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第6章 漂流

Adrift

 週間が経った。オレはチョコレートのことを考え始め、それは特にマックがパニックを起こし、もう一度ビンタを食らわせないといけないような事態になると酷くなった。マックは既に理性を保てず、口を開けば出てくるのは死ぬことばかりで、オレが丁寧に情理を尽くして安心するよう言っても、将来への展望など失っているようで、そうなるともうだいたいはもう一発、強烈なビンタが必要になり、そうするとマックは黙り、そして寝た。

 だが一方で、いいこともあった。フィルが回復したのだ。

 自軍の飛行ルートを外れ、西に向かって流される。オレはこの事実に抗うのではなく、自身の運命として受け入れた。そりゃあ救助されるならもちろんそれで最高なことだが、今はともかくも生き残ることが先決だ。

 

 人が生きるためには食事と水、それから明確な意識がなければならない。

 サバイバルキットには最初、水のハーフ・パイント缶(※237ml)が8つあったのだが、これはすぐに底をついた。もちろん言うまでもなく、オレ達は「水」に囲まれている。決して止まることなく、波が新たな波を生み登っては落ちる、この海水にだ。この手のシチュエーションの映画だと、だいたいこうなる。ヒゲも髪もボサボサで薄汚い、真っ黒に日焼けした登場人物の1人が出て来て、こう言うのだ。

 「辺り一面の水、そして水、だが一滴たりとも飲むことはできぬ!」

 とまあ、まるで強烈な誘惑に立ち向かうかのようなのだが、オレ達はそんなふうに考えることは全くなかった。そんなことを考えてはいけない。海水を飲めば命に関わることは全員知っていたし、自分はせいぜいやったとしても、たまに舌を濡らす程度で、そうでなきゃ自分達が砂漠に漂流していると想像したりした。正常な感覚の人間なら、誰も砂を飲んだりはしない。

 つまるところ漂流を始めてからすぐに、自分達の飲料水は午後に降るスコールや、空を漂い、低い位置に一つだけぽっかりと浮かぶ雲より降る雨からしか、全く得られなくなったのだ。ややもすればその雨は、ボートの上を外して降り、しかし運よくそれに当たった時は、オレ達は雨を空気入れのカンバス・ケースに貯めた。ケースは幅6インチ(※15cm)長さ2フィート(※60cm)程で、オレはそれを縫い目の一つに沿って剥ぎ取り、口を開けていたので、漏斗状の形の容器として使えたのだ。またこれはそれのみならず、日除けのフードとして使うこともできた。 

 雨に当たると、ともかく最初は渇きを癒すためにそれを飲み、満たされると次はケースに残った雨を口で吸い、口で空き缶に移した。汚いと言う声が聞こえてきそうだが、荒れる海に風雨が吹きすさぶ中、揺れるボートで水を注ぐなど不可能な話で、水を移すのに口を使うのは唯一の方法だった。またそれ以上に重要だったのは、この方法だとボートの側面に寄せては侵入してくる白波で、海水が真水に混じるのを防ぐことができたのだ。

 だが、この方法がいつでも機能したワケではない。雨の降る間に上を向き口を開けていて、得られたのはそこに入っただけで、スコールが行ってしまったことも何度かあった。一度など7日の間、全く飲料水がなかったこともある。雲はまるでオレ達がそこにいるのを知っていながら、あえてそこを避けているかのようだった。来る日も来る日も、一日に何回も雲は水平線の上を漂い、ボートの方へ向かって来るのだが、そこから脇へ逸れて明後日の方角へ行ってしまう。オレ達の唇には水ぶくれができ、腫れ、喉は焼けるように渇いた。そのあまりの渇きに、オレ達は幾度も雲を追った。必死になってオールを漕ぎ、それでも生命の源である天の恵みは得られず、その結果、ただただ疲れ切った。さらにはその渇望も差し迫るにつれ、水分保持のため、2人がオールでサメを追い払う間に、残りの一人が数分の間、海に入ったりもした。

 そして自分達は最後に、祈りへとすがった。

 自分は祈る時、それは心の底から祈っていた。なぜ自分が祈っているのか分からなかったが、それでも心の底から祈っていた。自分とて神様がいて、天と地を創造したことくらいは教会で聞かされていた。だがそれ以外のこととなると、オレは聖書についてよく知らず、というのも当時、自分達カソリックはプロテスタントと違って、聖書を丁寧に読むことがいいこととはされていなかったからだ。少なくとも、オレが行っていた教会ではそうだった。だが救命ボートの上ではそんなオレも、他の人間と変わらなかった。つまり数千年前の絶海の孤島に住む原始人から、(※近代の)塹壕戦において、神など信じない兵士に至るまでがそうであったように、よもや万策尽きた時に自分がしたことは、天を仰ぐことだった。

 「なあみんな、今までオレ達は何に対してでも祈ってきた。だから今度は水に対して祈って、焦らず力を抜こう。でなきゃ、自分で自分の命を縮めるようなもんだろ」

 そう言うとオレは少しの間、考え、祈りの口上を始めた。そしてそれはまるで、神様相手に取引を持ち掛けるかのようだった。

 「今こそ私の祈りにお答え下さい。この試練、さらには何が起きようとも全てを耐え抜き、私が家に帰ることができたのなら、残りの人生をあなたのために捧げます」

 こう言う以外に、一体自分は何を言えるというのだろう?他の誰かなら違ったことも言えるというのか?この絶望的な状況で、オレ達には神への献身以外、何も約束できるものなど残っていなかったのだ。

 すると一時間もしないうちに、オレはスコールがこちらに向かって来るのを見た。今回は方角が逸れることもなく、しかしこちらの頭上にゆっくりと向かって動いて来た。それでも今まで散々に期待を裏切られてきたオレは、雨なんて一滴たりとも降らないだろうと期待もしなかったが、だが雲は突然はち切れそうになったかと思うと、土砂降りになって降って来た。オレは日除けのフードを天に掲げると水を受け、溜まるそばから飲んではこの天からの贈り物をフィルやマックと分かち合った。正に甘露。最初の一口を味わった瞬間に、自分が世界で一番恵まれた男だと分かる。それはきっと樽を丸々だって飲めたのかもしれない。だが言うまでもなく縮んでしまったオレの胃は、1パイント(473ml)以上はとても受け付けることができなかった。

 まあ神様はオレ達の祈りを聞いてくれたのかもしれないし、突然の雨はただの偶然だったのかもしれない。だがいずれにせよ、それより全能なる存在と我々3人の日々の「会話」は、新たなる誠意を持って行われるようになり、主への祈りもより頻繁に述べられるようになった。まあそうしたってきっと、悪いようにはならない。

 前述の「Manliness:男の美学より」カンバス・ケース及び水の缶。―塩分の強い魚は捕まえても消化には水を必要とし、水が無ければ脱水症状を悪化させてしまい、食べない方がよい―

ディカバリー・チャンネル「Adrift :漂流」より

 ※聖書を読むことがいいことではない:当時カソリックは、聖書を読んでも正しく理解できないので、一人で読まず教会の指示に従うように、また聖書の引用にはそもそも、原典にはない引用者の意図が含まれるとした

https://www.google.com/search?q=Why+CATHOLICS+DON%27T+READ+THE+BIBLE&oq=Why+CATHOLICS+DON%27T+READ+THE+BIBLE&aqs=chrome..69i57.577j0j9&sourceid=chrome&ie=UTF-8

 海での漂流を始めて何週間か過ぎても、オレは腹が鳴るということは決してなかったが、これは体全体が、悲鳴を上げる程に鳴っていたことに他ならない。空腹感は常に絶えることがなかった。水と並んで不可欠なのは食べ物で、それなくして致命的な結果は避けられない。体が自分自身を消費してしまうのだ。

