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2、検証、おにぎり撃墜弾!

!ヨセ証検ヲ道報ルケ於二下時戦

Is this soul food a lethal weapon against B-29s!?  

 然ですが、あなたはUFOを見たら、それを人に言うでしょうか?携帯に画像がないならそんなのウソ?そう言われてしまうような時代になって、UFOの目撃談もめっきり減ったと思われるのは、気のせい?

 「もしそんなものを見たとしても、言わないでいた方がいいよね!」

 ホウジロザメに96式陸攻と、時に人が信じないものの数々を目撃してきたルーイーはこう言います。しかしそのルーイーをしても、思わず59年後に口走ってしまう程に突っ込みたくなるフェイク・ニュースが、当時の日本にはあったようです。

 ―「いくら何でも、日本人もそこまで、ほんっとにバカなんだろうか?と。いくら激励の必要な人間がいたとしても、誰がそんなもん信じるだろうか?と。」―

 果たして「おにぎりでB-29を撃墜する零戦」は、存在したのでしょうか?ローラ・ヒレンブラントはルーイーに電話するだけで済ませていますが、日本人はそれでは許されません。戦中の新聞なら全部、国立国会図書館にあります。検証してみました。

 

 まずは現代人らしく、スマホで「おにぎりで撃墜」と検索してみましょう。するとwarbirdsというサイトに、どうやら同じ質問をしている人がいるようです。残念ながら「Devil at My Heels」の話は出てきませんが、しかし日本の漫画家、わちさんぺいの「空のよもやま物語」と言う本に、どうやら同じようなことが書かれているようです。本は後に漫画家となった、「陸軍航空審査部偵察隊」の隊員による飛行機乗りの短編集で、おにぎり記事もその短編の一つとして扱われているようです。早速アマゾンで買って見ると、「握りメシで撃墜」の題名の元、所属隊で後輩が「偵察隊の物識り博士」の指田さんに、該当記事について質問をする内容がありました。

http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002533.html

—「指田さん、知っていますか?見ましたか、けさの新聞を?」

 「なになに?……」

 それは、南方戦線における海軍の爆撃機が、海面スレスレに逃げながら、追ってくる敵の戦闘機を、二機とも撃墜したという話である。

 後部銃座の二名とも被弾して負傷しながら、しかも機銃を使用しないで落としたというのである。すこしミステリーじみて、ちょっと想像もできない話ではないか。“こん畜生”という念力で撃墜したのか、そのとき、神風が吹き荒れたのか、強力なお経のおかげなのか?

 「おい!はやく言えよ」

 「それがなんと、握りメシ二個で撃墜したというんです」

(中略)

 塩野が重要な相談でもあるかのように、“物識り博士”へひざをすすめた。

 「こんなことって、起こり得ることなのでしょうか?」

 「うーん!そうだな、つまりだよ……まさか新聞はウソを書かないだろうよ」

 そばで聞いていたぼくも、ウームと腕組みをしたまま唸るだけだったが、楽しい宿題ができたのを喜んだ。—

 「こん畜生という念力に、吹き荒れる神風、さらには強力なお念仏」「まさか新聞はウソを書かないだろうよ」!とまあなかなか示唆に富む内容ですが、しかしここではいつの何新聞かは触れられておらず、これだけでは国立国会図書館には行けません。それでもよくよく注意を払って読んでみると、戦時の飛行機乗り達は現代のネット民達と、まず最初に抱く疑問が実は違っていることが分かります。彼らは、「おにぎりを使っての撃墜が本当にあったのかどうか?」について話をしているようで実はそうではなく、話の焦点は最初から、「そもそもそんなことは、理論上可能か?」にスライドしているのです。ポップなイラストと明るい文体だけ見ていると気づきませんが、そこでは記事が本当かは触れずにおこう、という暗黙の了解すら推察できなくはありません。また当時の新聞の発行状況を調べてみると、新聞統制令というものが施行されており、全国紙は読売報知に朝日、毎日の3紙のみ、地方紙は北は樺太にソウル、南は台湾に至るまで、1県に1紙のみで、経済紙も東西に一紙ずつ、英字紙は「ニッポン・タイムズ」と「ザ・マイニチ」だけが出ていたとあります。そしてその内容は、電通と日本新聞聯合社が合併した同盟通信社により、ファクト・チェックなど誰も気にせず「大本営発表」が流されていたことは、戦後の日本では誰もが学校で教わる所です。

