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お灸が火傷療法!?

お灸とゴボウ、品川病室の軍医達

 左:1950年2月12日付、セントルイス・サンデー・モーニング。―患者が肺炎を患うと、ジャップの収容所の「呪術医」は一連の「モクサ」焼きを、首から足の付け根までの背骨の両側に行った。(メイントピックは、あくまでワインスタインの共同住宅建設)

 右:1995年の「メール・オン・サンデー」トム・ウェイドの証言(右、訳者により加工)

​​ ール・オン・サンデーの翻訳において、お灸のことを「火傷療法」と訳するのはいかがなものかという意見は、既に頂戴しております。また左のイラストを見て、何だコレはと思う人は、決して少なくはないでしょう。何を隠そう、訳者もその一人でした。しかし捕虜達の証言を読んでいくと、そこにはどう見ても正当な医療行為とは言い難い実験医療の存在と、それを「文化ギャップ」と片付けることで、何とか揉み消そうとする人達の存在が見え隠れし、またお灸を知らない捕虜の立場からの視点を尊重するべく、敢えて「火傷療法」としています。本稿ではその経緯をお伝えするべく、「悪魔に追われし男」関連の書籍に登場する、お灸の記録を集めてみました。まずは当時のアメリカに大きな影響を与えたと思われる、ワインスタインの記録からどうぞ。(ハーバード大卒と言えば、それだけで人は注目する!?)

 

 ①左上のイラストは、ワインスタインが公団からお金を借り、集合住宅を建設した際に載った②「Barbed-Wire Surgeon」(1947年)を元にした記事です。イラストは新聞のオリジナルですが、記述の内容は同じで、ここにおいて品川病室での鍼灸治療は医療行為ではなく、ほぼ虐待として描かれています。ワインスタインは捕虜医師として品川病室に到着すると、1年半前にカバナチュアンで別れていたアメリカ人捕虜内科医、エド・ケイジーと再会しますが、2人の久しぶりの会話により、読者は鍼灸の強制が東京地区司令官の鈴木大佐の命令の元、脚気を患った捕虜に執行されたことが分かる仕組みになっています。

 — ケイジー「極めて単純だよ。モクサ婆が何人か来て、日本人とこっちの衛生兵に指導するんだ。治癒効果のあると思われてる乾燥した粉を持って来てて、これは蛇の皮とジャコウとライオンの爪からできてんだよ。これをひとつまみ、患者の体にのせると着火して、痛みで身悶えしようがわめこうが、力ずくで押さえつけるんだ。単純だろ?肺炎患者には一連の火傷療法が、背骨の両側に首から腰にまで行われるんだ。壊血病で血尿が出てる場合は、腎臓の上の皮膚に『モクサ焼け』を起こさせる。ホット・フィート(※乾燥性の脚気で足裏や踵に出る治りづらい痛み。医者であるワインスタインは、赤十字の慰問品にあるビタミン剤でこれが改善することを知っていた)がある場合は、もちろんここでも、すねの上で一連の火傷療法だ。で、これが効かないと針のお出ましとなる。これを足の神経幹に向かって刺して、それから小刻みに動かすんだ。多分だが、これは神経に穴をあけて悪い『体液』を出そうとしてるんだろうな。どうしてか分からんが。最高じゃないか」

 ワインスタイン「そのまじないごっこは、どれくらい続いたんだ?」

 ケイジー「公式には、まだこれは決して終わっちゃいない。惰性でやってるだけのニップの衛生兵共は、これを自分達でやるのはやめたんだ。仕事はこっちの衛生兵に回して、こっちはこの粉の量を減らし続けた。そして最終的には使うのをやめたんだよ。重要なのは、この命令は東京エリア1万人もの白人捕虜に適用されたということで、他の収容所でどうなってるのかは分からんが、やせ衰えた皮膚でこの火傷療法を行えば、もちろん敗血症が起きて、関節炎になる。足が一生突っ張ったままになるんだよ。モクサの後の敗血症で一人死んでから、ニップの医者はこちらが命令を不履行にしても目をつぶる様になったよ」

 品川病室にいる間、私(※ワインスタイン)は何百と言う患者を診療したが、彼らの多くは体や腕、脚にこのモクサ焼けの跡があった。捕虜達がこの処置を拒否すると、殴打を受けたそうだ。彼らは病気へのこの斬新なアプローチを、可能な限りストイックに受け入れていたのだ。—