 ボートにずっと乗っていると、たまに小魚が波と一緒にボートに入ってくることがあった。それは食べることができたし、マックの目は口ほどに大きく見開いたが、しかしオレはそれを食べることを許さなかった。

 「これは投資に回して、デカくして回収するんだ」

 オレ達は小魚を釣り餌にし、10インチ(※25.4cm)のパイロット・フィッシュ(※ブリモドキ。サメを先導して泳ぐ)を釣ることに成功した。小魚の投資にしては、充分な回収だったろう。

 サバイバルキットには、缶に入ったサイズの異なる釣り針と糸もあったのだ。オレ達もこれで釣りを試みたのだが、しかしやる度にほぼ毎回、餌も針もサメに易々と持っていかれてしまった。そこで最後の手段として、オレは釣り針を、親指と人差し指と小指に結び、海の中に入れた。そして時にはそのまま最大で30分も待ち続けたが、サメが来ないかいつでも注意して見ていないとならず、結局は指の血流が限界を迎え、糸を解かないといけない羽目になった。サメはパイロット・フィッシュと横に並んで狩りをする習性がある。好奇心旺盛なパイロット・フィッシュが射程圏に入ると、オレはそれを掴んで獲った。パイロット・フィッシュが逃げようとすれば針が体に食い込む算段で、それからすぐにオレ達はこの獲物にありつけた。

 

 あれはいつの日だったか分からないが、一度、穏やかな夜に寝て太陽と共に起きると、海が文字通りガラスのように、波一つなく凪いでいた。これは赤道無風帯、ドルドラムに足を踏み入れたに違いなく、この現象自体は赤道近くでよく起きることだった。このしん、として途切れることなく続く静けさは、異様でありながら非現実的な魅惑に溢れていて、150フィート(45M)先の海面に小魚が顔を出す音が聞こえる程に、本当に何の音もしなかった。視界も通常より明らかに抜けており、自分はこれを幸いに水平線を見渡し、船や潜水艦でもいないかと探したが、しかし何も発見することはできなかった。

 だがこのベタ凪で、サメによるいつもの追跡がなくなる訳ではなく、むしろこの波のない海面で、サメたちがボートの周りを泳ぎ回る度にいかに優雅に動いているのかがよく見えた。自分はサメが一匹ボートを通り過ぎる瞬間に、その頭の後ろに手を乗せ、背面から背びれへと上がる曲線沿いに手を走らせた。サメはそれに身じろぎもせずに泳ぎ続け、それはまさに自分が自然と一体になったように感じた。

 フィルが寝ていて、マック後ろにもたれている間も、オレはこれを何度も繰り返した。そしてサメが次なる軌道に入った時、オレはよく見えるように膝をついた。すると次の瞬間、サメが勢いよく動いたかと思うと海面を突き破り、口をガパッと開けてこちらに突っ込んで来た。それはまるで地獄から出て来た悪魔が、自分を咥えてボートから引きずり出すかのようで、オレは本能的に両手の手の平で、この鼻づらを押しのけた。鼻は口より前に1フィート(30cm)ほど突き出ており、お陰でなんとかこの獰猛な化物を海に追い返すことができたのだが、しかしこれで奴らの攻撃は終わることなく、次にはなんと別の仲間が同じように海面から飛び出してきた。これにオレはアルミのオールをとると、鼻に向かって突きを入れ、マックは、 正直オレはかなりビックリしたのだが、もう一つのオールを手にとり、オレ達は一緒にこの肉食魚が諦め切るまで、叩きに叩いて奴らを追い払った。

 オレはマックの健闘を称えると、この助太刀に礼を言った。この事件は2人にとって恐ろしいものだったが、この身の毛もよだつ状況でのマックの反応は、彼の態度を前向きなものへと変えた。あれだけ衰弱していたにも関わらず見事な働きで、遭難以来、初めて賞賛に値することをしたと言え、今やマックは自分の信頼できる仲間でありこそすれ、もはやお荷物などではなかった。オレはそれを誇りに思うと、ありのままマックに伝えた。

 また自分はサメが筏や、ましてやボートに飛び乗るなんて聞いたこともないとマックに言った。あの時には信じられないことだったが、ところが後で知る所によると、別にこれは珍しいことでもないそうだった。

 

 いかなる動物でも、空腹の時には危険になるものだ。これが人間の場合、欲しい物のために知恵や工夫を凝らす分、さらにタチが悪いとも言える。何も食べるものがない状態が何日もの間続いた後、オレ達のこの完全な食料不足も、危ない様相を呈してきた。と言っても、誰かが誰かを食べようとするような、そんなおぞましいことではない。自分ならとても人間を食べてまで、生きてなどいられなかっただろう。

 オレの頭にあったのは、あのボートに飛び乗ろうとしてきた、鬱陶しい二匹のサメのことだった。奴らは未だにこちらの周囲をうろつく目の上のタンコブそのもので、オレ達はサメの食物連鎖には入っていないにも関わらず、隙あらばオレ達を食ってやろうと虎視眈々としていた。生き物が腹の底から飢えていれば、手に入るものは何でも手に入れようとする。サメとてそれは同じでオレ達を襲い、そこでオレにもアイデアが浮かんだ。

 「向こうがやってくるなら、こっちもやってやろうじゃないか」

 オレはフィルに言った。

 「サメがオレ達を食おうとしたんなら、こっちだってやってやろうじゃないか。今からサメはヒトの食物連鎖の一部だ」

 頭の中に手順はできていた。まずフィルが餌を持ち、水面を出したり入れたりしてサメの注意を引く。それからオレはサメの尻尾を掴んでボートに引き上げ、仕留めるのだ。

 餌が小さなサメの誘惑に成功すると、オレはボートから身を乗り出し、尻尾を掴んだ。が、これは大きな間違いだった。サメの肌はザラザラで紙やすりのようで、5フィートのサメ(1.5M)の力は6フィート(1.8M)の人間なんかよりはるかに強く、とても掴めるような相手ではなかったからだ。あまつさえ、この試みから早々に逆にこちらがボートから海中へと引きずり込まれるハメとなった。自分はどうやってボートに戻ったのか覚えていないが、潜水艦から発射される弾道ポラリス・ミサイルみたいに水面から飛び上がったのは間違いない。サメが引き返してこちらを攻撃してくると思った訳だが、だが向こうとてこちらと同じくらい、怖い思いをしていたのかもしれない。

 これがあってからオレは、もう5フィートのサメのことは忘れよう、と2人に言った。

 するとそれから数日後、今度は3フィート(91cm)と4フィート(1.2M)のサメが現れ、それより大きいのはいなかった。これにオレ達は餌を再び吊るした。今回はボートに重心を落とし、そして過ぎ行く尻尾を掴むと、自分の持てる最速の動きで水中より引き上げた。奴は口を開けていたが、しかしフィルが空の信号弾の弾倉を持って待ち構えていて、これを口に突っ込んだ。サメは本能的に口を閉じ、これを何としても離すまいとする。オレはペンチを手に取ると、柄の部分についたドライバーでサメの目を脳まで突き通し、これを仕留めた。

 しかしナイフなしにサメを捌くのは至難の作業だった。自分はクロームの鏡の角にペンチを使って形成した、のこぎり状の歯を使い、これは人の腕をバターのように切るほど鋭利だったのだが、それでもサメの皮膚を切るには苦闘をすることになり、腹を切り通すだけでおよそ10分はかかっただろう。

 自分はサバイバル・トレーニングのお陰で、サメの肉を生で食べると病気になることも知っていた。まあ知識以前にその匂いはアンモニア臭がして、とても食べる気などしなかったが。食べられる部位は肝臓だけで、ここにはビタミンが非常に豊富に入っているのだ。オレ達はその後もう一度サメを捕まえると、このねばついて血まみれながらも甘美な食事を、二度に渡って堪能した。

