1、ルーイー達への機銃掃射は本当にあったのか!?
事実は小説より奇なり、という言葉があります。歴史の真実には、現代からは想像もつかないことがあったりするものですが、ルーイーの人生はどうでしょう?山あり谷あり、あまりにダイナミックな人生には時に「それ本当!?」と言いたくなるようなエピソードもあるのではないでしょうか?実際訳者も、フナフティ爆撃からの不時着の描写では、ルーイーに対して「お爺ちゃんさっき、テレビで『ダイハード』でも見てたの?」なんてかなり失礼な想像もしました。しかしこのことはダイハードよりはるか昔の、1956年版にも書かれていることから、極めて現代的な推測、邪推と言えます。(→詳細は「その後の登場人物」10へ)しかしこれくらいならまだしも、ルーイーの話が「騙り」つまりウソだという人は、国や時代を問わず日本にも存在し、現在のように証明の手段が豊富でなかった頃には、47日間の漂流中のホウジロザメの話もしかり、ルーイーの命を懸けた行為がウソ扱いされ、本人もさぞや悔しい、いや悲しい思いをしたのは想像に難くありません。
しかしその一方、本書の背景をリサーチしていると、実はルーイーも話を盛るのは嫌いではなかったフシは随所に発見でき、ローラ・ヒレンブラントも各所になかなかに手厳しい突っ込みを入れています。まずその一例を挙げるなら、外食についての描写ではないでしょうか?ルーイーはSSマンハッタンに乗るまで外食なんて一回しかしたことがない、と話していたこともあると「アンブロークン」にはありますが、実は自身の日記にはニューヨークの五輪選考会の時に、ファンの方がマンハッタンの高層ビルで7ドル(※現在の価値で何と16400円!!)ものディナーをご馳走してくれたことも書いてあるそうで、これは値段まで書いてあることから、そうそうに忘れる話ではないでしょう。あれ?本編でもそう書いてなかったっけ?と思って改めて2章のSSマンハッタンのくだりを確認すると、いかにも外食なんてサンドイッチしか食べたことがないようにも読めますが、よく読むとそうは書いてありません。そしてこれは鉤十字を盗む前に飲んだビールについても言え、本編では「You could drink one : 人は一杯やると」と主語も飲んだ量もぼかされている一方、「アンブロークン」では「2L:リットル」とかなりの量が明記してあり、生涯プロパガンダとフェイクに晒され続けたルーイーのしたたかな一面が垣間見えると言えなくもありません。
このように、実はルーイーの人生を彩る数々のエピソードには本人が著作に書かれていない一方、ローラ・ヒレンブラントや他の記録によって補足されると、改めて読者の度肝を抜くようなことは極めて多く、これらは時に歴史公証の要素をも含む、「悪魔に追われし男」の意外な真実とも言えます。ここでは訳者が調べていて、特に面白かった、もしくは意義深いと思ったものを6編、コラム化してみました。
そしてまずは第一弾、ルーイーの物語のウソホント議論の最たるものの一つが、漂流中の機銃掃射の件ではないでしょうか?墜落を経るだけでも文字通りに命懸けの中、さらにはサメのみならず銃弾まで潜り抜け、ようやく漂流をも生き抜いた後に日本軍に捕まり、ルーイーの主張は悪くはない扱いを受けながらも、本編では早速にして「(※漂流中の人間に対する機銃掃射など)日本人はそんなことはしないぞ」と無下に否定されています。事実、「13番目のミッション」において、また日本本土上空でのB-29と零戦の空中戦において、敵機を撃墜後に日本軍が敬礼だけして機銃掃射をしなかったエピソードは今でも残っています。さらにはこれを以てしてか、現代にも日本でわざわざ本を出版した中で、そんな高度からはボートは見えない、サメにはそんな習性はない等で、ルーイーの機銃掃射や漂流体験での記述を否定する人がいます。
これはもう大昔の話だから、もはや立証はできない。ともなれば、証拠がなければ銃撃自体もない、ということになるのでしょうか?仮にもしこれが罷り通ってしまうと、各地の図書館で貴重な史料を破壊する行為が、歴史の改竄として成立してしまうことになり、こういうことをする人がどの国にもいるのは、残念ながら事実でもあります。