 日本人からすると、この「蛇の皮とジャコウとライオンの爪」及び「神経幹への針注入」は、新聞のイラストに負けないほど衝撃的ではないでしょうか?特に日米問わず本など読んだことがない、と言う人にはビックリでしょう。会話から見てもケイジーとワインスタインには、鍼灸についての知識があるとは思えません。しかしこれらは英語で読んでみると、実は微妙に韻を踏んだような比喩にもなっています。呪術医は witch doctor で、「witch 魔女」は「まじないごっこ」と「3種の原料」に引っ掻けられ、また匂いの出るジャコウ・musk と もぐさ・moksa が微妙に韻を踏んでいることからも、「よく分からんけど匂いの出る何か」の意味が入っています。ここではお灸とは何であるのかは別としても、「得体の知れない物・モクサ・針」で、いいかげんな治療行為と、それが生んだ当然の事故について述べられているのです。またワインスタインもケイジーもライオンが日本にいないことは知っていたでしょうから、本気でお灸にライオンの爪が必要だったと考えていたというより、比喩で訳の分からない何か、として話している可能性も高く、会話の焦点はあくまで、「正当な環境で行われる鍼灸治療とは、西洋医学からみて医療にあたるのか?」ではなく、

 A、鍼灸とは何であれ、衛生環境や患者の健康状態を省みずに、鍼灸のプロではなく素人による医療行為が、罰則を伴って発令されたこと

 B、これに伴い、当然事故が起きたこと

 C、正式な命令撤回を待たずに、現場レベルで施術がストップしたこと

 ではないでしょうか?しかし「Barbed-Wire Surgeon」の記録はあくまで伝聞で、鍼灸の痕跡の目撃で、実際の目撃証言とは少し離れているかもしれません。

 ③上坂冬子の「貝になった男」(1989年)では、1978年に直江津高校に手紙と本を送ってくれ、新聞記事にもなった元捕虜セオ・リーを、著者がオーストラリアに尋ねるのですが、この時に別の元捕虜1名も交えて3名で会話をした際に、お灸が虐待の記憶として登場します。これに上坂冬子はお灸が治療であると伝えるため、ついさっきたまたま市場にいた、見ず知らずの中国人中年女性を巻き込んで医療行為だと伝え、これには相手より 「アイ アンダースタンド」という反応を貰い、「誤解はほぼ四十年目にして解けたのであった。」とされます。

 しかしここで本当に誤解は解けたのでしょうか?これは多少感情的なやりとりの後に、実際の体験・被害者に、第三者を交えてこういう医療行為があるよ、と言葉で伝えたということであって、せっかくの生き証人が目の前に2名いるにも関らず、「ジャーナリスト」が当事者に戦時の状況を聞き取った訳ではありません。

 では、そのセオ・リーと仲が良かったトム・ウェイドの書いた、④「Prisoner of the Japanese」はどうでしょう?メール・オン・サンデーの元となったこの書籍では、品川病室での徳田医師による人体実験として、病気や弱った捕虜の血管へ、直接豆乳を注射してこれが効かなかった事例に続き、助手である藤井軍医(見習)が、ビタミン不足への「火傷療法」を百回は(※比喩)行ったと記載されます。ここでお灸の原料はヨモギでもライオンの爪でもなく、ビタミンBを含んだ糠を、脚気の患者の体に小さな山にして盛り火をつけることで、ビタミンBが体に入るという希望の元に行われたとあり、トム・ウェイドの記述も伝統的なお灸とは異なります。しかしビタミン不足で脚気が起きていると、捕虜と看守の間で既で共通認識があったことが見られ、この「糠お灸」が実験医療の一環であった可能性は大いにあり、ワインスタインの言う「斬新なアプローチ」とも一致します。しかし残念ながらこの記述も実際の体験談はなく、ウェイドは自分がいなかった品川での伝聞を書いているだけです。