 だがその間も、大きい方のサメ達がボートの周囲をずっと窺っていた。顔を何度も水面から突き出し、その様子はまるでオレ達を捕食することで、仲間への復讐を狙っているかのようだった。

 

 他に食料を得る手段はもう一つ、それは空からだった。アホウドリ、またの名をアルバトロス。この美しく優雅に空を飛ぶ生き物は、羽を広げると幅は6~8フィート(1.8~2.4M)にも及ぶ。南洋の温暖な微風に乗り、いかなる方向へも自在に滑空し小魚を探すその姿に、自分達は惚れ惚れとさせられていた。その色彩は白を基調とした純白から、きらびやかな栗色や黒へとグラデーションを描き、自然の造形美そのものなのだ。

アホウドリの親子と、サメ、パイロット・フィッシュことブリモドキ。後者は船や大型魚について泳ぐことから

 オレ達はアホウドリが空を行く姿を時折見たが、しかし決してこれを捕まえられるとは思わなかった。アホウドリを殺すと悪いことが起きる。この船乗りの迷信はサミュエル・テイラー・コールリッジによって書かれた詩、「老水夫行」に書かれてある。アホウドリを食べるなんて考えるだけでも恥ずべき事に思えたが、しかしいざその瞬間を迎えてみれば、例え迷信でなかろうとあろうと、それはせねばならないことであるのをオレ達は悟った。映画「バウンティ号の反乱」では、ブライ船長がマストに留まっているアホウドリを見つけ、それをオールで打ち落としていた。海鳥はとまれるなら何にでもとまるから、これなら現実に起こりえる。だがそれ以前にそもそも、オレ達のボートにマストなんかある訳がない。

 ある日の午後、フィルとマックが寝ている間、オレは例の日除けの下でうつらうつらとしていた。すると影が見えたかと思うと、何かが頭に着地してきたのを感じた。アホウドリは通常、餌を食べた後にすぐ休息する習性があるのは知っていた。ということは一匹捕まえれば、その胃の中にはまだ小魚が残っているのだ。獲物は食べるだけでなく、釣り餌としても使える。

 オレは寝たまま動きを止め、どうして捕まえたものかを思案した。少しでも急いで動けば、鳥が飛んで行ってしまう。ここは慎重には慎重を期さねばならず、手を鳥の近くに持っていくまでで、実に2分はかけただろう。だが心の中ではもっと長い時間に感じられた。そこからさっと動くと足を一本掴み、アホウドリはそのカミソリのような鋭いクチバシで、何度もこちらを突いて逃げようとした。そのクチバシはギザギザのパン切りナイフのようになっていて、先端はワシの鉤爪にも匹敵したのだ。今でも指の関節の所にあの時の傷があるし、鋭い痛みもまざまざと甦るが、自分は反撃を止めさせるため、鳥の首を絞めた。

 その頃にはフィルもマックも目を覚ましており、そしてオレ達はその身をすぐさま裂いてしまう程に飢えていた。自分が羽毛を剥ぎ取ると、鏡の柄の歯の部分を使って肉を切り開き、鶏のように捌いて、各部位を人数分に分ける。

 だがここには一つだけ問題があった。食べられなかったのだ。臭いが酷くて我慢ならず、生臭く死んだ馬のようで、生暖かい血ときたら、ああもう!胃がムカついて吐きそうだった。実は救命ボートで海を漂流することによって、オレ達は予期せず嗅覚を失っていた。揚げたてのドーナツも熱いコーヒーも、グリルに焼けるステーキもジャガイモも玉ねぎも、鼻を刺激するものがないと嗅覚は失われてしまう。とはいえそれはすっかり無くなった訳ではないことを、生のアホウドリを鼻の前にして自分達はしみじみと思い知った。鼻を刺すような強烈な臭いからくる吐き気に耐え切れず、オレはそれを舟の外へと捨てた。

 1798年発表、サミュエル・テイラー・コールリッジ「老水夫行」

 「辺り一面の水、水であろうとも、一滴たりとも飲むことはできぬ」とはこの詩に登場、様々な映画等に真似された。他にも

 ①風を運ぶ幸運の鳥アホウドリを殺めて嵐に巻き込まれる②幽霊船に乗った女幽霊に襲われる③海蛇の群れや船乗りの亡霊達と会う④赤道無風帯を通る、等々は全てこの詩に登場。日本では文体をそのまま出そうとした結果、読んで面白いとは言い難い翻訳となり人気は現代に及んでいないが、それでも西洋式幽霊船のインパクトは絶大で、現代の漫画やゲームの元ネタになったとも言われる。「アンブロークン」によると、この詩は100年後のアメリカの子ども達にも人気で、フィルも漂流時には既に読んでおり、アホウドリの件を心配。現在でも下リンクのようにウソ・ホント解説サイトが存在する(リンク上は日本語訳)

https://literaryballadarchive.com/PDF/Coleridge_3_Ancient_Mariner_ja.pdf

https://quizlet.com/366615115/the-rime-of-the-ancient-mariner-truefalse-plot-and-short-answer-flash-cards/

 身近な匂いを思い出すため、自分達は変な癖も身に着けた。小指で耳をほじって、耳垢の臭いを嗅ぐのだ。これで何とも安心感が得られた。

 だが、嗅覚がどれだけ重要だったとしても、空腹には勝てない。オレ達が2匹目のアホウドリを捕まえた時、オレは言った。

 「あのさ、少なくとも胸肉だけでも食べないと」

 自分はそれを、天日に干して気持ちの分だけでも、「温め調理」することもできたろうが、だがそれすらせずに生肉を裂くと、口に入れた。だがもうそれは、飲み込もうとするだけでも至難の業で、オレは再びマックのことが心配になった。マックは調子が悪そうで、既に生気を失い始めていると思われたのだ。そして3匹目のアホウドリを捕まえる頃には、オレ達はもう臭いがどうのとか言っているレベルではなかった。オレは鳥の頭を落とすと、血の溢れる首をマックの口に入れそのまま飲ませた。アホウドリの体を絞り、最後の一滴まで残らずマックの喉に流し込む。オレ達は飢えからその身、全てをもう夢中になって食べた。今回それはまるで、ナッツとホイップが上にのった、ホット・ファッジ・サンデーを食べるかのようだった。目玉を食い、残りの残骸も全て食べる。足は味をつけるために海水につけた。それはもう本当にうまいとしか言えず、オレ達は残りの人生でも生肉を食べようと、変な誓いを立てたりもした。

 

 ある朝、オレは濃い灰色のアジサシを1羽捕まえた。その時もあまりに空腹で、オレは鳥を絞めるのと同時に歯で羽毛を剥いでいた。するとその後になって、ヒゲがチクっとして痒くなった。当初それは何が起きたのか分からなかったが、しかし考えてみれば結論は一つしかなかった。1羽の鳥がこの美しき大海原のド真ん中に、シラミを連れて来たということだ!これには気が変になるかと思い、オレはフィルにサメを追い払うように頼むと、頭を海に5回も6回も突っ込んで、ヒゲからシラミを洗い流そうと四苦八苦するハメとなった。