1945年1月30日付、新聞通信調査会、同盟通信写真ニュースより https://www2.i-repository.net/il/meta_pub/detail

 ここから先に結論を言えば、実は「けさの新聞」とだけ言われていることも、意味深と言えば意味深で、同盟通信の配信なら結局、どこで何語を読んでも北は樺太から南は台湾まで同じ、「けさの新聞」だということも、「行間:between the lines」から読めなくはないのです。

 

 では他に、元捕虜でこのおにぎり記事について書いた記録はないのでしょうか?調べて見るとそこはさすが元上海タイムズのレポーター、トム・ウェイドです。ソウルの収容所で、ほとんどの士官達が本気で日本語を勉強しない中、日本語と格闘していた彼は、自書の章名もそのまま「日本のニュース」で以下のように述べ、内容もなかなかに期待を裏切りません。

 —ソウルで少し落ち着いてから最初に欲しかったのは、信頼できるニュース・ソースだった。自分達が英字新聞をお願いすると、ビックリするくらいすぐに、在日外国人やアメリカ生まれの日本人向けの、ジャパン・タイムズとジャパン・アドバタイザーが貰えた。(両社はすぐに合併してニッポン・タイムズになった)

 —この新聞は、心理学的には面白いものがあった。

 —彼らによると、日本のパイロット達は弾丸を使い果たすと、自身の機体で敵機に「万歳!(天皇の治世1万年続け!)」と叫びながら、「体当たり」を試み、栄光ある死を選ぶと、他の機体達は攻撃目標のアメリカ機のあまりに近くを飛んだが故に、「死にゆくヤンキー乗組員の、返り血を翼に受けた」

 —またある日本のパイロットは弾丸を使い切ると、「刀を抜いて敵機に突撃し、これを撃墜せしめた」—

 —さらに同じ状況で別のある一機は、「2個の握り飯を敵機に投げつけ、これがアメリカ機の方向をそらせると、別のアメリカ機と衝突を起こさせ、両機とも墜落した」—

 これもツッコミどころのある記事が並びますが、どうもおにぎりをぶつけて撃墜した訳ではなさそうです。しかしこんな記事、捕虜達は信じたのでしょうか?

 —こんな記事を書くような人間なら、さらにエスカレートして、死しても忠烈なるパイロットは、自身の愛機を無傷で基地に返し、次なる作戦へと供するのだった、なんて書いても何の不思議もない—

 トム・ウェイドもこれを書いた同業者には、なかなか手厳しいことを言ってさすがに信じていないようですが、しかし同章ではこれとは違った表記もあります。

—そこでは大きな海戦が2~3週間おきにあったようで、その度に日本側は戦艦2隻、空母3隻、巡洋艦8隻が、雷撃により沈没したとされており、悲観的に物を見る人達はこの数字を4で割り出てきた答えを信じ、楽観的に見る人達は何も信じなかった—

 意外や意外、水増しした撃墜数も、人によっては25%の効果があったようで、このことは当時大森で日本の新聞を解析していた在日イギリス人、デイビット・ジェームズも言及しています。

 —1943年、大森収容所でニュースは英語版の「ジャパン・タイムズ」と「東京毎日」から得ていた。極秘の無線装置の類がなかったので、捕虜達は完全に、日本版の戦時プロパガンダに頼らざるをえなかったのだ。そしてこの敵のプロパガンダを読み続けた結果、概して連合軍側の捕虜の士気は著しく低下した—

 この手の記事も、その内容は信じないにしても捕虜の士気低下には効果があったことが分かります。ちなみにデイビッド・ジェームズが、得意の日本語で新聞をこっそり解析していたことは大森では公然の秘密になっていて、ウェイドが翻訳をお願いしても頑なに拒否しておきながら、裏ではしっかり翻訳して収容所全体で情報共有していたということも、ウェイドの記録には残ります。ここでは2人共、日本の新聞は「行間 :between the lines」を読む必要があったと、全く同じことを言っているのも嬉しい所です。

 

 それはさておき、トム・ウェイドによって、おにぎり記事がニッポン・タイムズに載ったというのは本当でしょうか?そこで訳者がジャパン・タイムズに問い合わせをすると、手数料千円で記事を検索してメールに添付してくれました。(ここでお礼申し上げます。データベースの契約は法人のみで、国立国会図書館でも使えません。契約図書館や大学にお願いしましたが、全て無下に断られました)そしてここから日付を手繰ると、以下の様な記事が出てきました。(ちなみに読売と朝日のデータベースで、「おにぎり」ではなく「握り飯」と検索すればヒットして、国立国会図書館でマイクロフィルムのリールを回して数日を無駄にせずに済んだことは、今はもう言うのを止めましょう・・・)

