可能性について、考えざるを得なかった。これは一応ではあっても、自分は神に自分達の命を救ってくれたことへ感謝を述べると、また2人の仲間も一緒に祈った。無論、救命ボートに命を委ねる人間がすることと言ったら、祈ることがそのほとんどなのだろうが。

 

 思えば今までクルーの3人は、海を見下ろすのにすっかり慣れていたのだが、気づけば今度はずっと空を見上げるようになっていた。時間が過ぎるに伴い、太陽はその角度を傾け水平線へと近づき、空気は湿度を増し、オレ達の腹は鳴った。だが救助機が現れる様子はなく、オレはその日の分のチョコレートを全員に分けると、救命ボートで一夜を明かすことに覚悟を決めた。

 闇夜が訪れると、辺りは急速に冷え、冷気は骨を刺すかと感じるほどで、とても眠れたものではなかった。そこでオレ達はシー・アンカーを使った。これは中身が空洞のカンバス生地でできた折り畳み式のもので、馬の首にかけて口を覆うエサ袋のようなものだったが、それでもってそれぞれ2艇のボートに6インチ(※15cm)程、海水を汲み、体で海水を温めると毛布代わりにしたのだ。するとこれはうまくいき、オレ達は最終的には疲れ切ってまどろみへと落ちると、まるで死んだかのように眠った。

 次の日の朝、オレ達は太陽で自分達を乾かすと、救助機を求めて空を仰いだ。もう一晩、海の上で夜を過ごすなど、3人共もうゴメンだった。

 朝メシには水とチョコレートを、それぞれ少しずつ摂ろうと思った。浪費をしたりしなければ、3人で一週間は過ごせる。ところが糧食を取りに行ってみると、チョコレートがすっかり消え失せていた。

 一瞬オレは我が目を疑った。たった一晩前に自分は3人分の配給を、どこかへ行かないようにしたばかりなのだ。昨夜の海は凪いでいて、チョコレートが波にさらわれるということは起こりえない。自分は食べていないし、もう1艇のボートにいたフィルは、弱り切っていて動くすらままならない。となればそれは、マックの仕業であることに疑いの余地はなかった。

 「オマエ、何したんだ?」

 オレは思わず声を荒げた。

 「何をしたんだ、オイ」

 フィルがこっちをじっと見た。マックは黙っていたが、その目は大きく開き、哀れなその表情はむしろ滑稽ですらあった。

 「どうしてこんなことを?」

 オレはもう一度聞いたが、反応は無かった。だが何かを言うにしろ、一体マックに何が言えただろう?自分がしたことに、いかなる弁解の余地もないのだ。

 「こんなことをする奴を、オレは見たことがない。オレ達3人、力を合わせて一致協力して、共に事にあたらねばならない時にだぞ」

 オレはもう一度、マックの横っ面を張ってやりたかった。しかしそうはせず、もはやうんざりしてマックに背中を向けた。腑抜けのマックは、何かを壊しておきながらそれを誰かのせいにするガキと何も変わらないのだ。こんなヤツ相手に一体、オレに何ができるだろう?頭を蹴ってやる?奴の問題は精神的に、この異常な状況下でストレスによって誘発された?ああそうだろう、だがストレスなんぞそんなもの、オレ達全員が感じていることだ。マックはもはやどうしようもないように見えた。感情が麻痺してしまい、自分のしたことが悪いことだと百も承知なのは疑いようがない。ではなぜオレは怒るのか?自分はあと1日か2日もすれば、救助機がやって来るのを疑ってもいなかった。そう思うと一瞬、一気に栄養補強チョコレートを6本も食べたりして、体がどうなっても知らねえぞ、とマックのことが心配にすらなる。

 それにそもそも、マックのパニックと内なる衝動について、予測しなかった自分にも部分的に責任がある。というのもマックは自らの管理を、決してマジメにはやっていなかったからだ。基地にいれば肉体教練をサボり、タバコを切らすこともなく、酒を飲み、夜になれば何をしていたか知らないがホノルルに繰り出していた。また食事を抜いたりもした。食堂に並ぶ食事は悪くなかったにも関わらず、入ってくれば甘いものばかり選んだかと思えば、それだけで出て行った。周囲の言うことにも耳を貸さず、コーヒーを何杯かとパイを3つも食べて平然としていた。マックはオレ達3人の非常用チョコレートよりずっと以前から、既に甘党だったのだ。マックが信用できないことなどオレは前もって知っていたはずで、代わりにオレがしたことと言えば、手をガラガラヘビの前に出しておきながら、自分は噛まれないと思っているようなもので、こんなことはバカしかやらない。

 兵役に就いた人間は、誰もが同じコンバット・トレーニングを受け、前線には同じ装備を持って出る。そしていざという瞬間に、幾人かはパニックを起こして逃亡し、軍法会議に掛けられる。それはなぜだろう?人は誰もが、全く同じように育てられた訳ではないからだ。自分はいかなる困難にでも直面するように育てられたが、キレイな服を着せられ甘やかされていれば、自分と同じコンバット・トレーニングを受けられても、実際の戦闘ともなればそれと直面することができない。彼はこの世界で生きるため、鍛えられていないのだ。 

 この、実の人生に対して鍛錬されている、ということは極めて重要なことだ。

 最近では子ども達が、テレビ・ゲームの類から経験を積んだりするが、自分はこの世界で起きる実際の「ゲーム」の方がやるに値すると考える。今の世代はロボット装置を使い、コンピューターで無人機でも操れるのだろうが、しかし彼らはこれに対して必ず起きる反撃に、持ち堪えるだけの準備はあるのだろうか?感情的な安定はどうだろう?艱難辛苦の類に遭おうとも、自らの感情を充分に切り離し、これを受け入れることはできるだろうか?自分達が敗北しようとも、取り乱さずにいられるのだろうか?