左:アホウドリ 右:アジサシ

 また現実の食料が充分にないのを紛らわすため、オレは自分達に料理をするフリをしたりした。これには綿密にして広範囲な設定が要求された。まずは最初に完全な献立から用意しないといけない。サラダ、スープ、ニョッキ、チキン・カチャトーラ、オムレツ、ステーキ、デザートと、自分が小さな頃に母親が料理するのを見て、その作り方を学んだものなら何でもオレは「料理」した。そこにはパン、ワイン、オリーブ・オイルも添える。ここで、もし下ごしらえの過程や細部を省略しようものなら、2人から激しい突っ込みが入った。「ちゃんとフライパンに油を敷けよ」とかいう茶々の類で、フィルは現に一度そうやってオレをたしなめた。もしくは「バターは?グレービー・ソースにはバターがいるんじゃないのか?」という感じだ。オレはこれに対し、塩の量はどれくらい、ベーキングパウダーはどれくらい、といったことまで答えねばならず、「ベーキングパウダーは小さじ一杯だけ」で、さらには焼き時間や温度、生地はどれくらいこね、さらにパリパリにするためにはどうしたらいいか?スパゲッティ・ソースや七面鳥の詰め物はどうやって作るか?どれだけ焼くか?ということまで伝えないといけなかった。これをオレは毎朝、朝食として「料理」し、午後には毎日「昼食」を出し、夜には毎晩「夕食」を作った。すると奴らは調子に乗ってきて、しまいにはブランチを出せとまで言ってきて、さすがにそこまではしなかったが、しかし日曜日だけは例外とした。自分はそれらを即興でこなし、そしてこれは実に役に立った。時間を潰せたし、自分達が深刻に飢えていることを認めはしたが、それに対するいい気晴らしになったからだ。またこれは全員の頭の運動となり、特に自分にはこれが効いた。

 

 食料と水を別にすれば、脳の働きはこの手の逆境に対する、決定的な防御線となる。これは大学時代の知識だが、USCの生理学の教授であるロバート先生は、生徒達にこう言った。

 「キミらの理性こそ、全てなんだよ。これは筋肉みたいなもので、鍛えていないと委縮して退化してしまう。まるで筋肉みたいなもんなんだよ」

 オレは自分を毎日の日課に没頭させた。同僚に「料理」をするようなメンタル・トレーニングなら喜んでした。さらには頭の中で数字を縦に並べて足し算したりして、それからこれを二列に増やし、方程式も解いた。数学なんて嫌いだったし、結果は正解ではなかったのかもしれない。だが自分からすればそんなことはどうでもよかった。他にも頭の中の整理を毎日したりした。

 映画なんかだと、人里離れた場所に隔離される時間が長ければ長い程、正気を失うということになっている。だがそれは実際に起きた場合、必ずしも正しい訳ではない。「キャスト・アウェイ」という映画では、主人公はおかしくなったりせず、サバイバルを見事にやってのける。時に人の世界から切り離されてポツンと存在することは、最高の体験だし、別にそこには狂ったり気が変になるようなことはなく、その生活は美しいものだ。生き残るためにすることは全て前向きな行為であって、一つ一つが達成することに他ならない。どうやって魚を獲り、水を確保し、小屋を建てるか?漂流した人間が世界で一番幸せな人間ではないにしろ、彼は発狂する理由もないのだ。

 その証拠にロビンソン・クルーソーの話ができる。(※人界を離れて)4年を過ごした彼のために、本船よりロングボートが岸に着いた時、彼は当然ながらヒゲ・ボーボーで服もボロボロという、ともかくみすぼらしい有様だったが、人間としての機能に全く問題はなかった。救援隊が彼に気づかず行ってしまうことを恐れ彼は叫ぶのだが、救援隊にはその姿が悪魔にしか見えない。そこで「あれは悪魔だ!引き返せ!」となり、ロングボートは本船に向かって方向転換してしまう。だがクルーソーは頭がよかった。「私は父なる主とイエス・キリストを信じている!」と叫び、これに救援隊はオールを漕ぐのを止め、「悪魔にはそんなことは口にできない」と岸に漕いで返し、彼の所に駆け寄るとすぐさま彼を抱きしめた。4年間の隔離生活によって、彼は正気を害していたのだろうか?その精神はむしろ遭難当初より、しっかりしていたとは言えないだろうか?(※ロビンソン・クルーソーの遭難は28年なので、モデルになったアレキサンダー・セルカークのこと?)

 酷い環境にいるにも関わらず、自分が脳を活性化させようとすればする程に、それは研ぎ澄まされていった。外の世界から何の干渉も邪魔も入らず、仕事に行く必要もなければ、構ってくれと言う女の子達もいなかった。その代わり、自分は今までの人生に何があったのかを、できる限り過去へ向かって遡り、同じことを舟上の仲間にも求めた。驚いたことに、これによって忘れたことにすら気づかなかった出来事を、自分はいくつも思い出した。

 自分はまた、将来についても計画を立てた。毎日仲間を急き立てては、家に帰ったら何をするのが夢かを聞いた。その時、オレの頭にあったアイデアの目玉は、トーランスにあったパシフィック・エレクトリック鉄道のメンテナンス・デポを、バーのついた洒落たレストランに変えることで、これは後になってから実際に誰かがやった話だ。

 「じゃあ、オレは学校の教師になるかな。インディアナのラポートに住みたいし」

 フィルはそう言い、それからインディ500について語った。昔はフィルも家族を連れてそこに行っていたそうで、昼食も持って行って丸一日そこで過ごしたそうだ。それに対してオレは、自分達のカリフォルニアの生活について話した。

 フィルの父親は牧師で、それによりフィルも讃美歌の歌詞をたくさん知っていて、フィルに続いてオレ達も讃美歌を歌ったりした。

 一方でマックはかなり弱っていて、いつもより静かになっていた。オレはなんとかマックを元気づけようと言った。

 「マーシャルかギルバート諸島に着いたら・・・」

 着くかどうかではなく、「着いたら」と言った。

 「無人島の一つを見つけて、できる限りに生き延びよう」

 オレは爆撃ミッションで、そういった島々の上をしょっちゅう飛んでいたし、訓練から自分達がそこで生き残れることも分かっていた。

 自分はよく言われるのだが、人は

 「どうやって時間と日付を把握したの?」

 と聞いてくる。つまり紙も鉛筆もなかった訳だが、それらは書き残すと間違える可能性があり、実はそれより遥かにいい方法があった。舟の上での毎日は、その一日一日が何とも貴重な瞬間で、思い出すには何の苦労もなかったのだ。事実、オレ達は日がな一日、自分が考えたいことなら何でも考えを巡らすことができた。例えそれが自分達の名前のことでしかなかったとしても、ともかく考える暇があったのだ。繰り返すが、これは映画とは異なる。ハリウッドというのは映画をよりドラマチックにしようと、登場人物たちがふさぎ込んでは唸り泣いたりして、あらゆる種類の感情的な瞬間を作り上げようと試みる。だが現実にそこでは、食べて飲み、生きていくために必要なことをする以外のプレッシャーはない。自分が思うなら、ボートにもたれて何時間でも静かに考え事にふけることもできた。過去を話すことも、未来を話すこともできたし、自分が望みでもしない限り、正気を失うこともなかった。

 ではどんな瞬間に、自分が絶望を味わったかといえば、それは主に天候からやって来た。自分達は世界の中でも最もデカい海のド真ん中で漂流しており、つまりこれは嵐の時にはとんでもないことになったのだ。波の高さは時に25~35フィートにも(7.6~10.67M)及んだのだ。そうかと思えば次の日は、完ぺきな程にベタ凪になったりする。ある日、文字通り命を懸けた激闘を繰り広げたかと思うと、次の日には空を行く雲やアホウドリ、夕日やイルカやネズミイルカの類を眺めていたりする。そんな中で自分はずっと、人生は美しくあり得るという感覚を失うことは決してなかった。朝に夜に生きる意欲を改めて確認し、ここまで来てあきらめてなるものかと誓った。今まで自分は人生において、いつでも「レース」を最後まで完走して来たのだから。

 4章に出て来た航空用語、ポーポイズ現象。滑走路でバウンドが止まらないことと、ドルフィン・スイムの軌道からきている

ポーポイズ

 ネズミイルカ・porpoise(ポーポス)とイルカの違い。ちなみに「アンブロークン」だとただのイルカになっている

 漂流からしばらくが経った後も、オレ達は依然として迷彩柄の軍服を着ていた。長ズボンに半袖シャツ、内側にTシャツだ。これは救助ミッションの時の服装のままで、しかし程なくして色が黄色に変わった。救命ボートのコーティングのゴムの色が移ったのだ。