ところがこの機銃掃射の件、実は当の機銃掃射を行った爆撃機側の記録と思われる公文書が、日本の側にしっかり残っており、しかもこれは堂々とインターネット上で公開までされているのです。公開元はアジア歴史資料センターのレファレンス・コード「C08051706100」で、ここは国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所戦史研究センター等が所蔵公開している歴史資料のうち、日本とアジア近隣諸国等の歴史に関する資料について、一部をインターネット上で公開している機関です。訳者も「その後の登場人物達」でジェームズ・佐々木に関する、極めて貴重な資料をここから参照しています。機銃掃射の資料自体は訳者が見つけたものではなく、元記事は、田中昭成さんという方が運営する、「Unbroken to Japan」 というフェイスブック・アカウントで、公開資料は以下の通りです。
「Unbroken to Japan」
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1594170540836118&id=1540416092878230
アジア歴史資料センター「C08051706100」
詳しくは元記事にもありますが、潜水艦の航行痕を見つけ、ここに爆雷を落とした後に、「効果確認センガタメ高度ヲ下グ」、そこで「救命筏を組ミアワシタル敵不時着搭乗員ラシキモノ」を3名確認したので、「三名トモ射殺ス」とあるのです。これは軍のオリジナルの公文書なので、内容の真偽はともかく文書の存在自体は否定できませんし、どうやら救命艇を発見したのは1機だけではなく2機で、爆撃も2機で行っており、さらには機体が20-96、つまり20mm機銃を備えた96式陸上攻撃機に、250kgの爆弾が二つ積まれていたこと、さらに敵の発見から機銃掃射を始めた時間までが、バッチリと載っているのです。
左:映画「風立ちぬ」にも登場、96式陸上攻撃機。アメリカ側はnellと呼んだが、これはエレン・エレノア・ヘレンの愛称なので、ネルちゃん!?
右:日本テレビのバージョンと異なり、元ネタのディカバリー・チャンネルの「Adrift」 では、機銃掃射をしたのが日本軍機であると、当然ながら言及される
確かに元記事である「Unbroken to Japan」にもありますように、両者には食い違う点として、爆雷の投下と機銃掃射の順番が本編と逆なのと、また3人は決して撃ち殺されてなどいないこと、日付にどうも1日のズレがあるらしいという点はありますが、海洋染料、シー・マーカーを潜水艦の航行痕と見間違え、死んだフリが奏功し、銃撃との順番は記憶違いとすれば、かなりの確度の情報と言えます。それにそもそも6月23日のタロワ島近海に、わざわざ救命ボートを組み合わせた上にいる3名のアメリカ兵なんて、ルーイー達以外にそうそういるでしょうか?しかも実は調べて見ると、日付は数え方次第で解決するのです。この日付は非常にややこしく、ディカバリー・チャンネルと日テレでは、翻訳物にも関らず日付の数え方が異なり、「アンブロークン」に至っては、思いっきり間違えているくらいなので、まずは下の図をご覧ください。
墜落日
日本側銃撃申告日
左:1943年当時の日付変更線。現在と異なり、太平洋上をまっすぐ走っているが、いずれにせよ、墜落地点は変更線の東側で、拾われたのは西側。変更線をまたいだら、墜落より何日目、はそのまま日付を+1
アンブロークン修正日
46日目を7/14とすると
墜落日はday-1
間違い、としましたが、実は「アンブロークン」の日付の記述も、版数によって変わっています。日本語版の初版と、ネットに出回る英語版印刷版(版数未記載。おそらく初版)には、「男達は国際日付変更線を漂流してまたいでいるので、46日目は7月14日となる」と注釈をつけ、46日目をアメリカ時間の13日、日本時間の14日とし、46日目が12日(おそらく日本時間)という「悪魔に追われし男」の記述を否定していますが、これだと墜落日を-1日とカウントしないといけなくなることから(右の表をご参照下さい)明らかな誤りで、一方でイーブック(v3.1)で見直すと、注釈を消して46日目の表記を単に7月12日、と修正しており、46日目は日付変更線をまたいだ日本時間の12日としています。
左がディカバリー・チャンネルで、右が日本テレビ。墜落から一夜明け、どちらもチョコレートが無くなったことに気づく日だが、ここからして既に数え方が違う