毎日おにぎり.jpg
朝日おにぎり.jpg
読売報知おにぎり.jpg

 左より、1944年1月26日付ニッポン・タイムズ。白取テイジロウというバイライン、署名が入るが、前日の25日には(左より)毎日、朝日、読売報知が朝刊にほぼ同じ記事を掲載しており、同盟通信社の存在が見てとれる(各クリックでPDFが開きます)

 ではルーイーが読んだと思われる、英字紙版を訳してみましょう。 

 

——航空機が変える新しい戦争の概念――

――日本の航空兵が敵機におにぎりを投げつけ2機を撃墜――

 海軍報道班員・白取テイジロウ。南方の極秘基地にて

 戦争の戦術において完全なる変革が起きている。今や航空機の時代なのだ。発展中の基地であろうとなかろうと、兵站、索敵においても、航空機は主要な役割を担う。勝利は空で決まるのだ。ブーゲンビル島とギルバート島沖での空戦において、我らが海鷲達(※日本軍兵士)の超人的な英雄ぶりの実例を、海軍航空隊司令官である副提督XXが、つい最近報告をした。あれはブーゲンビル沖での5度目の空戦だったが、一人の若い一等中尉が、雷撃隊の司令官として出撃しようとしている所へ、彼の上官である少佐が、この若い士官に向って言った。「キミはもう巡視も偵察も、爆撃も経験している。この雷撃ミッションより帰れば、中隊長としての資格を完璧に有するね」一等中尉はこれに直立すると、自身の決意を述べた。「私は生きて帰るつもりはありません。喜んで死すべきでしょう。昇進など望んではおりません」彼の言ったことは、決して言葉の上だけではなく、彼は敵の航空母艦に故意に突っ込むと、自爆を遂げた。またある日本の戦闘機が、2機の敵戦闘機に追撃されていた。この日本のパイロットは全ての弾丸を打ち尽くし、それでも 臆することはなく、彼らは海面スレスレの低空を飛び続け、この間に手当たり次第に、物は何でも敵へと投げつけた。だが追手は追撃の手を緩めず、日本機は数カ所に弾着を受け、火を噴くに至った。もはや望みはない。しかし日本軍航空兵達は、敵機撃墜を心に決めていた。「畜生!死なば諸共だ!」彼らは敵へ向け、未だ手元に残る物、全てを投げつけた。カラの瓶、電信機、その他諸々。そして手元には何もなくなった。「あったぞ!」だがまだそこにあったのは、海苔(黒い海草)に包まれた二つのおにぎりだった。それは敵へ向けて投げつけられ、すぐ後ろを追撃する敵戦闘機のパイロットは、これを弾丸と見間違え、操縦桿を下へと下げた。海面スレスレに、ほとんど接する程の低空を飛んでいた機体は、海に向かって突っ込む。後に続くもう一機も、「弾丸」を避けようとして、これまた墜落した。つまり日本軍航空兵は、最終的には何とかして、2機の敵機を海底へと葬ったのだ。しかしこの頃には、彼らとて消耗しきってしまい、XX島のある山へ衝突すると、彼らの機体も真っ二つになってしまった。前席にいた兵士達は愛機と命運を共にし、銃手席にいた一人は、大破した機体より離れた場所に投げ出され、奇跡的に死を免れると帰還を果たし、この敵機2機の「撃墜」についての報告をした。我らが海鷲達は偉大なる自己犠牲の典型であり、全員が一人一人、最後の1オンスの余力まで使いきって闘う所存なのだ。副提督は本土にて全線を守る人々に向け、制空力の補充に全てを捧げて欲しいという、熱烈な訓戒を持って自身の報告を補足した。「ブーゲンビルとギルバートの戦功に歓喜するのは、全く以て不適切であろう」そう言ってから、「戦争は今後も闘い続けねばならない。全ては航空機に依るのだ」と強調した。「今こそ戦局を決定づける、最も重要な段階なのだ。勝利は空にて決まるのだ。統一された意志と共に、国家は戦い続けなければならない。充分な制空力により、我々は勝つことができ、また勝たねばならないのだ」―

 