 また3人とも体には、始終海水に濡れていることから炎症が現れ、25セントか50セント硬貨大の大きさで膿が出てぐちゃぐちゃになった。だがそれ以外では病気になるようなことはなく、風邪をひいたり鼻をすすることもなかった。なぜかって?太平洋のド真ん中には、病原菌の類もいないから感冒することもないのだ。

 

 寝ている間はだいたい、幸せな夢を見ることができた。夢の中では1フィートくらいの深さの、泥でぬかるんだ湿地や、ごつごつした丘の斜面や薪を積んだ山に寝ていて、そこに決して水はなかった。

 

 遭難から20日目、オレはフィルの包帯をとった。傷はすっかり治っていて、今やフィルはボートの間をラクに渡るようになり、その他の活動にも参加できるようになっていた。

 

 3週間が経つと、オレは自分達の漂流がリッケンバッカーを超えたことに気がついた。これは新記録で、オレは絶えず楽観的ではあったが、しかしこのことは自分達以外は誰も知りえないことでもあった。人は救命ボートではなく、風雨を避けることのできる覆いとコンロ付きの、ひと部屋くらいある大きさのボートでなら、もっと長く生き延びたこともあるが、それは今回とは状況が異なる。また逆に、アリューシャン列島に墜落した機体の例で言えば、自分は哀れな乗組員たちに同情を禁じ得ない。彼らは一体どれだけ持ち堪えられたのだろう?低体温症で長くとも一晩で死んでしまう。ともかくそれは、どこに墜ちてどんな設備があるかという運にかかっている。しっかりした造りのボートに釣り糸に釣り針、更に漁網にナイフがあれば、誰でも制限なしに生き続けられるのかもしれない。海軍のデカいボートで130日間かそれ以上漂流したケースでは、男たちは救出された時に、墜落した時と変わらぬ体重を維持していた。だがこれはオレ達には当てはまらない。自分達はジワジワと痩せ衰えていた。

 食生活が根本からガラリと変わってしまうと、それは一本の線を境に手や足の爪に現れた。その線の手前に来ると色が黒く、逆に先に行けば薄くなり、その瞬間をまるで個人の成長記録のように残すのだ。それから数日すると、オレ達は、トイレすら催すことがなくなった。最初はそれがどうしてか分からなかったが、時間が経つとオレ達はそれをただ受け入れて、時にそれは1つか2つの冗談のネタにもなった。

 「おい、フィル。オレのガムを盗んだ時の下剤爆弾、覚えてるか?」

 ある日の午後、オレは言った。

 「当たり前だろ」

 フィルはそう言うと笑った。

 「まあもう一回聞かせろよ」

 2人共この話を忘れるはずなどないのだが、時間を潰すには持って来いだったのだ。

 「オレはいつもフライトがある時は、耳抜きに効くからガム噛んで、リグリーズのジューシー・フルーツの、あの甘さが好きだったのに、なのに毎回、離陸の準備の度にオマエら『ようザンプ!』とか言ってやけにニコニコしたかと思えば、オレのポケットから自分用にガムとりやがって。しかもいつもそうだから、オマエら自分の分くらい自分で買えと思っても、オマエとカップ(※カッパーネル)は買やあしないし、しかも気づけば2個ずつ取ってて、オレは残りの一個だけだからな。それでP-Kガム(※ペパーミント味)に変えて、これならオマエらも好きじゃないと思ったのに、それでも全然意味ないし。

 最後には、あの野郎やり返して、ふざけた真似やめさせるだけじゃ面白くないから、礼儀を教えてやるって思ってよ。

 大学じゃあフィーナミント・ガムを下剤として噛んでて、パッケージの効能書きの所に、『3個使うと急激に効きます』ってあって、もちろん、その包みをそのままシャツのポケットに入れておいたんじゃあ疑われるよな。だからフィーナミントを取って来てからP-Kガムの包みに入れて、だけどフィーナミントの方が少しだけP-Kガムよりデカいから、きっちり入らなくて、だから斜めに入れて、それでポケットに入れて待ってたら、そしたらオマエら、自分からガム取ってって、こっちは怒ったフリして歩いて出て行って」

 「あ、怒ったなって、こっちは思ったけどな」

 フィルが返す。

 「それからミッションで、だいたい4時間くらい使って800マイル(※1,280キロ)飛んだ。いつもなら機内で催したら、小さいポータブルトイレに防水バッグ入れて使って、それから上を縛って窓から捨てる。あの時はオマエが後ろに行ってコトに及んで、カップがそれに続いた」

 「ミッチェルが、オマエら昼に一体何食ったんだ?って」

 フィルがそこで付け足す。

 「そうだった。それからもう一回オマエにガムがヒットして、後ろに駆け込んで」

 「そう、それで最後のバッグ使っちまった」

 「それからカップの2回目が来て」

 「バッグがもうない!」

 そこでオレ達2人は、もうマトモに話せない程に笑い転げた。それからようやく息をつくと、オレが言う。

 「カップは、もうあんまりに急激に来ちまって、待ったなしの状態で銃手4人捕まえてから、お願いだから体、カラダ持っててくれっ!とか叫んで、ケツを中部甲板から突き出して、ぶっ放したら、胴体に沿って抽象画ができちまって!」

 「基地に帰ってからもオレ達は一体、何が起きたのか分かってなくてよ」

 フィルが言う。

 「地上クルーのチーフが、一体こりゃあ何だ!?って。だからオレが、これは緊急で施した迷彩処理です、ってよ。それから後になってから、全部オレの仕業だよってバラして。やったことを後悔なんてしてねえけど、唯一の後悔はあれを、敵の領域でやらなかったことだって言って」

 「カップなんて、P・Y・チョンで旨いステーキあれだけ食ったから、ちょうどいい腸洗浄になった!とか言いやがって」

 「で、オレが言ったのは、だったらフィーナミントの20セントは後で返せって」

 P・Y・チョンズ : アメリカ各地に展開していた中華料理店が、ハワイで開いたステーキハウス。「アンブロークン」によると、2ドル半(※4,000円弱)で「男の腕ぐらいの厚さかつ、額ほどの大きさ」のドデカステーキが食べられ、戦地に赴くホノルルの軍人御用達だった。ルーイーによると「ここで食べ切る人間は誰もいなかった」という

 アリューシャンで正気を失う:日米はアリューシャンでも戦っていた。またリッケンバッカーの時には、クルーが幻覚に襲われ正気を失ったとされる

リグリーズ、P-Kガム

  太陽の光が目を射して目を覚ますと、フィルは既に起きていて、マックは体を揺すっていた。

 「いま何時だ?」

 「太陽はあそこだ」

 オレが聞くと、水平線からまだそこまで高く昇っていない太陽を指さし、フィルが言った。

 「8時くらいのようだな」

 「朝メシは何だい?」

 フィルが聞く。

 「ベーコンエッグは?じゃなきゃあ、ハム?ジャム・トーストとオレンジ・ジュースかな」

 オレが言うとマックが横槍を入れる。

 「この前食べたばっかりだろ」

 「ああ、そうだったかも」

 食事には幅を持たせるようにしているのだが、しかし覚えているのは簡単ではない。

 「代わりにパンケーキはどうだろう。母ちゃんのレシピは最高でさ、ビスケットとフレッシュジュースもだ」

 「オレは要らないな。昨日の夜食べたのがまだ腹に残ってるし。リゾットとニョッキで一杯だよ。これ以上は入らない」

 フィルが言うとマックも負けない。

 「それはワインのせいだよ。一人で一本全部、空けたじゃないか」

 「そりゃあキャンティ・ワインがあったら普通、空けるだろう」

 オレが言うとマックが続く。

 「デザートだって断れないよ」

 「ビスコッティにジェラートが、あったなあ」

 フィルが言うと次は全員がハモった。

 「ティラミスも!」

 