 日英米豪間に存在する「誤解」の元をただすべく、実際の捕虜側体験談を探しても、どうも真ん中には当たらない一方で、しかし日本語でこの件を探してみると、実は⑤防衛庁防衛研究所のサイトがあり、ここでは歴史学者とされる戦史研究室長が、お灸についての見解を「旧軍における捕虜の取り扱い」​としてネット上に公開しています。(下記サーバーはウクライナ紛争に伴うダウンのため、DLした上のリンクもご参照下さい)

 http://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j10_1_3.pdf

 ―医療に関する文化の違いとしては、灸をその例に挙げることができる。おそらく、説明が不足していたのであろうが、下痢を治療するために灸をすえられた捕虜は、これを拷問 (火あぶりの刑)と認識した(50)。(50) 加藤哲太郎「私は貝になりたい――ある BC 級戦犯の叫び」新装版(春秋社、2005年)117ページ―

 ところがこれを読んでみるとハイライトをしましたように、お灸以外にも色々とツッコミ所の多い見解となっており、ここでも「お灸を拷問と認識された」とする日本側の出典参照はあっても、捕虜側の供述は参照されません。そこで資料の引用元、⑥「私は貝になりたい」を見てみましたが、引用元にも具体例は挙げられておらず、さらには引用されたとする、「下痢を治療するために」という表記すら存在しませんでした。

 「私は貝になりたい」117P。お灸の記述はあっても、「下痢のために」とはどこにも書いていない。また詳細がないので、「半年後に別の原因で死んだ捕虜」とは誰なのか分からず、「火焙りの刑で俘虜を殺したと断定」「撲り殺したという理由で絞首刑」が誰なのかも分からない。またこれは解放後の婦人公論への記事なので、「フィクションでしか発表の自由がない」頃ではないハズだが・・・

 記録を見ればお灸はビタミン不足を原因とする、脚気への対処で行われたのは明白で、下痢を治療するためではありません。一方下痢の原因は常時ウジ虫が這うほど汚いトイレ環境からも、ほぼ全ての記録に残り、収容所の衛生環境に問題があったことは疑いの余地がありません。バードはこれに対し、タバコを報酬に捕虜棟対抗ハエ獲り大会を催しましたが、(「13番目のミッション」及び「Prisoner of the Japanese」)これでは衛生環境と下痢は改善しません。しかも実はこの「私は貝になりたい」という本は、実はかなりのクセ者で、書いたのはそもそも大森でバードとも仲が良かった、捕虜加害側である現場担当士官、加藤哲太郎で、本人の著述内容も巻頭において「必ずしも事実に基づいてはいないが、全部がフィクションだと考えてもらってはこまる」と記されているあたり、とても日本の防衛を担う国家機関の典拠にされるべきとは言えない物なのですが、これがお灸が誤解で虐待認定の証拠となっているのです。では加藤哲太郎の起訴状は何なのかとなりますが、これはドイツの大学によってネットに上げられています。

https://www.online.uni-marburg.de/icwc/yokohama/Yokohama%20No.%20T361.pdf

 ここにはお灸のこと及び、本人が主張する中国での戦争犯罪について、また上記「火焙りの刑で俘虜を殺したと断定」「撲り殺したという理由で絞首刑」のようなことも書いてありませんし、全く別の起訴状になっています。さらにこの犯罪供述調書のような本をよく読むと、実は同章に仮名の横田軍曹ことバードや酒葉要について、ウソから出たマコトとしか言えないような記述もあり、こちらは別稿とておりますが、→コラム6へ、お灸が虐待に関しては、取調調書が出てこない、本人がアレコレ言ってみた真偽不詳の不当裁判の一つの域を出ていません。

 これらを見るとお灸は、どうやら脚気への対策として行われておきながら、その施行方法があまりに杜撰であったため、本来の治療規範を大幅に逸脱し、もはや虐待、実験状態であったのを、日本側が後から文化ギャップを理由に揉み消そうとしているのではないかと思われてしまいます。この「文化ギャップ」には、上記「貝~」の引用及び防衛相防衛研究所のレポートにも出てきましたが、必ず食事における文化の差異が虐待の誤認を生んだという主張がセットで持ち出され、「ゴボウを食べさせて虐待認定」というネタがほぼセットで登場するのも常です。お灸と一緒で、ゴボウを食べさせられた捕虜達が、それを食材と知らないだけで、虐待認定とされた判例がある、ということです。しかし「ネタ」と書きましたが、これもまた日本側から多く聞く事例である一方、捕虜側からは証言を、少なくとも訳者はみつけることができませんでした。確かにルイス・ブッシュによると、ゴボウは捕虜に「ステッキ」と呼ばれて、コンニャクと並んで不人気のメニューでしたが、しかし訳者が参照した中では、ルイス・ブッシュ以外には触れている捕虜すら見受けられず、その意味では腐った魚やコーリャン、海藻よりは上位の存在とも言えます。このことを調べた方は他にもおり、そこではなかなか見つけられないゴボウ虐待認定を、「A級戦犯が裁かれるのはしかたないが、BC級裁判には不当な判決が多かった、という考えを核にしている」「ほとんど都市伝説」とすら言っています。