 マックは自らの職務に関しては多くの訓練をこなし、その腕も悪くはなかった。しかしオレはそれ以上のものを、生身の人間として期待すべきではなかったのだ。次の日の朝には、すぐになくなったことが他の2人にバレるというのに、マックは一体何を考えてチョコレートをむさぼったというのか、オレには今でも想像できない。分かっていたのはただ、このことでオレは動揺などしてはならない、ということだけだった。

 

 2日目の朝、空はどんよりとし、つまりこれは空からボートを発見するには困難な状況だった。オレ達は言葉少なに、ともかく待った。フィルが容体を前日より悪化させたということは、一応ないようだ。一体自分達はどれだけ潮に流されたのだろう?するとそれはおよそ正午ぐらいであったろうが、オレは遠方ながらも頭上に、聞きなれたプラット&ホイットニー社のエンジンの雷電音を耳にした。そしてB-24の機首が、雲間から出て来るのが見えると同時に、信号銃を掴んだ。その高度は低く、捜索隊が自分達と同じ中隊所属だと確認できる程だった。オレは信号弾をパイロットのそばに向けて撃ちたかったが、機体に当たるやもしれないのが嫌で、代わりに中部銃手と、後部銃手が見るであろう場所を狙った。これに爆撃機は90度の転回をし、オレは思わず

 「見えたぞー!」

 と叫び、フィルでさえ笑顔を作って見せた。

 だが実は、この様子は機上からは見えていなかった。

 「あのクソども、持ち場についてねぇじゃねえか!」

 当初自分はこう心の中で悪態をついていたが、例え誰かが1,000フィート(304M)の低い高度から見たとしても、オレ達の救命ボートは、無数に立つ白い波頭と混じった、小さな点でしかなかったのだ。それから再び雲が立つと、爆撃機は遥か遠くへと消えてしまった。次の日にも捜索は再びあるのだろうとは思う。しかし今やオレ達は、洋上にただぽつんと取り残されてしまった。

 いや、正確に言うと3人だけでもないようだ。何匹かのサメが、既にこちらを嗅ぎつけていたのだ。奴らは時たま鼻面をボートにぶつけ、それがどれ位の強度なのかを調べていた。サメ特有のやり方で、脆弱なボートなんかでは、オレ達は飢えたまま開いた顎の前に、すぐに餌食になるわと言わんかのようだった。飢えているのはこちらとて同じだったが、しかしオレ達は腹の虫なんぞ無視するより他はなく、寝てしまうに越したことはなかった。マックとオレは海水をボートに数インチ汲み、再びオレ達は夜を明かすため、ボートに小さく丸まった。

 

 後になってから、自分はミッションを共にした姉妹機のB-24のクルーから聞いたのだが、自分達は翌朝の4:30に公式に行方不明と報告されたそうだ。そして夜明けにはこの(※同ミッションで飛んだ)姉妹機が自分達のために飛び立つと、捜索活動は1週間、オアフ島にこの機体がメンテナンスのために戻るまで続いた。そしてその頃には、オレ達は死亡扱いとなった。

 遭難から3日目に、オレ達はまた別の機体の音を聞いた。自分は北に向かうB-25を一機発見し、それは空に浮かぶ小さな点ぐらいの大きさで、高度約10,000フィート(※3,048M)を飛んでいた。オレ達は信号弾を撃ち、海にシー・マーカーを撒くと、祈りの言葉を口にした。だがB-25は、これにより機体の進路を変えることはなかった。

 遭難してしまうのもそれだけで困ったものだが、しかし今やオレ達には新たな懸念が生まれていた。B-25の位置と飛行コースからすると、オレ達が西に流されているのは確かで、島嶼間を繋ぐ通常の飛行ルートの外に出てしまっているのだ。つまり、これではもう一度奇跡でも起きない限り、チョコレートのみならず早期救助のチャンスをも使い切り、救助の機会が全て失われることを意味していた。

 フィルは活動することはできず、マックが精神的に壊れており、2人の命運はオレにかかっていた。糧食も全くなく、水がほんの少ししかない状況で、オレ達はどれだけ持ち堪えることができるのか、全く見当などつかない。それ故に自分は今までの訓練や能力、全てを総動員せねばならないのだ。この洋上から全く出ることができない状況で、できることと言ったら環境を受け入れ、それに順応することしかない。貿易風は東から吹きつけ、オレ達をマーシャル諸島かギルバート諸島に流している。だがそこまでには、まだ数千マイルはあり、到達するには何日も何日も、あまりの日数を要する。

 そう思うと一瞬、オレは大きな不安に苛まれた。オレ達は全員、海に飲み込まれてしまうのかもしれないのだ。だが、あきらめるのではなく、むしろオレは自分に誓った。これから先、いかなることがあろうとも、死ぬことは絶対に考えず、生き延びることだけを考えよう、と。実はこんな状況にも関わらず、オレは自分が生きていることを極めて運がいいと、幸せを感じる程に思っていたのだ。今から思うと変な話かもしれないが、しかしあの時、オレはそんな風には思わなかった。

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