 27日目、頭上に騒音が聞こえた。

 見上げると飛行機が一機飛んでいて、しかしそこにはあまりにも距離があり、こちらにとって意味があるのかは、ほぼギリギリのラインだった。だがオレ達は藁にでもすがる思いで急いで多数決をとると、機体の注意を引くべく落下傘付信号弾2発と、シー・マーカーをひと包み使うことにした。同時に自分は鏡を使い、チカチカと光を送ったのだが、しかし飛行機は飛び去って行ってしまった。

 すると次の瞬間、再びその飛行機が現れたかと思うと、高度を下げて来た。乗組員達はこちらを見ていたのだ。

 あれはおそらく3人の人生の中でも、最も激しく感情が揺らいだ瞬間ではなかったろうか?大の大人が3人、救助して貰えると思うと文字通り、顔には滂沱の涙が伝った。こんなにも素晴らしいことがあるだろうか?機体はB-25のようで、旋回を始めるとこちらは、シャツを振って大声で叫んだ。

 するとこれに対し機体は、何とマシンガンの機銃掃射で応えてきた。

 「このクソバカが!」

 オレは悲鳴を上げた。こちらを日本軍だと思っているのだ。すると何か、赤い丸が幾つか見えた。昇り行く日の丸が翼の先にある。機体はB-25 によく似ていたが、見れば日本のサリー・ボンバーで(※97式重爆撃機)、実は敵機は向こうの方だったのだ。

 オレは銃弾を避けるため、急いで海に滑り込みボートの下に隠れると、フィルとマックもそれに続く。自分が子どもの頃にボーイスカウトのリーダーが、水は3フィート程で(約91cm)銃弾を止めると言っていたが、彼は正しかった。爆撃機の狙いは正確で、こちらからは銃弾がボートを貫通するのが見えたが、しかしそこでスピードを緩めると、完全に勢いを失って沈んでいくのが分かり、自分達にそれが当たることはなかった。

 爆撃機が過ぎると、フィルとマックはボートに戻ろうとしたが、しかし2人は余りに弱っており、オレはその両方を手伝ってやらねばならず、それからボートに上がった。そして爆撃機が旋回後に再び掃射を加えて来た時、フィルとマックにはもはや海に飛び込む余力は残っていなかった。そうしていたら溺れていたかもしれない。それでもオレはボートから滑り降りると、敵の射撃の練習台になるくらいなら、7フィート(約2.1M)のサメと「お友達」になる方を選んだ。サバイバル・コースのインストラクターは、こちらの歯や白目をサメに見せるとこれが威嚇になると言っていた。だがどうもこれは上手くいかなかったようで、そこで鼻先にしっかりパンチを入れると、これは効いた。

 爆撃機がボートに機銃掃射をかける度、オレは必死になって少しでも深く海中に潜り、パラシュート・コードを掴んでは、流れで持っていかれないようにした。流れはとても強く体を縦にしているのは至難の業だったが、しかしこれにより銃弾を避けつつサメを威嚇するのがラクになったのだ。この命の危機を二重に抱える状況でも、自分はこれをどうやってこれを切り抜けたのか、ほとんど覚えていない。頭の中はボートに残した仲間のことでいっぱいで、何が起きているかと思うと気が気ではなかったのだ。銃弾は自分の目の前でボートのカンバス生地とゴムの部分を貫通し、海に突っ込んで来る。これはフィルにもマックにも当たってしまったのだろうか?2人はまだ生きているのか?爆撃機が次なる掃射に向け転回すると、オレは体をボートに引き上げ、すると目の前には奇跡が起きていた。たった数インチの差で、銃撃は全てフィルとマックを外していたのだ。

 この機銃掃射は約30分にも渡って続き、その度にオレは2人に寝たまま動かず、手をだらんとして死んだフリをして、相手の注意を引かないようにと言った。そうでなければ、生き延びるチャンスなどないのだ。

 すると日本軍は一度銃撃を加えることなくボートの上を飛び、オレは2人が死んだと思って貰えたのだと考えた。もしくはいずれは死ぬと思った相手を、面白半分に撃っていたのが終わっただけなのかもしれない。いずれにせよ、銃撃は終わったようだった。

 ところが少しすると、爆撃機は帰って来てしまった。しかも今度はこちらに向かって一直線に飛んで来る。オレはボートの側面を越えて、頭を2つのボートの間に持ってきて見上げると、爆弾倉のドアが開くのが見えた。マジかよ、と思うのと同時に黒い物体が現れ、それは案の定、爆雷だった。(※潜水艦用の爆弾。一定の深さに達すると爆発するので、今度は潜っても意味がない)いくら戦争とはいえ、血も涙もないのに余りある。機銃掃射のおまけにちょっくら爆撃演習と来たもんだ。オレは息を止め、海をも砕く来たるべき爆風に備えた。続いて爆雷が30~50フィート(※9M~15M)先に着水する・・・が、爆発はしなかった。思うに爆撃手は信管の解除を忘れており、着水したそれはそのまま海の底へと沈んでいった。爆発していたら、間違いなくオレ達は終わっていただろう。

 それからようやく日本軍が去って行くと、後には弾丸で穴があき、シワだらけの2艇の救命ボートが凄い勢いでしぼんでいた。そして今や必死になった3人が、次の日も生き延びられるかどうかなど、分かるハズもなかった。

 

 ゴムというものは、例えば自転車のチューブを一つ、スイミングプールに浮かべて、22口径の弾で撃って穴だらけにしたとしても、それは水に沈んだりはしない。空気は完全には抜けないし、ゴム自体も水に浮くからだ。2艇の内の一つ、つまりフィルが病床代わりに使っていたボートは底を撃ち抜かれていて、もはや修理は望めなかった。もう一つの方は、つまり今3人が乗っている方だが、こちらはほぼ平らに海に浮いていて、幾つかの部分が数インチ海面より沈んでいる状態だった。

 オレ達は今やまさに、危急存亡の秋を迎えていた。自分は空気入れを引っ掴むとバルブにねじ込んで、狂ったようにポンピングを始めた。弾丸は7.7ミリ弾で、22口径弾(※ショートで約6.9ミリ)よりは大きいが、25口径(※7.67ミリ)程ではなく、自分は穴の数を全部で48個確認した。ありがたいことだが、ゴムに開いた穴は自然に小さくなるもので、さらに空気圧と外気圧がほぼ同じだと、空気はチューブから抜けない。自分がポンピングをすると同時に泡が立ち、少しだけボートは上に浮いたが、これでひとまず大丈夫と言うにはあまりにも程遠かった。穴にパッチを当てて塞がなければいけないのだ。そしてこれは、3人の人生で最も悲惨な8日間の始まりとなった。自分達は24時間ぶっ通しでポンピングをし続けなければならず、これはもう本当に死ぬかと思われた。

 また、補修するゴム本体に到達するには、カンバス生地のカバーを、例の鏡の端で十字に切らねばならなかった。(ナイフなんて無いワケだ)それから穴を露出させるためにカンバス生地を剥がし、パンク部分の周囲をヤスリ掛けする。ところが、この紙ヤスリは全く役に立たなかった。補修キットの中に入った水が、はるか昔に研磨剤を溶かしていたのだ。サバイバルキットに入れるなら、防水性の布ヤスリにすべきで、このボートを作ったクソバカは、このことを考慮に入れておくべきだった。パッチングの糊を塗る前のゴムの研磨作業では、又しても鏡の歯先の出番となった。この間も波が打ち寄せては塗った糊にかかることがあり、こうなると自分は全てをやり直さねばならず、しかし一連の手順がうまくいけば、ゴムが膨らんでカンバス生地のカバーを突き抜けはしたが、パッチの定着には成功した。