https://apeman.hatenablog.com/entry/20060828/p1

 調書を探してもヒットしないことから、「都市伝説」というのは訳者も全く以って同感ですが、ではその根源は一体何でしょう?噂、都市伝説とは支持する側の願望を反映させる鏡と言いますが、やはりこれは日本全体に、「不当判決」が必要とされたからではないでしょうか?「悪いのはA級戦犯であって、後は不当判決」の例を新聞に出るような人物に持って、それ故に自分も悪くない、とどこかに戦争協力への罪悪感を持つ一般人が、自らを補完する図式です。そして訳者はこの実例を、当時品川病室と大森で働いた藤井軍医とルイス・ブッシュ見てとれると考えています。この軍医はルイス・ブッシュと、ワインスタイン及び他の捕虜で、人物像が180°異なる人物ですが、それ故に人々の願望やプロパガンダの受け皿になりやすかったとも言えるのです。

 まずは日本語版の「おかわいそうに」から見てみましょう。

  ルイス・ブッシュは東京駅で移送中に、そばにいた日本人に唾を吐かれますが、この時藤井軍医はこの日本人を張り飛ばし、また大森でブッシュが捕虜全員の前で、バードから暴行された後に、火鉢にしていたバケツの中身をかけられ、空のバケツで頭を殴打されそうになった際も、駆け付けてバードを柔道技で投げ飛ばし、「見たことも無いような、あんなに醜悪な雰囲気の『ブラウン』に介入してくれた藤井により、自分は命を救われたと信じている」とされます。このことは藤井軍医自身の戦後調書でも触れられ、バードを「全力を持って止めた」とし、名前は出てきませんがウェイドの記述とも一致します。(ただしバケツはスターアップ・ポンプ)また大森でビタミン不足から脚気が発生するのを見ると、これに「味噌ビール」を醸造して、早い段階で奏功するエピソードも登場します。そして日本語版「おかわいそうに」では、

 「この味噌ビール造りはこの若い見習軍医がわれわれ捕虜の為に盡して(尽くして)くれた幾多の善行のほんの一部だったのだ。にも拘わらず、彼も一度は軍事法廷にかけられた。捕虜の内の多くは、藤井軍医がいかに医者としての本文を守ろうかと懸命の努力をした事を知らなかったからであった」

 とされます。いちいち触れようとは思いませんが、これらを持ってして、戦後のGHQ裁判は不当とするネット上の投稿は枚挙に暇がありません。無論、訳者とて、日本軍の残虐行為を長らく聞いた後で、こういった日本兵の行為を聞けば、心のすく思いが全くしないと言えばウソになるでしょう。

 しかし、本当にそうでしょうか?実はここには既に、英語と日本語の言葉の壁を利用した、2つのトラップ、プロパガンダが仕掛けられています。

 まず一つ目は、藤井軍医の戦争犯罪が全く触れられていないということです。そしてこれは上坂冬子の「貝になりたかった男」と、上記防衛研究所の「旧軍における捕虜の取扱い」にも全く同じことが言えます。前者においては、著者は被告人や受刑者となった直江津の看守達の家族の窮状について書いてはいても、看守の行った虐待については全く触れておらず、後者は日本側の出典に関しては細かく注記を入れておきながら、捕虜側の出典には一切触れていません。