 読んでみるとまずこれが、戦争も終わって70年が経つ今も、日本人と世界の経営者が大好きな精神論のカタマリであるのが分かります。英字版にはありませんが、毎日版には「戦果は挙っているかも知れないが、結局押されている戦さだ」「戦果だけを見て勝った勝ったと喜んでいる人があったら飛んでもない心得違ひだ」ともあり、撤退を認めざるを得ない中、敵の撃墜数でフォローアップをしていたのはどこの誰だと思うと、当時これを読んで頭に来た人もいたのではないでしょうか?要するに、とんでもない劣勢でも命を捨てて戦えと言っている訳です。しかしこれらの記事はよく読むと、「握り飯で敵機を撃墜した」ように見えて、実はそうは言っていません。あくまでそれで墜落を誘発させたのであって、

 ①零戦とB-29の闘いではなく、

 ②「キャノピーを少し開けておにぎりで撃墜」したのでもなく、

 ③「一面に載る笑顔の零戦のパイロット」もいませんでした。

 そこで訳者は、各社データベースと1943年から1945年の英字新聞と気の遠くなるような格闘を、コロナ禍で抽選による入場制限を行う、非情な国立国会図書館で行いましたが、ルーイーの言う記事とピッタリ合致するものは、残念ながら見つけることができませんでした。つまり訳者の結論としては、この記事がルーイーとトム・ウェイド、わちさんぺいの元ネタと思われる、ということになります。

 違うじゃん!と思った人はいるでしょうか?また墜落した二機は互いに衝突した訳ではないので、これを持ってして、ルーイーのみならず、トム・ウェイドもウソつき呼ばわりする人はいるのでしょうか?しかしもう一度記事をよく読み返すと、この記事には現代のフェイク・ニュースと変わらぬ、狡猾なトラップが仕掛けてあることが分かります。

 ①見出しでいかにもおにぎりを弾丸として使い、これで敵機を撃墜したと思わせておきながら、その実そうではない(東スポ効果!?)

 ②記事に対して誰もに本当にそんなことはあったのか?と思わせ、あまりに突飛な内容で会話を誘発させる効果もあるが、しかし相手から当然生まれる質問、反論により、記事のデモトではなく会話を始めた人間から信頼を削ぐ効果もある(UFOを見ても・・・!?)

 ③そして実は記事の一番の狙いは、飛行機の増産ではなく「釣り」のおにぎりエピソードの伝達でもなく、デマゴーグの蔓延による捕虜や自国民への情報遮断であり、日本の敗戦という、いずれはやって来る事実の周知を遅らせることだと思われる(重要法案通過の際に大きく報道される猟奇殺人事件!?)

 詰まる所、発信元が苦境にある時のプロパガンダとは「何を伝えたいのか」ではなく、伝えたくないことがある場合に使う、聞く側をウンザリさせるタワゴトとも言え、戦時中に乱発されたこれらにはウソから生まれるマコト、つまり旧軍部や大日本帝国にとって都合の悪いことが相当に含まれていたと見え、同盟通信社は終戦と共に証拠を隠滅すべく、自社の記録を日比谷公園で数日に渡って焼却しています。

http://kyodo.newsmart.jp/info/Result/2010/0913.php

 左:The mainichi版おにぎり記事。右:1943年11月25日同盟発、26日付ニッポンタイムズ。「War is over :戦争は終わった」とされ、バターンやコレヒドール、シンガポールで降伏し、中国の瀋陽(奉天・Mukden)で「エクササイズ」を行う米英軍捕虜。「捕虜達は帝国軍の人道的な扱いに感謝している」とされる。このポーズは大船でも同様に、「大船式蹲踞(そんきょ)」の強要が行われ、これに殴打が加わった。(8章注釈参照)

 そしてこういったデマゴーグの蔓延により、「釣り」であるおにぎりのエピソードは誰も信じない一方、最も隠しておきたい事実、つまり日本の敗戦は時間の問題であると言うニュースは、かなり遮断ができたとは言えないでしょうか?ルーイーや捕虜達には、玉音放送ですらすぐには信じられないような環境があったと言う記述もあるからです。ルーイーは直江津で、家族からの手紙に歓喜できないほど体調を崩したこともありますが、(1日20回もの血便で、月に6キロ痩せたともー「アンブロークン」)戦争終結を実感したのはおそらく8月20日です。これに対し、トム・ウェイドが自書にて玉音放送について記していることをもって、ルーイーの記述は信用できないとする人もネット上には存在します。しかし日本の無条件降伏の情報を拾い遅れたのは、はたしてルーイーだけでしょうか?戦後29年も経ってから、終戦を受け入れた小野田少尉の話は元より、「貝になった男」では、地元の八百屋さんの証言として、こんなものがあります。