 これがもしパッチングだけなら、作業はそれ程大変ではなかったのかもしれない。だが全員でもって並行してポンピングをし続けなければ、ボートは浮いてくれないのだ。自分の番の時オレはもう疲れ切ってしまい、空気入れの持ち手を胸に当て、本体を掴んで自分に向かって引いてはポンピングを続けた。順番は5分間隔で回し、最初の数日は文字通り、24時間ぶっ通しで行い、これにはもう全員が耐えきれない程に消耗した。マックはおそらく5回ほどしか自分の番をこなせず、フィルはそれより少しマシな程度で、これをカバーするためオレは50回も100回もポンピングをせねばならなかった。

 穴はまず上部から補修し、これをすると少しだけポンピングの頻度が減らせ、それから底の部分を補修した。しかしここでどうしようもない難問に直面した。3人もの人間がボートに乗ったまま、どうやって底にパッチを当てるかということだ。そこで自分はボートに2つあるチューブ内、片方に3人がどうにかこうにか乗っている間、もう一方の空気を抜くことに決めた。それから補修パッチを張るため、自分は空気の抜けた側の底を上向きに引っ張った。フィルはそこの部位を持っているのが役目で、マックはその間オレ達のケツにサメが噛みつかないよう、オールで追い払うのが役目だった。

 また2艇目のボートはニコイチの部品取りに回した。ペンチを使い、カンバスは亜鉛メッキのされたゴムから剥がし、日中は日除けに使い、夜は毛布として使った。

 ナイフのためなら何だってくれてやる。全くもって、何回そう思ったのか分からない。

 

 しかしながらサリー・ボンバー(※97式重爆撃機)の襲撃は、一つの良い結果ももたらしていた。27日間もの間、自分は3人が救出されることをひたすらに願っていた。願いというものは不完全かつ継続するものだが、信じる心とは願いの具体化であり、それだけで完結するものなのだ。今や自分は陸地が近いという証拠を得た。我が願いは信じる所となり、つまり自分達がボートの上で生き延びさえすれば、この漂流は終わりを迎えるのだ。

(※ヘブライ人への手紙:11・1より。多くの原文だと “Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen” 「今や信仰とは希望する事の本質であり、目に見えぬ事実の証左である」なので、ルーイーは下線部を省略している)

 日本軍の爆撃機はこちらのB-25のコピー機で、自分達はそこから算出を開始した。つまり、B-25と同じ飛行速度に、航続距離である可能性が高いのだ。日本軍もおそらくミッションのために、アメリカ軍とと同時刻の朝に離陸したと考えて妥当だった。その仮定の上で日本軍機が機銃掃射に使った時間も考慮すると、フィルとオレは自分達がギルバート諸島やマーシャル諸島から、どれだけ離れているのかを算定する。海流によっては救命ボートをぐるぐると周回させるものもあるが、自分達が乗っている海流はそれとは違い、安定して西に流れているのは確かだった。その根拠は太陽と星の位置だ。オレ達は、誰が正確に陸地に到着するのを予想できるかに、フルコースのディナーを賭けた。これは夜の間に、点在する島の間をボートが通過してしまわないのが前提だが。そんなことが起きたらと思うと、心も張り裂ける。

 「オレ達はきっと、46日目に漂着するね」

 フィルは46日目に賭け、オレは47日目を選んだ。

 

 それから数日後に向かえた朝に、自分が目を覚ますと、辺りは完全なベタ凪に包まれていた。海はまるでガラス板のようで、うっすらと虹色を帯び、思わず見とれる程に美しく、動く物は何もない。再び熱帯収束帯に入ったのだ。時にそれはおそらく、世界で最も動くことのない海を作り出す。ボートから降りて海の上を歩く、そんな想像すらできた。

 すると遠くの方で、水平線の上に黒い線が見えた。それは海水とは違って動いており、次第に大きくなると、うねってはこちらに向かって寄せてきた。マズい、これが噂に聞く、世界の海を回って100フィート(※30M)にもなると言う、巨大な津波かと思い、自分はそこから目が離せなくなった。

 すると突然、それは波ではなく、何百と言うネズミイルカの大群で、海から飛んでは飛び込み、一緒に泳いでこちらにまっすぐ向かって来ているのが分かった。このままではボートが転覆して、メチャクチャになったりしないだろうか?オレ達は低い姿勢でボートに伏せるとそれを待った。しかし災難などは起きず、代わりにネズミイルカは優雅に泳いでボートの下に潜ると、反対側の海面から飛び出した。自分も海をのぞき込むと、その目的が分かる。数え切れない数の小魚がいて、それを追っていたのだ。餌、いや食事。それが目の前にある。心の底から、魚網の一つもここにあったらと思い、代わりに手を使ってみる。だが、これがうまくいくことはなかった。

 

 ある晩、その日は巨大で明るい満月を迎えた。月の光がきらめくと、穏やかな海はまるで、それ自体が光っているかのようだった。サメ達は、この頃にはもう長い付き合いとなっていたが、この日はボートに付きまとうことはなく、自分達の「家」に水入らずの静かな夜を与えてくれていた。オレ達はいつものように、体を温めるため、毛布代わりの海水をボートに汲むと、3人で固く身を寄せ合った。

 それから数時間程すると、この静かな夜は、ボートの底に不意に何かがドスンとぶつかることで、打ち破られてしまった。この衝撃は相当なもので、痛みで身をすくめると、ボートが海面から数インチの高さに浮く程だった。仰天すると同時に恐怖にかられ側面を覗き込むと、巨大なヒレがボートの周囲を周るのが見えた。そして再びボートのそばまで来ると、その海獣の尾ビレが横向きにひらめき、こちらの頭上に向かって冷たい海水の波を送ると、そこで初めて自分はこの招かれざる客の正体を見た。それは青みがかった灰色の巨大なサメで、恐らく体長20フィート(※6M)はあるホウジロザメだった。

 オレはマックとフィルに手を当てると、小さな声でささやいた。

「身を低くして、音もたてずに動くな」

 すると再び下から衝撃が来た。それからもう一度、尾ビレで海水を侵入させてくる。これは偶然などではなくサメには意図があり、ボートにいるであろう生き物に刺激を与えて、餌になるかを確かめているのだ。

 オレ達は恐怖ですくみあがってしまったが、しかしホウジロザメがこの動作を延々と繰り返す間、何とか声も出さず、じっとしたまま耐え続けた。これは時間にすれば1時間程だったのだろうが、夜の半分をも占めるかと思われた。それからサメはあきらめたのか、ボートの下に潜って行くと姿を消し、二度と現れなかった。突如現れたかと思えば跡形もなくどこかへと消え、マックとフィルとオレは深い息をついたが、あんなに空気が旨いと思ったことはない。ところがその翌朝、マックの挙動がおかしくなっていた。いつもより輪をかけて静かなのだ。いや、よもや観念したかのようだ。ホウジロザメにより文字通り肝を抜かれたようで、それが彼にとっては大きな転機になったようなのだ。マックは自身の生そのものを、徐々に失い始めていた。

 

 これは戦後になってからの話だが、一度サン・ディエゴの紳士クラブでの講演で、このホウジロザメの話をしたことがある。すると一人の海洋学者が私に批判を加えてきた。彼に言わせるとホウジロザメは冷たい海に住むサメで、アザラシやアシカの多く住む北の自然の捕食海流から、南の温暖な太平洋に離れることなどありえないそうなのだ。これには自分も何も言い返すことができず、それよりそのサメのことを単に「深海の巨大生物」と言うようにした。ところが2002年の2月、これはほぼ60年後のことだが、新たな研究によりホウジロザメは事実、海を世界規模で泳いで回ることが確認された。発信器をつけると、彼らはメキシコのバハ・カリフォルニア沖からハワイ、他の南洋の海で観測されたのだ。彼らは一年の内5か月も外洋に過ごし、2,000フィート(609M)の深度まで潜ることも分かった。人間のような恒温動物で、太平洋の温暖な海で日光浴を楽しむそうで、これで遠い昔のあの晩、救命ボートにやって来たのは一匹のホウジロザメだったのだと、自分は確信している。