 ではその戦争犯罪の典拠ともなった、ワインスタインの表記を見てみましょう。品川病室に捕虜医師として、日本人医師の助手となったワインスタインは、その医療体制を見るため、藤井軍医に連れられ簡単な回診を行いますが、そこではワインスタインの態度が助手のクセに気に食わないというだけで、藤井軍医は患者まで巻き添えにしてワインスタインを暴行。この数日後に虫垂炎の疑いのある捕虜を、発熱も脈拍も白血球数も、触診も異常がないので開腹手術は必要ない、と捕虜医師に言われても、半分酒に酔った状態で激怒して手術を強行、患者を死に至らしめます。またワインスタインが満島に移送になった後も、満島まで出張して来て、治療が必要な患者の品川移送を拒否してこれも死亡させ、大森での特殊捕虜への治療拒否は、救えた命として戦後に起訴をされ、各捕虜、看守の証言が残っています。

 仮に上記の記述が全て事実だったとして、法廷は「いいこともしたから、人の命まで奪った悪いことは帳消しにしよう」と判決すべきなのでしょうか?「窮状にあったが故に、犯罪も仕方ない」とすべきなのでしょうか?虐待を隠蔽しようとする側の人間は、必ずと言っていい程、「実際はどうだったのか?」を「アイツはいい奴だった。厳しい状況の中で最善を尽くした」にすり替え、おまけに「ゴボウとお灸」を「文化の違いは致し方なかった」とセットでつけるのが定番の様です。これはネットに跋扈する右翼やA級戦犯だけの問題で、都市伝説を支持して「不当判決」を必要とした、いわゆる「一般の日本人」には関係のない話でしょうか?2冊の英字書籍、「Barbed-Wire Surgeon」と「Clutch of Circumstance」は、同じ内容を扱った共にベストセラーながら、なぜ片方だけが翻訳され、日本で映画化までが企画されたのでしょう?

 2つ目のトラップは翻訳です。上記「おかわいそうに」の引用の下線部をもう一度見て下さい。「捕虜の内の多くは、藤井軍医がいかに医者としての本文を守ろうかと懸命の努力をした事を知らなかったから、彼も一度は軍事法廷にかけられた」と読める構成になっています。日本人ではなくイギリス人が、「捕虜の内の多くが、藤井軍医がいかに医者としての本文を守ろうかと懸命の努力をした事を知っていれば、軍事法廷にかけられなかった」と言っているように見えるのです。しかし実は原文にはそんなことは書いてありません。ちょっと注意して読まないと気づかないようになっていますが、原文は以下の通りです。

 ―"It was made in the cook-house under his supervision from bean paste, sugar and fermented barley. Actually it did not taste bad, but what was most important was that it very soon had the desired effect. This was only one of the very excellent deeds of this young cadet doctor, but even so, he was tried as a war criminal. Today he is married and has his own practice in Tokyo. Many of my comrades did not, I am sure, realise all that he did, or tried to do, in order to uphold the medical code."

 「(※味噌ビール造りは、)これは若き士官候補生がした優れた行いの一つに過ぎないが、それでも彼は戦犯として裁かれることになった。こんにち、彼は結婚して自身の医院を東京に持っている。自分の仲間の多くは、彼が医者としての責務を果たすべく、何をしたのか気づいていないことは確かだ」―Clutch of Circumstance

 ここで注目したいのは、ルイス・ブッシュは藤井軍医に極めて好意的であっても、犯罪行為がなかった、と言っている訳ではないことです。理解されていなかったことと法廷の記述の間には、藤井元軍医の医院と結婚の話が入り、理解されなかったから起訴されたとは言っていません。さらに「おかわいそうに」における改編は、実はこれだけではありません。ブラウンがバードとも呼ばれ、慶應大学(ママ、早稲田の間違い)に行っていたこと、ギルバート諸島やエリス諸島で指揮官だった捕虜、ジョージ・ウィリアムズがプロパガンダ放送に協力するよう、「ブンカ・キャンプ」で抜き身の日本刀で脅されつつも屈しなかったエピソード等がカットされており、極めつけは日本語版のあとがきにて、「バードやケダモノ(リトル・ビーストこと、おそらく栗山廸夫通訳兵のこと)を許してやらねばならない」またまず最初の集合写真に、「しかし、ブラウンだって後でうんと苦しんだんだ。今となっては、笑って一緒にビールでも飲めるだろう」とある部分が、英語版にはどこにもないのです。