 「どういうわけか、捕虜たちは早くから勝つことが分かっとったようだ。終戦の年の春に、自分たちはもうすぐ国に帰るけど木村には世話になった、なんていうたもの」

 これらがデマゴーグの効果で無くしてなんでしょう?その対象は敵国や敵国の捕虜と言うより、自国民だとも言えます。さらには、もう一度上の共同通信のリンクを見て見ると、こんな表記もあります。

 ―1945年8月10日には、政府による「ポツダム宣言受諾」を対外放送で発信。同盟発のこのニュースは、ロイターやAPなどの海外通信社を通じて世界中に流され、戦勝国の国民は戦争終結の喜びに沸きましたが、日本国民には5日後の玉音放送まで伏せられたままでした。―

 あれ?15日じゃなかったの?そう思って外国の新聞を見てみると、実は11日付(日本時間10日)のニューヨーク・タイムズに、タイムズ・スクエアやロンドン、フィリピン、パリでやや先行気味の祝勝が始まった写真と、その詳細が掲載されています。

  左: 11日付(日本時間10日)ニューヨーク・タイムズ。ラジオを通じた降伏申し入れの第一報を伝える

 真ん中:8月10日イギリス紙ガーディアン。どうやら申し入れの前日に、一日後の同時刻に重要な発表があるよ、と日本側が露払いを入れていたのが分かる。この時点から、同盟通信社は証拠隠滅を始めていたのだろうか?

 右下:11日付、ヨーク・デイリー・レコード。米軍側の攻撃が一時ストップしたとある

11日付ニューヨーク・タイムズ。パリとロンドンの写真

 ニューヨーク・タイムズによると、アメリカ標準時間の7:35、日本時間の21:35(どちらも10日)から、日本がスイスとスウェーデンを通じ、2方面をそれぞれ2回に分けて、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4か国にポツダム宣言受け入れの用意があることを、ラジオ放送で伝えてきたとあります。そこではソ連に調停をお願いしたもののこれが功を奏さなかったこと、(※スターリンの手紙はコラム5へ)ポツダム宣言の内容は一つ一つ了解しており、天皇の主権は害さないという解釈なら受け入れる用意があるので、「その旨の明示が速やかになされることを切に希望する」としています。同記事では、この会議は9日から10日の未明まで行われ、内閣の全会一致で決まったとする一方、その参加者は昭和天皇に秩父宮、高松宮、近衛文麿に東条英機、鈴木貫太郎、平沼騏一郎、広田弘毅、東郷茂徳(外務大臣)、阿南惟幾(陸軍省)、米内光政(海軍省)とされ、しかもこの決定は自国民には知らされてはいないこと、降伏申し入れの3時間前には、陸軍大臣の阿南惟幾が引き続き敵を滅するべく、「楠木正成の精神と北条時宗の信念を持って当たれ」と呼びかけたことが、バッチリ記されています。またサイトによっては、8月9日~10日の御前会議は、降伏か抗戦かがギリギリで拮抗しており、しかも軍部に至っては、広島への原爆投下の後ですら、ソ連の参戦前なら地上戦でもって相手の被害を出し、外交カードとして使おうとしていたとすらあります。

https://www.osti.gov/opennet/manhattan-project-history/Events/1945/surrender.htm

 上記外国からの情報を否定する人は必ずいるでしょうし、上記を持ってして全てを真実という訳ではありませんが、ではそれなら当時の日本が無条件降伏に必要とした条件とは一体何だったのか、我々日本人は学校で教える程に、戦争勃発と終結の原因を共有しているでしょうか?訳者がこういった情報を集めようとすると、ほぼ全ての状況で英語の情報に頼らざるを得ませんでしたが、これは当時、情報の隠蔽による国と社会の支配が罷り通っていたからであり、この遮断が社会の支配に直結することは、今も昔も変わりはありません。ニュースに入る「釣り」故に戦中の新聞は全て信用できないと切り捨て、全てを「時代」の責任に帰するが故に、降伏の要因から原爆投下の要因、ひいては開戦の真の理由といった真実が21世紀になっても未だ明るみに出ないのなら、おにぎり記事を含む一連のフェイクとデマゴーグは、情報の遮断で軍部の日本支配を延命させたのみならず、未だ現代においてもその効力を有しているとはいえないでしょうか?

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