また上記画像の日テレ、ディカバリーの比較からも分かるように、何日目、の数え方も実は2通りあります。27日から指を一つ右に動かして、5/28を墜落1日目とカウントすると、墜落日は0日目となり、チョコレートの紛失発見が1日目、27日目が日本時間の6/24で、47日目がアメリカ時間の7/13となるのが、ディカバリーチャンネル方式、日数Aの数え方です。これだと「Unbroken to Japan」の記事の通り、1日の誤差が生まれることになります。しかし一方で、もし自分が墜落を経験したと仮定して、人は墜落日を0日目とカウントするでしょうか?これを救助の専門家である日本のある消防署に聞いていみると、墜落日を1日目、一夜を明かした5/28を2日目とカウントすると回答を頂きました(別案B、日テレ方式)。そしてこちらだと27日目が日本時間の6/23で、日本側の文書と全く日数のズレが生じません。救出日は47日目となり、墜落と救出の時間によっては、漂流は「47日間」弱となりますが、墜落時間が救出時間より前であれば、「47日間」のままです。アンブロークンE-V3.1の記述である、46日目が日本時間の7/12であることとも矛盾しません。ちなみに救出(鹵獲)日がいつなのかということですが、「アンブロークン」では7月13日(日本時間)。ウォッジェ環礁でルーイー達が船上にいたのは「2日間」で、(トランブルによると3日間)、クワジェリンへの移送は「7月15日」に開始、16日に到着とあることからも、日数のカウント方法はやはりB案の方が自然と訳者は考えます。つまりルーイーの「27日目」と、日本側の「6月23日」はドンピシャリで一致するのです。
時差についても触れると、本編の記述において、グリーンホーネットの出発時間が27日の18:30となっていることに、えっ?と思った方はいないでしょうか?これが現地時間、つまりホノルル及びミリタリー・タイムゾーンW(UTC-10)の18:30だった場合、言うまでもなく出発が日没30分前となってしまい、「アンブロークン」の「(※命令は)一日中捜索してからパルミラ島に着陸」と照らし合わせても、明らかにおかしいことになります。そこでこれはワシントンDCの時間だったと考えると、出発は現地時間の13:30となり、機体の割り当て及び、行く行かないのすったもんだがあった後に、(アンブロークンによると、グリーンホーネットでの救護任務を「志願」させたのは、エンジン3つでもミッションに行けと言った将校だそうです)、今日はハワイに帰らずパルミラへ行け」となることと矛盾もしません。他の記録を見てみると「アンブロークン」には、「ルイは朝の五時に起きた」「(※27日)午後二時ごろ、『グリーン・ホーネット』は哨戒区域に入った」とあり、後者はロバート・トランブルの「2時」と全く同じで、これらはホノルル時間と考えられることから、ここにもタイム・ゾーンの混在があります。一方の日本軍ですが、哨戒の出発がまだ辺りも暗い3:41になっておりこれも不自然ですが、時差の3時間を足すとちょうど日の出の時間に当たることから、現地時間ではなく東京時間と考えて妥当でしょう。哨戒区域が日付変更線の東だろうと西だろうと、24日は日本時間であるとも考えられます。
これらを総合すると、訳者はこの公文書がルーイーへの機銃掃射を裏付ける決定的な証拠と考えますが、そう仮定すると事の成り行きは以下の通りとなります。
グリーンホーネットはアメリカ時間の1943年5月27日の午後2時前後に墜落。マーシャル諸島時間の6月23日の6:41(3+3)に、タロワ基地を5機の96式陸攻が「発動」。8時36分(5+3)に、3番機がルーイー達の必死のアピールである海洋染料、シー・マーカーを潜水艦の航行痕と見間違え、その2分後には爆撃を加えて上空を旋回。「敵艦(?)発見爆撃、上空を制圧ス」なんていくら何でも大袈裟過ぎますが、これは爆雷と機銃掃射の順番を入れ替えて、「機銃掃射のおまけに、ちょっくら爆撃演習と来たもんだ」に繋げるユーモアの心理と重なるのでしょうか!?もしくは信管の解除を忘れて爆発しませんでした!なんて書いたら間違いなく殴られちゃいますから、機銃掃射の後に「証拠隠滅」して文書で辻褄を合わせたとすれば、ますます話が一致します。そして10時55分(7+3)より4番機が「爆撃効果確認センガタメ」高度を下げ機銃掃射を開始。基地への帰着を始めたのが13時45分(7+3)です。つまり飛行機はボート上空を5時間以上飛んでおり、「死んだフリ」は立派に役に立っていたことになります。とはいえボートの上の3人は、とても生きた心地がしなかったでしょうが。
俄かには信じがたい、事実は小説より奇なりと言うべき出来事が、旧敵国側の公文書によって証明され、しかもそれはネット上に堂々とある。こんな所にも、本書にあるモダン・ヒストリーの醍醐味があるとは言えないでしょうか?この文書の存在を、ルーイーやローラ・ヒレンブラントは知っていたのでしょうか?(記事を書いた田中昭成さんが教えてあげた?)
この場を借りてアジア歴史資料センター及び、「Unbroken to Japan」・田中昭成さんに、心からお礼を申し上げます。