 え!?じゃあルイス・ブッシュはバードの事を赦してないの!?と思って英語版をさらにひっくり返すと、序文に

 「もしあの時、ジェントルマン・ジム(村岸武雄)やカーディフ・ジョー(香港から日本まで捕虜と同行した松田通訳兵)、ハイデルベルグヘンリー(林純勝)や徳川義知のような人々がいなければ、日本軍の手中にあった何千もの連合軍側の捕虜達は、生きて日の目を見ることがなかったやもしれない。このような人々は他にも多くいるにも関らず、彼らの物語は語られてこなかった。なぜなら彼らの慈しみある行為は不幸にも、憲兵達やブラウン(バードのこと)、リトル・ビーストの行いにより、光が当たらなくなってしまったからだ」

 とあり、これは日本語版のあとがきの一部とぴったり一致します。また英語版の裏表紙には、「元々は英語で書かれた短編の翻訳が文芸春秋に載り、後に完全版が『おかわいそうに』として出版されました」「このバージョンは日本と沖縄(当時米占領下)でのみ出版されます」とあり、別のバージョンの存在が強く匂わせられています。結論から言うと、訳者が調べた限りではルイス・ブッシュは「ブラウンを赦す」と著作の中で明言してなどおらず、日本語版の「おかわいそうに」は「Clutch of Circumstance」を忠実に訳しているとは言えず、戦後の日本のプロパガンダが否定できない仕様になっています。(ただし、赦している可能性も否定できません。資料がありましたら教えて下さると幸いです)

 これらから見て、捕虜を助けもしたが犯罪も犯した藤井軍医は、ルイス・ブッシュと共に戦後プロパガンダの理想的なターゲットになっており、「お灸でゴボウで虐待認定」と共に戦後の不当裁判の象徴、フラッグ・シップ(旗艦船)になっているとは言えないでしょうか?この状況は戦後の日本で一般人がマスコミを介して注視する、「不当判決劇場」とも言え、この劇場に被告役として必要とされたのは、決して藤井軍医だけではなかったでしょう。戦後の日本では、なぜ戦犯の解放がアメリカに要求する程の案件になったのでしょうか?

 裁判の結果、藤井軍医は12年の刑を受けますが、日米講和の結果恩赦が行われ、結婚して開業医になったことは既に述べました。結論から言ってしまえば、死刑にさえならなければ恩赦を受けられた訳です。しかし一方でこれら「医療行為」の責任者である、品川病室室長・徳田久吉は、捕虜に適切な医療処置を施さず死に至らしめたとして、死刑判決を受けます。トム・ウェイドは「徳田医師は戦後法廷に掛けられると絞首刑となった」と書いていますが、これは正しくありません。実は徳田久吉は収容中に精神病を発症すると、これで刑の執行は延期となり、そのまま恩赦を迎え死刑を免れているからです。当時これが本当に精神病なのか、はたまたただの詐病なのかを疑問に思う人間は当然おり、その中には品川病室で徳田久吉の下で働いていた、飛田時雄も含まれていました。そして彼は自書の「C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン」において、「精神病と聞き違和感を感じ」収監中の徳田久吉に面会を行い、以下のように述べます。

 ―捕虜の屈辱を受けず、との軍人魂を示し、軍刀の鞘を払って割腹自決を、とまで大見えを切った男が精神異常をきたす。その落差の激しさがむしろ私には不可解だったのだ。

 私の声に徳田は顔を上げた。そして一瞬、ハッとした表情を見せた。だがまたうつむいてしまった。そのためそれ以上声をかけるのをためらった。たしかに尋常ではなかった。うつむいたまま、体の動きはほとんどない。とはいえ私はまだ半信半疑だった。(中略)

 日本人看守にあらいざらい告白し、精神病は死刑を免れるために打った大芝居であったとの本音を吐いた、という風分を耳にしたのは巣鴨プリズンを仮出所してからずいぶん過ぎてからのことだった。だから私は、「しょせん彼も、軍隊という虎の威を借りた人間にすぎなかったのか……」と思う以上の感慨も湧かなかった。―

 犯罪者に極刑が必要かは別として、しかし犯罪行為があったのなら、果たして彼らはその罪と真摯に向き合ったのでしょうか?今でも毎年8月になると、不当裁判を訴えるテレビ番組が未だにテレビのみならず、Youtubeにさえ流れますが、これを必要としているのは、一体誰なのでしょう?訳者はそれでも、虐待報告の見つけられない品川病室の鍼灸治療は正当な医療行為であったと、「火傷療法」ではなく「お灸」とすべきなのでしょうか?

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