海獣:ホウジロザメ

 漂流を始めてから32日目、オレは依然としてボートのパンク修理に追われていた。しかしポンピングは約15分に一度だけでよくなっていた。この最中、マックが動くことを止めると、ぼうっとし始めた。これはただ元気がないだけなのだろうか?もしくは飢餓状態?はたまたその両方?マックはフィルや自分と同じか、時にそれ以上に食料を得ていた。だが今や彼は生きる意志を失い、体で栄養価を使う力もなくしてしまったのかもしれない。3人の体重はそれぞれおそらく75ポンド(※34キロ)もなく痩せ過ぎていて、絶えずボートの周囲をうろついては離れないサメの3時のオヤツにすら充分ではなかった。肌はもう、ほぼ透けて見えるかのようで、骨がはっきりと浮き上がって見えていた。だがフィルやオレとは異なり、マックだけはここへきて、体の機能を完全に停止しようとしていた。

 マックはフィルに言った。

 「ねえ、そっちの水を飲ませてくれないか?」

 フィルはこれを断り、それは当然そう言わねばならないことだった。水はそれぞれに一口分しかなかったのだ。これから死に行く人間に、そんなものをやらねばならない理由がどこにあろうか?次にマックは、オレに同じことを頼んでくると、オレはマックに水をやった。バカなことなのかもしれない。だが死を間際にした人間の願いを、無下に断ることはできなかった。

 次の日の午後、マックは体をかすかに動かすと、死に関する質問を幾つかしてきた。だがそんなことを聞かれても、こちらに満足な答えなどあろうはずがない。するとマックはその問いを、差し迫ったただ一つの問いへと切り替えた。

 「オレはもう、死ぬんだろうか?」

 そこで質問が終わった。ー「オレはもう、死ぬんだろうか?」

 「そうだよ」

 さらなる苦しみにも耐え続けて生きろと言うなど、心無いことだと思い、オレはそう答えた。

 「きっと、今晩にでも死ぬんだよ」

 「了解したよ」

 マックは同意した。

 「きっとその通りだ」

 それから最終的に33日目の、深夜を数時間ほど過ぎた頃、マックは唸って身を固くし、息をつくとそのまま死んだ。沈黙がしばらくの間流れ、それから自分は口を開いた。

 「フィル、マックが逝った」

 だがこれは率直に言って、自分の予想よりは遅い結末だった。オレ達は朝までそのまま重なり横たわったまま動かず、夜明けを迎えると、自分が簡単な追悼の辞を述べた。

 フランシス・マクナマラ-この画像は1943年5月26日のもの。この次の日に自分達は海に墜落した。彼は33日間もの間、生き延びた。自分達は追悼の祈りを口にすると、彼の遺体を海へと流した-03年版より

 フランシス・マクナマラはかつて、どこにでもいる普通の外見の若者だった。身長5フィート10インチに(※177センチ)、明るい色の髪。だが今やそれは、太陽によって干からび伸び切った輪ゴムのようで、骨と皮だけになっていた。2人でその体を船外へと出すと、映画のように水葬に付す。マックが海に沈み視界から消えていくのと同時に、フィルとオレは、だったら余計にこの試練を生き延びてやると、その決意を固くした。

 

 遅々としながら日々は過ぎ、しかし毎朝ほぼ元気な程に起きる度に、オレは頭の中で

 「よし、これでまた1日分島に近づいたぞ」

 と思っていた。頭の中には海図があって、貿易風のことも、海流のことも分かっていたから、島へ漂着することも確信していた。

 だが、これで試練が終わった訳ではなかった。

 オレ達は飢餓に喉の渇き、サメや弾丸、そして仲間の死にも果敢にも立ち向かったが、これらの次に来たのは嵐だった。確かに嵐なら以前にも幾つか切り抜けてはきたが、しかしそこには45フィート(※13.7M)もの波が屹立するような嵐はなかった。一瞬ボートが「山頂」にあったかと思うと、次の瞬間には「谷底」にいたりするのだ。この乱高下はサメやマシンガンより恐ろしく、ここでもまた再びにして、生き残るためになら、死力を尽くしてあたらねばならなかった。

 そして、自分はこれだけは心得ていた。重心を低くし、足を座席の下にしっかり入れ、いかなる状況でも、パラシュート・コードで自身を結んではいけないということだ。ハワイでの救助任務でのことだったが、嵐の後、オレ達は一人の大佐と他の2人が、青い底の部分を上にしてひっくり返った救命ボートの中で、結ばれたまま死んでいるのを見ていたのだ。

 またボートを安定させるため、海水を4インチ(※10cm)程、艇内に汲み入れ、それから座席の下にパラシュート・コードを繋ぎ、反対側を自分達にそれぞれ、結び目は作らず一度だけ巻き付けた。濡れたロープは危険極まりない。もしボートが転覆すれば、縛り目を水中で解くことなど不可能なのだ。自分達がロープを握る手には痛みが走り、夜は恐怖と暴風雨と共に過ぎて行った。

 次の日の朝、つまり46日目、雨は小休止を迎えたようだったが、しかし波は変わらず荒かった。そしてうねりの一つにボートが持ち上げられた瞬間、自分には陸が見えた。最初それは確信が持てなかったのだが、しかし自分達がもう一度うねりに乗った瞬間、さらに緑の木々が目に入った。

 「フィル!今、島が見えたぞ」

 こちらが言うと、フィルはパッと背を伸ばし、言った。

 「オレにも見えたぞ」

 その日は1943年7月12日。ただ一心に祈っては望んでいたように、オレ達は遂にギルバート諸島かマーシャル諸島に着いたのだ。ー自分はそう思った。とはいえそれを確かめるには島は未だあまりに遠く、状況を正確に確かめられるようになるまでにはさらにもう一晩、嵐の晩を要することとなった。オレ達は体にカンバス生地をかけると少しでも寒さに備え、少しでも眠ろうと努めた。ここまで来ると心配なのはただ一つ、暗いうちに島の間を突っ切って、そのまま通り過ぎてしまわないかということだ。

 するとその次の日の朝、嵐は収まり、オレ達はサンゴの環礁内にいることが分かった。周囲には数えてみると16もの島があり、見た所どれも無人島のようだった。打ち捨てられた小屋やバナナの木、パンの木にココナッツがあり、しかし人が見当たらない。オレはもう、浜に着くのが待ちきれなくなった。見れば島の一つに至っては、寝室1個ぐらいの大きさしかなく、その上には木が一本生えていて、それはまさに漫画の一コマそのものだった。オレ達はオールを手に取ると、漕ぎ進む。状況が好転しすぎていて、話がうますぎるとすら思う。

 そしてそれは実際、話がうますぎた。飛行機のエンジン音が聞こえたので見上げてみると、2機の零戦が飛んでいて、おそらく高度1万フィート(3,000M)くらいで戦闘訓練を行っていたのだ。だが、その場所からならこちらは見えない。

 オレはともかく誰かに発見される前に、陸地に到着しようと必死にオールを漕ぎ続け、しかし47日間もの漂流の後では、それは情けないほどに弱々しかった。すると新たにひとつ島が見えた。

 「おい、あんな所に島なんてあったっけか?」

 オレがそう言うとフィルが応える。

 「は?一体何を言ってんだ?」

 「あそこに島が一つあるだろう、木が一本生えた」

 フィルもそれを見た。

 「ああ、見える。だが木は2本のようだが」

 「バカ言え何言ってんだ?木は一本だけだ」

 こちらも、もう一度島を見る。すると今度は、木が2本になっていた。

 「これは一体、どういういことだ?」

 それは、島などでは全くなく、マストが2本ある一艇の船で、こちらに向かって一直線に進んで走っていた。

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